亡くなった吉本隆明がわが故郷で過ごした時期のことを調べて本にして出す人がいるらしい。そのことがわが故郷の地元紙の、これは北日本新聞だろうかな、(訂正:別の情報によると読売新聞の地域面のカコミ記事であったらしい)それに載っているとtwitter上で呟いている人がいた。
「だそうだ」じゃねえよ。長年の読者なら誰だって知ってるよ(笑)。でもまあこの呟きのおかげで新刊書の情報が得られた。以下は上記の呟きで参照されていた新聞記事の写真を読み取って転記したものである。写真には記事の後半部分しか写っていないので、読み取れる部分だけ転記しておく。
吉本隆明は、魚津で終戦を迎えたのだそうだ。もうすぐそのことをとりあげた本が出るそうだ。 http://p.twipple.jp/k5S0d (hirotuna) |
「だそうだ」じゃねえよ。長年の読者なら誰だって知ってるよ(笑)。でもまあこの呟きのおかげで新刊書の情報が得られた。以下は上記の呟きで参照されていた新聞記事の写真を読み取って転記したものである。写真には記事の後半部分しか写っていないので、読み取れる部分だけ転記しておく。
・・・8月15日、工場の広場で終戦の詔勅を聞いた。寮に帰って泣いていると、寮のおばさんが「けんかでもしたのか」と声をかけ、布団を敷いてくれた、泣き寝入りした後、工場の裏の港で一人泳いだ──。〈わたしが世界がひっくり返るほどの事態を感じているのに、なぜ空はこのように晴れ、北陸の海はこのように静かに、水はこのように暖かいのだろう〉と記す「戦争の夏の日」などのエッセーにもあるエピソードだ。 敗戦のときは死ぬときと思い詰めていた軍国青年にとって、その衝撃は「自分の生涯を変える動機にもなった」と吉本さんは話した。終戦を境に、手のひらを返すように言説をひるがえした文学者たちへの疑問が、後の言論活動につながる。 吉本さんの生活史を詳細に跡づけた『吉本隆明の東京』の著者で、30年来の親交があったフリー編集者石関善治郎さん(67)(東京都)は「世界が瓦解した衝撃を体で受け止め、ゼロになることが、僕らが知る吉本隆明になるためには必要だった」と語る。 吉本さんは動員中に仲間と立山に登り、その際に泊まった宿の主人夫婦から受けた忘れがたい印象なども書き残している。石関さんは2007年と10年に、こうした富山県での吉本さんの足跡を訪ね歩いた。 取材の成果は、5月に思潮社から刊行予定の『吉本隆明の帰郷』に収録される。「お元気なうちに出したかったが・・・・・・」と石関さんは惜しむ。(堀内祐二) |