惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

就職活動の思い出

2010年11月23日 | チラシの裏
キンロー感謝の日の今日、札幌で「就活くたばれデモ」なるものを挙行する人がいるらしい。その世話人のご本人はtwitterで、たとえばこんな風に言ってる。

「デモをしても、感情的なガス抜きじゃ意味無い」とか言うやつはなにを望んでるの?自分の感情をおさえ続けた人間が毎日毎日、自殺してるんだぜ?自分の声を堂々と表明して、それがガス抜きになって、もしも不満が少しでも解消して、死なないで済むなら、それだけでも意味があるだろ。
(s_strip028)

一言。デモっていうのは「自分の声を堂々と表明」するものじゃないぜ。大なり小なり「集団で」表明するからデモなのである。その集団の中に自分がいると思える限り、デモでも「シュウカツ」でも、あるいは暴走族でも何でも、好きなようにやればいいとわたしは思っている。自分がいるその場所にいるということ、それがその行為なり場所なりの意味だと、素人哲学としては主張したいところである。わたし自身は、デモに限らず集団の中に自分を見出したことがないので、仮に自分がいま失業者でこの種のデモに誘われたって参加はしないけれども。

  何処やらに沢山の人が争ひて
  籤引くごとし
  われも引きたし

こう歌った啄木は籤を引かない、引けない人である。その光景に惹かれながらも、その集団の中に入って行けない気遅れを感じている。この歌はそういう心情を歌っているわけである。

それはそれとして題名のハナシを、少しだけしてみよう。わたしが就職活動をしたのは博士課程を中退した後の数ヶ月間のことである。中退する前はしてなかったのかと言って、それどころではない、911の光景をテレビで見て腰を抜かしたまま茫然と最後の半年を過ごしたものであった。4月になっても何もする気がしない、で部屋でゴロゴロしていたら、いい加減どうにかしろという声が身近なあちこちから飛んできた。

何言われたって指一本動かす気にならねえよと思ったが、あんまりなことをあんまりにも言われまくって、何よりもまずこれ自体をどうにかしなくてはならない状況に陥った。それでまず何をしたかというと、心理カウンセリングの門を叩いたものであった。就職活動それ自体もやる気にならないくらいだから、無理してやって就職したって長続きするわけがない。かと言って他人の指示指導に耳を傾けるようなわたしではもともとない。何もかも自分で自分に指示しなければならないが、気の進まない自分が気の進まない自分に気の進まないことを指示できるわけもない。そこでカウンセリングの場に無人称(ないしは半人称)の錯体のようなものを作った上で、そこから間接的に自分を指示しようと考えた。この即席の方法論は今から見れば正解だった。

それでまあ就職活動を始めたわけだが、当時の世間は新卒者にとってさえ「氷河期」と呼ばれたほどの、就職活動するには最悪の時期でもあった。あんな中で四十前の中年男が、十年近く世間を離れていた後で就職活動しようというのだから、それはなかなか、並大抵のことではなかったということは、同じような苦労を経験したことのある人には察していただけようことである。プログラマの募集広告を見て電話したら、それだけでケンもホロロに怒鳴られて電話を切られたこともあった。

まだ履歴書も送っていない、なんでただ電話しただけで見ず知らずの人事担当者から怒鳴られなきゃならんのか、いまだにサッパリ判らない。どうやら就職活動するということは世間を敵に回すことだというか、ある種の反社会的行為であるようだった。な・・・何を言っているのかわからねーと思うだろうが、実際、どこへ行ってもまるで親の敵みたいな、凄まじい敵意悪意に満ちた扱いを受けたのだから、そうだとしか考えようがないのである。何にせよいろいろと恐ろしいものの片鱗を味わわされたことであった。

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