人生回顧録及び雑記

83歳・記憶の定かの内に日記風に書きとめておきたい。
また日頃勝手に感じた事を記載したい。

豊羽鉱山元山採掘場・・(3)

2021-02-03 | 回顧録

父は炭鉱夫ではありませんので鉱山の福利厚生課で一般鉱員が日常生活する為に必要な物資(飲食・衣服)の購買売店の責任者でした。

山奥から町までの買い物は交通機関もありません?又1.5時間位かかります。

鉱石は銅・銀・亜鉛等が多く採掘場は無異根山地下数十メートルをトロッコ運搬車で下がり採掘しますが、高温で長い時間が働けません?

ふんどし一つで長靴は汗で一杯になります・・(中卒の友達が働いていた経験談)

当時道内の炭鉱(三井・三菱)は景気が良くここの鉱山も賃金が高く裕福でした。

小中学校もありました。

しかし坑内で働く多くの人々は朝鮮人が多く強制労働を強いられていました。

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何故に洞爺湖で?(2)

2021-02-03 | 回顧録

父は函館から出征し母はその函館の何処で父の帰りを待っていたのか?良く分かりません・・

突然私の生れが洞爺湖の向洞爺と言われる土地で生まれたのか?

そこの所が如何しても繋がりません。

今でこそ洞爺湖と云えば道内の温泉地・有珠山の噴火等で有名ですが、当時の事を考えますと道路は未開の山奥であり、向洞爺には温泉街から向かい側の小さな村で湖畔の道路は狭く、母は歩いて洞爺湖の商店街迄買い物に行った話をしてくれました。

何故父が向う洞爺に移って来たのか不明です?

今は湖畔一周が舗装道路で行き来が出来ます。

話では千歳市美笛に「 千歳鉱山」 がありました。山間へき地で鉱山から金・銀鉄鉱石採掘されトロッコで美笛まで湖畔から船で湖を横断し支笏湖湖畔迄運び王子鉄道で運搬し当時5000人程が住んで居ました。

父が千歳鉱山に勤めていたと云う事はきいた覚えがあります。

成人になってから車で千歳鉱山の跡地を探しに行きましたが、想像を超えた場所に存在していました。

廃鉱になり住民はいませんでしたが、川の流れに廃液の様子が見られました。

それから父は何故か札幌の定山渓温泉 山奥の無稲山下の「豊羽鉱山元山採掘場」に移り住みました・・

幼少の頃ですので記憶が定かではありません?

 

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