桜開花がもう少しな、茨城県の大子町からです
今年の桜開花は東京都では例年より5日ほど早いと。
ここ大子町では、まだつぼみです。
平成28年3月22日、大子町役場わき押川堤防の桜並木の一部。
硬いつぼみがふくらんで、花にいよいよなろうとしている段階でしょうか。
大子町では、各地で「お祭り」が残っていて、今年は郡部(中心市街地まちうちに対して外側の地区)で3箇所も春の例大祭があるとのことです。
そのうちのひとつ、20年ごとに行われる祭礼がこちら。
熊野神社・真弓神社正遷宮合同祭礼
平成28年3月26日(土)・27日(日)
浅川地区にて開催、会場はルネサンス高校グランド(旧浅川小学校)
「ささらの奉納舞」
26日(着興祭) 午後3時
27日(還幸祭) 午前11時
当地では「浅川のささら」として伝わる、茨城県指定無形民俗文化財となっている伝統芸能、祭事です。
ぜひ見ておきたい、「ふるさとの祭り」ですね
こっから長文です…。
東日本大震災から5年を迎えた、平成28年3月11日の、大子の商店街です。金町通り。
アノ日は、道路に看板や老朽化した街路灯が外れて破損散乱し、町中が大混乱でした。
今日では、いつかの静かな街並みと人の行き交いで、昭和は遠くなりにけりの寂れ模様です…。
けれども、茨城県の山間にある中心市街地、商店街としては今でも元気にお店を開き商売が続いている貴重な地域資源が保たれています。
最近、ふと思うことがありました。
よそもの。
いつだったか、よそものを受け入れられるまちになってほしいとの願いをかけたことがありました。
しかし時を経て、全てがそうではない事実。
受け入れるべきものと、受け入れざるもの。
人材だけではなく、アイデアや行動など…さまざまの諸事を受け入れる大前提がこの町には欠如してないか?と思うようになりました。(筆者個人の考えかもしれません)
要は、コミュニケーションの成立です。
モノゴトを成すために、勝手に案じ、勝手に行動されるのは誰でも受け入れざる…場合によってはプラスの意識に転ずるとみられることもあるかもしれませんが。
それは、このブログに出る情報と他の媒体の情報でないものあるものが違うことに気づいた方はわかっていただきたい点が見えていらっしゃいます。
地元にいるのに、「そのモノゴト」の情報が入ってこないのです。
どうしたものか…。
最近、街並みを充実させる目標で事業の案が提示される会合がありました。
しかしながら、後日になって「地元の人々がやりたいものではないんじゃないですか」という模様が伺えることになってしまったことがありました。
どうも大子の商店街に「いる人」の考えではなく、外側の人の考え…いわゆる「よそもの目線」の発生なのですが、いきなり事業に進む、地元との「夢語り」をもって地元の意識を変化させることなく、いわば地元を疎かにしたまま「やっちゃいましょう」だったのです。
(数人の地元参加者はいましたが、流れとしてどうなのかは不明です)
このまちを、何とかしたい。
それは誰しもが思うことでしょう。
しかし、「まち」は、そこに住まう・商売をしている人々が作り上げてきたもの。
今ココにある、昭和懐かしの風情がそのまま残っている大子の商店街、では不十分なのでしょうか…。
問題は、地元、足元にいる人々の考えで「まちを良くしよう」というものではない、地元ではない力によって「まちづくり」がされるのでは?という地元置き去りの風潮が見えてきてしまったことが残念に感じるのです。
それは、冒頭の桜開花のことにも通じ、一部の枝だけ咲いてなかったら「きれいな桜の木」に見えないですよね。
開花(人および活性化)が足並み揃えて満開になって、はじめて「桜」つまり、「まち」がつくられるのだということです。
わかりにくい記事になってしまいましたが、今の状況はこうなっております。
とらえ方は人さまざまかと思いますが、そこにいる地元の人々の意識をしっかり保って、大子町らしい「大子の商店街」が続くことを願ってやみません。
桜満開の頃に、ぜひ街歩きにでもおいでください
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大子町に戻ってきて余り日は経ちませんが、今回の記事は考えさせられるものがありますね…。
確かに大子町らしさは大切だと思います。
けれども、ヨソモノが住みたいと思ったり若者が生活しやすい町にする事も大切な事かとも思います。
大子町に住む住民が真剣になり、大子町をどうしていきたいかを考えていかなければいけない時期かもしれません。
記事に対しての意見とはズレたコメントになっちゃったかもしれませんが勘弁です。
30代の自分は、率直に子供の頃にあった店や自動車学校が無くなってしまって寂しく感じてます。町中にあった『だいとう』とか良くゲームをしにいったものです。では、また!
キーワードに「大子らしさ」があります。
おっしゃるとおりで、かつての風景が変ってきていますし、残していくモノ買えていくモノを、若者だけでなく現地の皆さんで考えるべき時期になってきています。
「だいとう」さんはおもちゃ屋さんでしたね。30年くらい前まで懐かしのゲームが置かれていました。