人生回顧録及び雑記

83歳・記憶の定かの内に日記風に書きとめておきたい。
また日頃勝手に感じた事を記載したい。

幼少時代の手伝い・・・(12)

2021-02-13 | 回顧録

(除雪機関車)

当時長屋住まいの我が家は、何処の家もそうでしたが子沢山で父親は仕事の関係で単身赴任をしておりました。

生活は楽ではなく母親は近所の農家に出面取り(臨時雇い)に行き生計を助けておりました・・・

私も長男として学校が休みの時は母親と一緒に農家に行き手伝いをしていました・・・

石山付近は気候もよく、米・麦・りんご・なし・ホップ等の作物が作っており、田植え近くになると長屋の親達は出面取りに出掛けました。

田植えは賃金と待遇がよく、私も稲の苗を田植えしている場所まで運び、田圃の畔から田植えをしている前に苗を投げ入れて上げます。

夕方田植えが終わりますと15~20人位の叔母さんが豪華な夕食とお土産を頂いて家路へと帰ります。

泥だらけの私は、農家の離れにある野外風呂を頂きますが、風呂は五右衛門風呂で浮いている板を沈めて入ります、当時家の屋根は藁葺きで当然風呂も藁葺き屋根です?
屋根に穴が開いてそこから月が眺められ、風流な思い出があります。


農家の手伝いは、畑の草取り(豆・麦)・野菜の消毒(きゅうりの消毒は背中に消毒液のボンベを背負い重さで肩に食い入ります・・

重いので早く軽くする為には一生懸命に散布しなければなりません?) ビールのホップ摘み・サクランボ・いちご摘み等の手伝いを行いました。


冬には選鉱場へ鉱石貨車が入る為、保線区内の除雪手伝いなど、正月には「道上商店」の三輪車による配達手伝いなど多くのアルバイトをやりました。
また母親が遠い熊が出る簾舞の農家に行った事があります、夕暮れ時迎えに線路沿いに暗い夜道を歩いて行くと、向こうの線路を歩いてくる母親に会います・・その時はホットして手をつないで帰った記憶があります。

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