瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

世界と出会う

2018-10-28 18:28:53 | 随想
一切皆苦ってなことを申しますな。人生は苦である、ト。

ま、苦しいことばかりじゃありませんがね。楽しいことだってもちろんあります。
が、どちらにしろ苦しいだ楽しいだのと言ってるのは「自分」には違いありませんわな。「自分」というフィルターを通して物事を苦しいだの楽しいだのと言ってる。

じゃ、苦しいのをなくしたけりゃ「自分」というフィルターを通さなきゃいいってことになりますわな。「自分」なんぞ失くしちまって直接物事に対峙しちまえばいい。

って言うは易しですが、じゃ、どうやって「自分」ってぇのを失くすんだい?  ってなことになると、あたくしもよくわからない(笑)

だいたい、「自分」を失くして苦が無くなるのはいいとして、その理屈なら楽しいまでなくなるんじゃないのかい?  って話になりますわな。んじゃ、御免だって声も聞こえてきそうです。  

ま、確かに苦が無くなりゃ楽も無くなるでしょうなあ。世の中、対(つい)で成り立ってるんですから、片方が無くなりゃもう片方が無くなるのが道理です。

でもね、「自分」というフィルターが失くなるんです。ってぇことは世界そのものに出会えるんですよ。そこには感動があるのと違いますか。想像ですがね(笑)

ま、あたくしは「自分」の失くし方もわからないから想像するしかないんですが、この「想像」ってのは信じていいんですよ。「想像する」ってのは表現を変えれば「思い出す」ってことですからな。

ちと分かりにくいかもしれませんな。ま、それについちゃ、別の機会に。





追記
「自分」を失くすには前項に書いたのように何も考えなきゃいいんでしょうが、こうしてああだこうだと考える性質(たち)なんで、なかなか上手くいきませんでな。
最近読んだ本に書いてあった方法を使えば上手くいきそうなんですが、まだ完全に理解出来てないんですわ(笑)
理解出来たら書いてみましょうかな。


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