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じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

柿を剥いて、差し出す仕草を見て。

2005-10-21 03:16:01 | じいたんばあたん
わたしの不調は、
わたしがやったヘマは、

全て祖父母に、ダイレクトに跳ね返ってしまう。


わたしが不調だったり、表情が暗かったり、
あるいは、聞きたくない話が耳に入ったりしたら
じいたんが胸を痛めることは、想像にかたくない。

やってしまったことはもう仕方がないが

ヘマをしないように
そして
もっと精神力をつけて
健康も回復して


継続することでのみ、空けた穴は埋められる。


目標再確認。


わたしの目的は
祖父母の最晩年を、彼らの希望を最大限にかなえた形で
過ごして頂くということ。

じいたんとばあたんの今置かれている状況を
正確に見極めて
自分に出来ることはなにか
それを考えて行動に移していく。それだけ。
目的しか、頭には置かない。
改めて、確認。


////////////////////


今日、病院で寄り添う、じいたんとばあたんの後姿をみて、
つくづくそう思った。

「おじいさんが剥いてあげたものを、
 おばあさんに食べさせてあげたいんだよ、お前さん」

そういって、
病院内のくつろぎスペースで
日の差し込む窓辺で

ばあたんのために、ゆっくりと
だけど器用に
丁寧に柿の種を取り除いて
ひときれひときれ、ばあたんに手渡すじいたんの横顔を。

うれしそうに、受け取って、ほおばるばあたんの
瞳が、笑みをうかべた、その瞬間を。


これを護りたいのだから。それだけなんだ。

通夜のあと。

2005-10-17 14:35:44 | じいたんばあたん
訃報は、突然入ってくるものだ。

先日、じいたんと二人、通夜に出た。
正確には じいたんの甥っ子夫婦が迎えに来てくれたのだ。


行き先は、乗り換え三回、道もややこしい場所。


じいたんは最初

「孫を供につれていくなど、おじいさんにとっては恥だよ。
 だから一人で行くからね、お前さん」

などと言って聞かなかったのだが、


 (90超えたご老体が、夜一人で通夜の席に現れることが
  どれほど 遺族側に要らぬ心配をかけるか、などとは
  よう いえなかった。

  実はこっそり 尾行するつもりでいた。
  都会のど真ん中の、ラッシュアワーは半端ではない。
  しかも夜だ。目印も見えないだろう)


じいたんの甥っ子夫婦が、
「たまちゃんも是非」と言ってくれたらしい。

じいたんも納得してくれて、お供することになった。


***********


亡くなったのは、じいたんの従姉。享年96歳。
わたしから見て六親等にあたる。ぎりぎり親戚のラインだ。
遺影を拝見したら、とても美しいおばあちゃまだった。

じいたんはは久しぶりに、少年時代から見知った人とも
逢うことができたらしい。

通夜の後、用意されていた宴席で、
じいたんは、久しぶりに屈託のない笑顔を見せていた。


**************


だが、ここからが、今日、一番書きたかったことである。

じいたんの甥っ子夫婦に、帰りも送ってもらって、
祖父母宅に着いたら、九時ごろだった。

頂き物の仕分けや、明日のデイケアの準備、
洗濯物の取り入れなどと同時並行で、
自宅へ戻る支度をしていると


祖父が不意に


「おい、たま
 お前さんのパジャマはどこだね?」

とクローゼットを覗きながら言うのだ。


すぐ、どういう意味かぴんと来た私だったが

予め「今夜は帰るから」と言ってあったこともあり
ちょっととぼけた、言葉を返した。


「う~ん、あたしのパジャマ、こっちに入っているけど」

すると、じいたんはすかさず


「お前さん、もう寝る時間だから、支度しなさい」


時計は九時を指している。

…早すぎる。
いつもなら、まだ余裕で祖父と二人、
おやつを食べたりする時間である。


つまり、じいたんは、


「今夜は、泊まっていかないかね」

のひとことを、上手く言えないのだ。
この唐突な行動は、
「帰らないで」という暗黙の意思表示なのだ。


そのとき丁度、彼氏から
「今夜の夜中、たまの部屋に泊めて」とメールがあった。
彼氏には、合鍵を渡してあるので、
「いいよ」と返した。

でも、わたしは、自宅には帰らなかった。

一晩中
眠れなかった。


************


最近のじいたんが、よく口にする

「お前さんに相談するんじゃなかった」
「お前さんに余計な心配をかけるからもう、相談はしない」

といった言葉。


 (ここ、数日の間、急にそういうことを
  言うようになった。
  理由はうすうす見当がついているので、
  そっとしておく)


そして
そういう頑なな態度は全く逆の、

不器用で、子供のような、
でも、必死で何かを伝えようとする、振る舞いと。



…愛おしさで、胸がいっぱいになる。



じいたんがくれた、心のボーナスに泣く。

2005-10-08 06:14:05 | じいたんばあたん
じいたんに、カンファレンスから家裁のことまで
事の顛末を、夜、報告した。

事務的なこと…今日のカンファレンスの内容はもちろん、
ばあたんに後見をつけなければならないだろう、という
新しい情報に加えて、

泣きわめいて、医者に食って掛かったことも、
伯父さんに、心のドスを突きつけたことも
(「いい年して、親の「大丈夫」に甘えんなや!」
 といった内容を怒鳴ったことも、父のことも)
家裁で、出しゃばってあれこれ、口出ししたことも、

全部、洗いざらい。


じいたんの代わりを、果たせなかった
という悔いで、とぼとぼ帰ってきたわたし。

それから、何より
じいたんの息子を傷つけたこと、嫌な思いをさせたこと
じいたんがどれだけ息子を大事に思っているか知っているのに


だから、謝りたかった。
じいたんの気持ちを改めて考えると
一瞬差した魔で、伯父の名誉を傷つけたこと、
取り返しがつかず、泣く資格もないのに泣きそうで。


でも。
すみませんでした、と土下座しようと思った瞬間、


じいたんの手が、わたしの肩をぽんぽん、叩いた。

「お前さん、良く言ってくれたね。
 それだけのことは、お前さんでなければ、言えないさ。」

わたしが、ぽかんとしていると、じいたんは続けた。

「おじいさんとおばあさんのために、
 お前さんは、恥も外聞もかき捨てて、
 お前さんの判断で、
 精一杯やってきてくれたんじゃないか。」

「なかなか、それだけ手厳しいことを、ずばりと
 目上の人に、率直に言うことは、できないものさ。

 おじいさんは、お前さんの、その性分を、
 とても気に入っているよ。

 …わしに、鬼のように怒るのは勘弁願いたいがね」

と、茶目っ気たっぷりに、満面の笑みで許してくれたのだ。


うおううおう、泣いてしまった。
じいたんの膝の上で。


大恩は謝せず。
…じいたんの愛情、一生忘れない。

じいたんに手を引かれて。

2005-10-05 08:07:36 | じいたんばあたん
※「敬老の日記事」の途中ですが、昨日の報告を※

昨日、じいたんと二人で、ばあたんを見舞いに行った。

彼女の様子はほんの少し、落ち着いていた。
相変わらず、トイレに行きたくなったとき廊下で脱ごうとするとか、
カーテンや引き出しを引っ張ってひっくり返るなどはあるが、
それでも、穏やかな笑顔が、戻ってきたような気がする。

わたしのこと、じいたんのことは、
…名前はわかっても、顔が分からなくなりつつあるけれど。


**************


見舞いにいくと、どうしても心身を酷使する。

寝かしつけたり、起こしたり、食事や排泄の介助をしたり、
…何より、ばあたんとのコミュニケーションに複雑な言葉を使えない分、
どうしても、頭にも身体にも工夫がいるからだ。

(でも、その努力がなんとか通じたとき、
 安心のしるしに、私の手を、お乳を吸うみたいに吸う、
 ばあたんの顔は穏やかだ。)


見舞いは精神的にも、あまり楽とはいえない。
看護師長に挨拶がてら、病状などを訊くのだが、
ばあたんの症状についての説明が、聞くに耐えない表現でなされる。
…全ての看護師がアルツハイマーに明るいわけではないのだ。

やるせない気持ちで病室へ戻れば、
「いつおばあさんをつれて帰ろうか」
と、笑顔のじいたんが待っている。
何と答えたらよいのか、わからない。

これからどうすればいいのか…
経済的な問題をはじめ、治療の方針、祖父の独居、
施設の利用、看護師長や医師との交渉…

そんなことを
祖父母に向ける笑顔の奥で、一人考えつづけている。


***************


昨夜は見舞いの後、祖父母宅に泊まる予定だったのだが
お流れになってしまった。

見舞いからの帰り道、わたしが
ひどい眩暈と耳鳴りで
足元もおぼつかなくなってしまったからだ。


乗り継ぎ駅でバスを降りたとたん、地面がぐるぐる回って
しゃがみこんでしまった。
まずい、と思っても、立ち上がれない。

地面がぐるぐる回って見え、冷や汗がどっとでる。

バスに乗る前からめまいはしていたから、
喫茶店でひとやすみしたかったのだが、
天候が怪しかったので、言い出せなかったのだ。
それが、裏目に出た。


「お前さん、時間はたっぷりあるから、ゆっくりと行こう」


暫く休んだ後、立ち上がった私の手を、
じいたんは、ずっと、すっと、引いていてくれた。
(彼も、足元がおぼつかないはずなのに)
じいたんの手は、ひんやりと冷たくて、気持ちよかった。


「お前さん、こんなに手が熱くなってしまっているじゃないか。
 どうしておじいさんに言ってくれなかったんだい?」

と、じいたん。

「それはね、早く帰って二人でコレを食べたかったんだよ。
 ごめんね、じいたん」

私が、甘栗の袋を差し出すと、じいたんは苦笑した。


ふらふらしている私を連れながら、
じいたんは、
夕食の弁当を買ってくれた。朝のためのパンも。

そして
わたしを労わりながら、なるべく楽なルートを使って
(エスカレーターよりはエレベーターなど)
地下鉄を移動してくれた。

そして、地下鉄に乗った後、最寄駅からタクシーで、
わたしを自宅まで送ってくれた。



じいたんは既に、方向などが分からない。
駅などでは、目を離すと違うほうへ歩いていってしまうし、
見知らぬ場所のトイレなどでは、とまどうことが多い。

先日受けた、心理検査の結果を見るまでもなく
見当識の障害はかなり高度だ(時間と空間が分かりづらい)し、
情報を取捨選択して、複雑な判断する能力が、衰えている。


それでも、
わたしの具合が悪いとなると急激に
「しゃきーん!」となって、

わたしの食べ物を用意し、
自宅で一人で休ませようという判断をしてくれ、
わたしに道を聞きながら、何とか自宅まで送ってくれた。

自宅で毛布にくるまって、少し、泣いた。


どこまでいっても、じいたんの愛情には及ばない。

敬老の日、前夜祭(2) 母と、じいたんと

2005-10-04 01:40:58 | じいたんばあたん
中華街へ向かう前に、妹から、封筒を手渡された。

「お母さんからだよ、姉ちゃん。」

中には、一万円札、五枚。

「お母さんから、伝言だよ。
 『これで、おじいちゃんのお祝い料理を用意しなさい。
  どうせあんたはいつも、山ほど自腹切っちゃってるんだろうから、
  残りは少しでも、生活の足しにしなさい』」

不覚にも涙が出る。
母は、やっぱり、わたしの母だ。

しっちゃかめっちゃか、やりたい放題の
翔んでるキャリアウーマン。
波乱万丈な人生を「わが道を行く」と突き進んできた、彼女。

彼女と私との間には、いろんなことがあった。
それ以上に、祖父母ともお互いに、傷つけあってきた、母。
不名誉なことも、辛いことも、許せないことも、
いっぱいあった。


だけど、やっぱり、私の、母だ。

じいたんが、妻を入院させて、力を落としていること
(母自身、配偶者の病気で苦しんできた)
そしてそのことに、私が胸を痛めていること
(もちろんそんなことは言いはしなかった)
母は、遠くからでも、分かってくれていたのだ。

そのことが、うれしかった。


****************


妹たちを連れて、祖父とばう=彼氏のいるところへ向かう。
彼らは、明日の朝の食材を、デパ地下で仕入れていた。

明日=敬老の日の朝ごはんは、祖父母宅で
私たち(妹、妹彼、ばう(←私の彼)&たま)が
じいたんを囲んで、5人で取ると決めてあった。

じいたんはじいたんで、先手を打って
ばう(私の彼)に相談し、
わたしにナイショで
明日の食材を色々と、物色しに行ってくれていたのだ。


デパ地下の雑踏の中、
妹よりも、妹の彼氏に、先に気づくじいたん。
「よく、お運びくださった。ありがとう、ありがとう」
そういって、何度も手を握る。

「明日の朝は、何を食べたいですかな?」
嬉々として、材料を選んでいるじいたんの、横顔。
駆けつけてくれた、妹と妹の彼に、感謝する。


**************


予約してあった「敬老の日ケーキ」を拾ったあと、
じいたんに、

母から、言付かったので、
中華街で、ご馳走させて欲しいというと、

じいたんは、一瞬驚いた顔をして、
鼻を赤くした。

「お前さん、お母さんはお前さんのことを心配しているんだよ。
 そのお金は、お前さんが持っておきなさい」

そんなことを言う。

「じいたん、あのね。
 うちの母はね、パパの代わりに、少しでも
 じいたんを喜ばせたくて、
 自分の小遣いを、妹に持たせたんだと思うの。

 それから、行き届かないわたしと
 一緒にいてくれることへの、感謝の気持ちを
 じいたんに、伝えたいのだと思う。
 だからね、今回は、これでお祝いしよう?ね!」

わたしがそう言うと、
じいたんは一瞬、泣き笑いのような表情を見せた。
でもすぐに、満面の笑顔に切り替えて、

「じゃあ、おじいさん、ご馳走になるよ。
 ご馳走になって、元気をつけて、長生きをするよ」

と言ってくれた。

そうして、ばうの運転、妹の店チョイスにより
中華街へ5人で、向かう。
じいたんと、孫(+孫みたいなもの)4人で。

まるで昔に戻ったみたいに、
じいたんがその昔、自分ひとりで孫たち5人をつれて
佐渡に渡ったときのように、
過ごしたくて。

敬老の日、前夜祭(1)

2005-10-04 00:59:48 | じいたんばあたん
※少し前のことなんですが、やっと書ける状態になったので※

敬老の日前日の、午後のこと。

彼氏が、車を出してくれた。
それで、じいたんへのお祝いを買いに、
じいたんとわたしと彼氏三人で、横浜高島屋へ。

じいたんは助手席が大好きなので、
彼氏と二人、前に乗りながらすこぶるゴキゲンo(^-^)o

彼氏と実の孫みたいに仲の良い、じいたん。
幸せそうなじいたんの顔や、穏やかな声を聞くと、
一人後部座席で鼻がツーンとしてしまう。


品物は、夕方、広島から訪ねてくる、
妹とその婚約者からのカンパもあるので、
予算に余裕がある。
じいたんに、じかに選んでもらえるから、
却って良かった。サイズもあるし。

実は、ベストと靴下を用意済みではあったのだけど、
秋もののズボンとシャツが足りないことが、ずっと気になっていたのだ。


**************


じいたんは、何着か試して、
ウエストにゴムが、見えない形で仕込んである、
優しいグレーのスラックスを選んだ。

年を取ると、どうしても
座ったままの姿勢でいることが多くなる。
お出かけするときも、電車の中で立たせておくのは危険だ。
だから、とにかく着ていて楽なものがよい。

かといって、ジャージに毛の生えたような服装をしていると
気分もやはり、老いてしまう。

だから、身体に合った服を探すということは、
若い人以上に大切なことなのだ。

お値段は張ったけど、いいものを選べた。


***************


それでもまだ、足りない気がして、シャツ売り場へ。

高島屋まで車で出かけられるチャンスはそれほど多くない。
(それから、プレゼントという口実があるチャンスも)
十月二日がじいたんの誕生日である。
だから、その分も「四人から」ということで、先に用意しておいた。

普段はあまり服を欲しがらない祖父。

「今あるもので、間に合うから」

それが、口癖。
明治大正の匂いがしみこんでいる彼にとって、
服は、それほど枚数を持たないことが、もともと自然なのだと思う。

それでも、シャツ売り場に行って、
わたしがあれこれ祖父に勧めてみると、

「お前さん、勿体無いよ」といいながらも
ちゃんと、自分好みのシャツを選んでくれた。

わたしの自己満足だけ、かもしれない。
だけど、だけど、とっても嬉しい。
だって、じいたんが、満面の笑みを浮かべて
相方に「似合いますかな?」と訊ねていたのだもの。


*************


その後、三人でお茶をしているうちに、
妹とその彼氏が、高島屋に到着。

前回の見舞いから、一ヶ月も経っていないのに、
「少しでも時間があったら、おじいさんとお姉ちゃんのために時間を使おうよ」
と言って、広島から妹を連れてきてくれた、妹の彼。

二人の顔を見ただけで、うれしくなった。


…今夜は、じいたんを囲んだ、集いだ。
中華料理が大好きな、じいたんの、お祝い。
だから、中華街へ繰り出すことにする。

じいたんに、少しでも、
長生きをしてくれた「実り」を手にして欲しい。

愛されて長生きしているのだと、実感して欲しい。

たま、じいたんを、迷子にする。

2005-09-28 23:51:31 | じいたんばあたん
バスで寝過ごし降り損なった。
先週の火曜日の、見舞いのときのことだ。


ばあたんの病院へ行くためには、地下鉄のほか、途中でバスを乗り継ぐ。
所要時間は、片道約1時間半。

その乗り継ぎ点は、バスの終点だったのだが、
じいたんだけが降りてしまい(席が離れていたのだ)、
わたしは爆睡したままバスに運ばれていったという訳だ…orz

折り返して二駅のところで
バスの運転手さんが気付いて、起こしてくれた…orz


ああ、じいたん、ごめん~(T_T)(T_T)(T_T)


焦りまくりながら駅まで、走って走って、

じいたんがいるであろう南口まで、
北口から回りこんで(道がよくわからなかった)、

南口のバス降り場から電車乗り場に上がる階段の中途で、
運よくじいたんを発見。


「じいた~ん!」


じいたんは、私が先に、次の乗り換え場所にいってしまい、
自分は置いてけぼりを食らったと思っていたらしい(;^_^A

自力で病院まで私を追っかけなければ、
と乗り換え駅のバスターミナルをうろうろしたらしいが、

あの複雑な乗り換え場所が、分かるはずもない。
じいたんは、見当識が著しく低下しているのだ。


謝って、ことの顛末を説明し
(じいたんが理解するまで…30分くらい。
 置いてきぼりにされた、と、ずっと怒っていた(;^_^A
 そんなじいたんが、可愛くてたまらないわたし^^)
それでも腑に落ちないという顔をしているじいたんに、

あたしが、じいたんを置いていくはずないでしょ( ̄□ ̄;」

と言うと、


「お前さんが、そんな(バスの終点で寝過ごすような)
 トンマだとは思わなかったから( ̄~ ̄)ξ」


と、じいたん。


二人で顔を見合わせ、大爆笑。


ああでも。笑い話程度で済んで本当に良かった。
これで祖父の身になにかあったら、取り返しがつかなかったところだ。

皮肉。…だけど、幸せ。

2005-09-15 15:57:46 | じいたんばあたん
ばあたんが入院して、四週間めに入った。


今はまだ、見舞いに行く間隔を
控えめにしなければならない時期で、

(今のばあたんにとっては、
 刺激をなるべく避けて静かに過ごすことと、
 病院に慣れて治療に移れる体制を整えることが
 最優先なのだ)
 
わたしとじいたんは、
毎週火曜日に、二人でばあたんを見舞うことにしている。

電車とバスを乗り継いで、片道1時間半以上かけて。


もうすぐ誕生日を迎え、また一つ年齢を重ねる
90代の我がじいたんにとって、決して楽な道のりではない。


それでもじいたんは、懇願する。

「たま、すまないけれども、
 おばあさんのところへ連れて行っておくれ。
 もうおじいさんは、一人では行くことが出来ないから」

…わたしひとりで見舞いに行ってくれるな、と哀願する。


*****************************


道中、じいたんとわたしは、お互いを気遣い合う。
なるべく、楽しく過ごせるように。

普段は決して行かないようなお店で食事をしたり、
花屋に寄ったり、
ちょっと道順を変えてみたり、
…それから、バスの窓から見える風景を
二人で眺めて、喜んでみたり。


それでも、やはり見舞いの後のじいたんは
たいてい、無言だったりするのだけど。



そういうときは、そっとしておく。


そして、頃合を見計らって、
小さかった頃のわたしに戻ってみる。

ちょっとめまいがするから、手をつないでって頼む。
薬を飲ませて、とベンチに座る。

美味しい食べ物やさんを、さがす。
とってもおなかが空いたよ、と言って。
あのパン食べてみたいよ、って、おねだりをして。


*****************************


前々回の見舞いの帰り道は、

「90超えた祖父と孫、ふたりきり」では
ふつう、決して、入らないような、
かなり渋いお店で夕食をとった。


基本的には焼き鳥がメインの居酒屋なのだけど、
手打ちのそばも食べさせてくれる、そんなお店。

店員さんは、ひとめで、わたしたちが
祖父と孫とわかったようで、
少しゆったりと、サービスしてくれた。


わたしが、おいしい、おいしい!と
あっという間に蕎麦をたいらげてしまうと、

「お前さん、もっともっと頼みなさい。
 お前さんが遠慮しているのは、おじいさんお見通しだよ」

お品書きを差し出して、とても嬉しそうに笑う。
さっきまでの淋しそうな表情は、そこにはない。


*****************************


介護を始めたころは
よく「舅と嫁」に、勘違いされていた、わたしたち。

今になって、やっと、こんなかたちで
「ごく普通の祖父と孫」に戻れる時間を持てる。

なんだか皮肉。

だけど。
とてもとても、幸せ。

最善を尽くす。それしか、ないよね。

2005-09-14 23:21:08 | じいたんばあたん
要介護3だったばあたんの、
介護認定の見直し結果が、先日、届いた。

書類に記載されていた介護度は


 「要介護5」 


…もう、そんなところまで来てしまったのか。

正直、もう少し先のことだと思っていた。

「ばあたんは、まだ大丈夫」
心のどこかでわたしは、そう思っていたかったようだ。



認定のとき、調査員の方は、
直接、ばあたんとも面接して様子をつぶさに見てくださった。

かかりつけ医も、こまめにばあたんの様子を観察しながら、
ときには出先から、様子を訊ねるお電話をくださったりして、
本当に本当に濃やかなお心遣いをくださっていた。

そんな、プロの目からみた、ばあたんの状態。
そこからでた、結論。

やっぱり家族は、
「現実」より少し良さ目に
患者の状態について認識していたい、と
無意識に思ってしまうのだろう。



先日の見舞いの際、病棟の看護師長からも、
こんな言葉を告げられた。

「この状態では、在宅介護はまず無理だと思います。
 私たちはプロですが、それでも率直に申し上げると、
 周辺症状への対応に苦慮する場合があります。

 入院なさるまでよく、持ちこたえて来られましたね。」


やっぱり、客観的に見れば、そうなのか。
少々ショックを受ける自分を自覚する。



それでも、頭では、わかっているのだ。
ばあたんの疾患=アルツハイマーの性質上
在宅で最後までというのは、やはり厳しいということを。

アルツハイマー型認知症は、れっきとした「病気」だ。

対症療法的な治療や、病状に合った住環境を整えることで
もう少しだけでも、ばあたんを楽にしてあげられるかもしれない。



そして、ばあたんのことだけじゃなく、
じいたんのこと。

介護に疲れ果て、
穏やかに二人が育んで来た情愛を
いつくしみの気持ちを
損なってしまうことのないように、

じいたんとばあたんが、
慈しみ合いつつ最後まで添い遂げられるように

そのことを、いつも、心に思う。
強く、とても強く。



在宅介護を選択した場合、
じいたんが、
ばあたんの介護を24時間、目の当たりにすることになる。

そうすると、じいたんのQOLは著しく損なわれてしまう。
それは、入院前の生活で嫌というほど思い知らされたことだ。

ばあたんの入院後、やっと
本来の自分の生活ペースを取り戻しつつある
じいたんの姿。

そして、じいたんのために、わたしが、
充分に時間を割くことができるようになって
ある意味安定した、じいたんの心。


それを見て、心底ほっとしているわたしがいる。




当のじいたんは、

「お前さん、おじいさんは、決心したよ。
 新しい住まいを探してくれたまえ。
 昼間でも暗い場所が、この家には多すぎる。
 おばあさんのためなら、おじいさんは、
 できることならどんなことでも、してやりたいんだよ」
 
と、あっさり言い切った。
ようやく、腹をくくったようだ。


そしてわたしも、現実には

退院後(随分先になるが)
・どのような手順でばあたんを受け入れて、
・どのようなタイプの施設を最適と判断し
 (介護つき有料老人ホームだけではなく、いろんな選択肢を探して)
・今の住居をどのような形にするか
 (転売するのが非常に難しい物件なのだ)

など、To Do リストを作り、優先順位を考え、
ケアマネや居宅介護事業所の方などに相談するなど、
動き始めている。


こころが、どこかついていかないまま。


そして、
こころがついていかなくても

現実を捌いていくということの大切さを、
繰り返し、確認しながら。



追伸(呟き):

できれば最後まで在宅で看たい、という気持ちを
どこかでわたしは、捨てきれないのだと思う。
祖父母の世代にとっては、それが自然なことだと
日々接していて思うからだ。

(じいたんと話していると、
 言葉の端々にそういう想いが見え隠れする。
 そしてわたしは、その気持ちが痛いほどわかる)

彼らにとってなるべく自然なかたちで、
お別れの朝まで、過ごせるようにセッティングしていく


「最善をつくす」

それしか、ないよね。

火曜の見舞い、そしてその後。

2005-09-01 16:07:14 | じいたんばあたん
じいたんと二人、昨夜は、ベランダで
夜空を行き交う飛行機を眺めて過ごした。

「ねえじいたん、一機に500人くらい乗っているとして、
 じいたんと私の上を
 何人くらいの人が毎日、通り過ぎてゆくんだろうね」

とか

「雲の下に飛行機が走っているよ、お前さん。
 秋が来て、空が高くなった証拠だ」

とか

「お前さん、老若男女が通り過ぎていくよ。
 この道路の光の渦のなかに、たくさんのひとがいるんだ」

二人で、そんなことを話しながら、長いことベランダで涼んだ。


***********************


火曜日、わたしたちは、ばあたんの見舞いに行った。

けれど、 あまりの、ばあたんの状態の悪さに
じいたんは一時間半かかる帰り道、終始無言だった。



昼食の介助をしたときも、
ばあたんがあまりに嫌がるので、
じいたんは、手を出せずにいた。普段ならやりたがるのに。

食事はとてもおいしそう(そしておいしい。味見をした)
なのだが、ばあたんは、食べようとしない。

食べやすく手を加えて介助する。

スプーンからでは食べてくれないのだが、
私の指をきれいに洗って、直接食べ物を指で運ぶと、
なんとか食べてくれる。
それでも、全体の3分の1程度でギブアップ。

仕方がないので、
持ってきたゼリーと果物、アイスクリームなどをようやく、食べてもらう。


認知の低下が進んでいるのがわかる。
食べ物の名前が通じない。
指から食べ物をあげると食べてくれるのは、
安心感があるからなのだろうという気がする。


頑張って食事を終えたばあたんは、ほとんど泣き顔。

「ほら、おばあさんの大好きな童謡だよ」
じいたんが、私を促し、CDを掛けさせる。

だけどばあたん、
「歌が思い出せないの」
と嘆く。すすり泣く。

前だったら「思い出せないわ」といいつつ
ほがらかに過ごしていたのに。


車椅子で屋上に連れて行くが、怯える。泣く。
じいたんが頑張っても頑張っても、空回りしてしまう。


病院は、簡単に

「いつでも見舞いに来ていただいてかまいません。
 帰られたあと動揺なさってもスタッフで何とかしますし、
 食欲がないので、是非はげましてあげてください」

と言った。


だが、うちは、じいたんとばあたん両方が、大事なのだ。
こんな状態なら、じいたんをつれてこなかったのに。
看護師長、無責任すぎ。

他にも、介助のしかたなどで気になったことがあったので、
じいたんに、ばあたんを頼んで、
ナースステーションにあれこれ注文をつけに行った。
主治医とも、治療方針について改めて話をし、


戻ってくると、

病室の手前で、二人の会話が耳に入ってきた。



「殺して…」とすすり泣く、ばあたん。

「何を言っているの、おばあさん。
 僕たちは、二人三脚でいままでやってきたじゃないか。」

と励ますじいたんに、

「"二人三脚"という言葉の意味が、わからないの。
 全部、わからないの。怖いのよ。」

「わたしが犠牲になれば、いいのね」

などと言葉をぶつける、ばあたん。


それでも懸命に慰めるじいたんの姿が痛々しくて、
わたしは、病室に入れず、回れ右して外へ出た。



喫煙所で、他の患者さんのご主人と話をした。
彼の妻は末期がんだが、時々まだ意識が戻るそうだ。

でも医師たちに、
「胃ろうを入れる処置も患者さんにとってはもう、酷なのでは」
と言われ、辛い決断に迫られているとのこと。

そんな話を黙って聞きながら、
深々と礼をして、病室に戻り、

おやつの時間をうまく利用して、ばあたんを
介護士の女性にお任せして
じいたんと二人、病院を後にした。


自宅に帰ってからも、無言でありながら、
時々ふと我に返って、私に言葉をかけてくれる祖父。

そんな気遣いを、させたくなくて、
火曜日は、早めに祖父母宅を辞去した。


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昨夜は、ベランダから戻って、二人で葡萄と梨を食べた。

食べながら、新しい住まいについて、話をした。

「おばあさんが怖がらない、住まいを、用意したいんだよ。
 お前さん、調べてくれているんだろう?」

そういってじいたんは、あれほど嫌がっていた
介護つき有料老人ホームやら何やらについて、
積極的に話を聞こうとする。

心とは裏腹に、淡々と、じいたんの質問に答える。



帰る時間になって、

「今日は、うちに泊まっていくかい?」

じいたんは言った。
たぶん、さみしかったのだと思う。


でも、私の体調があまりにも悪い(病気じゃないんだけど)ので、
その旨を説明して辞去した。


これ以上、「元気のない誰かの姿」を
じいたんに、見せるよりはましだという気がして。


自転車を漕いで祖父母宅を見上げると、
じいたんの気配がした。