人生回顧録及び雑記

83歳・記憶の定かの内に日記風に書きとめておきたい。
また日頃勝手に感じた事を記載したい。

長屋での生活・・B

2021-02-07 | 回顧録

住まいの6軒長屋は木造建て平屋で、各戸玄関前は土間の通路で中心部には石造り長い流し台と横にはポンプがありました。

一番奥にはボッチャントイレがあります。(画像手前が共同トイレ)

外壁が下見板張りで屋根は柾ひきの上にトタン張りで各戸の玄関は土間で上がり框がありました。

内壁はベニヤ張りですが当時断熱材などありませんから冬は非常に寒いです。

窓の建付けが悪く厳寒吹雪の朝は枕元迄雪が入り込みました・・

建付けが悪く隙間に古新聞紙を挟み、壁には古新聞を重ねて張り寒さを凌いでいました。

夜中に天井でネズミを追い回す猫の走り音が響いていました。

造りは雑で住めれば良しと云う建物で今では考えられません?

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長屋での生活 A

2021-02-07 | 回顧録

長屋生活は大変住みよいところでした・・・電気・水道・風呂は会社の負担でタダでしたので私の家のように大家族では大変助かりました。

冬の暖房には石炭が3.5トン各戸に馬車で長屋前の木造石炭庫に配給になりました。

石炭の配給はその年により品質が異なり、良い年にはカイ炭・悪い時には紛炭でした。

粉炭は冬には凍り付き出すのにツルハシで崩し大変でした。

春になると石炭が余りますので残った石炭を売っている人もありました・・

当時一般の人々は生活に大変困っていた状況で、お蔭様で社宅では普通の生活が出来ました。
銭湯は週三回で貧乏暮らしでも清潔感がありました。

冬になると当時の寒さは厳しく、風呂上りの手ぬぐいはガチガチに棒のように凍りつきます・・

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石山選鉱場に引っ越してきました・・・(9)

2021-02-07 | 回顧録

当時の住所は札幌郡豊平町字石山でした。

石山地区は定鉄石切山駅前付近から1区~7区まであり豊羽鉱山は7区でした。
選鉱場の当時住まいの状況を思い出してみますと、地図に記載した通り国道「古郡商店」前から200m位山側に入ると左側の山肌に大きな工場がそびえたち、その下には事務所があり線路下には大きなグランドと映画館がありました。
線路の上には6軒長屋が10棟くらいと二軒社宅が12棟、銭湯・売店・道上商店・独身寮・病院・接待クラブがありました。

線路の下には長屋が12軒と床屋がありました。
長屋にはそこで働く機関区要員や鉱石を手作業で選別する女工員・事務員・鉱石沈殿物を処理する下請業者が数社ありました・・・

最盛期には従業員1000人がいました。

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