人生回顧録及び雑記

83歳・記憶の定かの内に日記風に書きとめておきたい。
また日頃勝手に感じた事を記載したい。

生活品の買い物・・F

2021-02-09 | 回顧録

生活用品の買い物は会社の売店で買いますが食料品は扱っていませんでした。

食料品以外のものは在りますが日常品は鮮度と取扱にくい為、売店の隣に個人商店(道上商店)がありました。

豊羽鉱山の最盛期には従業員1000名が住んで居ましたので運動会・盆踊り・お正月は盛大に行われました。

当時ですので薄給で子沢山の為毎日の買い物は通帳による付けで後日一括支払いでした。

子供ながらに通帳で父の焼酎を量り売りで買いに行かされました・・

入れ物はサントリー角瓶で一合メモリが付いていました。二合買います・・

最盛期の盆踊り会はグランドに櫓を建て紅白幕で囲い太鼓を叩きます・・

選鉱場労働者は下請け業者の孫請け労働者が多く、○○組が何組もありお酒を飲んでの喧嘩が絶えませんでした。

年一回社内運動会が盛大に開かれます。

運動会数日前に紅白の鉢巻き・白い上着とパンツに靴は白い足袋で友達のお母さんが風呂敷を抱えて各戸に売りに来ました。

お正月はかるた取です・・百人一首の木札を並べ紙の札を読み競争します、勝ちますと褒美が出ます。

コメント

長屋での生活 E

2021-02-09 | 回顧録

その後父が昇進して6軒長屋から線路上の二軒社宅に移り住みました。
社宅の棟は15~16軒位あつたでしょうか?私の家の前は小高い山でその高台に「豊羽診療所」があり遊びの怪我で度々お世話になりました。

院長先生は石井先生と云って体格の良い白い顔の人で札幌から通っていました。

婦長先生は小笠原さん・看護婦さんは福士さんで福士さんには診療所の前で何時も床屋をして貰った記憶があります。

幼少の頃冬に屋根に上り滑って落下して屋根のめくれた鉄板に頭を10㎝程切り診療所の石井先生に頭を縫って貰いました。

その時麻酔が効かず其の儘押さえつけられ針で縫い付けその痛さに大暴れです・・その傷が今でも残っいます。


社宅横には会社のお客様が宿泊できる施設があり、テニスコートがありその上の山側には所長宅の広い家があり庭には池がありました。
所長宅ですが内地から赴任してきて、同級生がいて良く遊びにいったものでした。
お正月には毎年除夜の鐘を聞いてから、小高い山にある「豊羽神社」へ初詣をした記憶があります

神社は銭湯・独身寮の裏山にありました。山は気が生えていませんので冬はスキーが出来ます。

(画像は豊羽神社)

コメント