じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

火曜の見舞い、そしてその後。

2005-09-01 16:07:14 | じいたんばあたん
じいたんと二人、昨夜は、ベランダで
夜空を行き交う飛行機を眺めて過ごした。

「ねえじいたん、一機に500人くらい乗っているとして、
 じいたんと私の上を
 何人くらいの人が毎日、通り過ぎてゆくんだろうね」

とか

「雲の下に飛行機が走っているよ、お前さん。
 秋が来て、空が高くなった証拠だ」

とか

「お前さん、老若男女が通り過ぎていくよ。
 この道路の光の渦のなかに、たくさんのひとがいるんだ」

二人で、そんなことを話しながら、長いことベランダで涼んだ。


***********************


火曜日、わたしたちは、ばあたんの見舞いに行った。

けれど、 あまりの、ばあたんの状態の悪さに
じいたんは一時間半かかる帰り道、終始無言だった。



昼食の介助をしたときも、
ばあたんがあまりに嫌がるので、
じいたんは、手を出せずにいた。普段ならやりたがるのに。

食事はとてもおいしそう(そしておいしい。味見をした)
なのだが、ばあたんは、食べようとしない。

食べやすく手を加えて介助する。

スプーンからでは食べてくれないのだが、
私の指をきれいに洗って、直接食べ物を指で運ぶと、
なんとか食べてくれる。
それでも、全体の3分の1程度でギブアップ。

仕方がないので、
持ってきたゼリーと果物、アイスクリームなどをようやく、食べてもらう。


認知の低下が進んでいるのがわかる。
食べ物の名前が通じない。
指から食べ物をあげると食べてくれるのは、
安心感があるからなのだろうという気がする。


頑張って食事を終えたばあたんは、ほとんど泣き顔。

「ほら、おばあさんの大好きな童謡だよ」
じいたんが、私を促し、CDを掛けさせる。

だけどばあたん、
「歌が思い出せないの」
と嘆く。すすり泣く。

前だったら「思い出せないわ」といいつつ
ほがらかに過ごしていたのに。


車椅子で屋上に連れて行くが、怯える。泣く。
じいたんが頑張っても頑張っても、空回りしてしまう。


病院は、簡単に

「いつでも見舞いに来ていただいてかまいません。
 帰られたあと動揺なさってもスタッフで何とかしますし、
 食欲がないので、是非はげましてあげてください」

と言った。


だが、うちは、じいたんとばあたん両方が、大事なのだ。
こんな状態なら、じいたんをつれてこなかったのに。
看護師長、無責任すぎ。

他にも、介助のしかたなどで気になったことがあったので、
じいたんに、ばあたんを頼んで、
ナースステーションにあれこれ注文をつけに行った。
主治医とも、治療方針について改めて話をし、


戻ってくると、

病室の手前で、二人の会話が耳に入ってきた。



「殺して…」とすすり泣く、ばあたん。

「何を言っているの、おばあさん。
 僕たちは、二人三脚でいままでやってきたじゃないか。」

と励ますじいたんに、

「"二人三脚"という言葉の意味が、わからないの。
 全部、わからないの。怖いのよ。」

「わたしが犠牲になれば、いいのね」

などと言葉をぶつける、ばあたん。


それでも懸命に慰めるじいたんの姿が痛々しくて、
わたしは、病室に入れず、回れ右して外へ出た。



喫煙所で、他の患者さんのご主人と話をした。
彼の妻は末期がんだが、時々まだ意識が戻るそうだ。

でも医師たちに、
「胃ろうを入れる処置も患者さんにとってはもう、酷なのでは」
と言われ、辛い決断に迫られているとのこと。

そんな話を黙って聞きながら、
深々と礼をして、病室に戻り、

おやつの時間をうまく利用して、ばあたんを
介護士の女性にお任せして
じいたんと二人、病院を後にした。


自宅に帰ってからも、無言でありながら、
時々ふと我に返って、私に言葉をかけてくれる祖父。

そんな気遣いを、させたくなくて、
火曜日は、早めに祖父母宅を辞去した。


*********************



昨夜は、ベランダから戻って、二人で葡萄と梨を食べた。

食べながら、新しい住まいについて、話をした。

「おばあさんが怖がらない、住まいを、用意したいんだよ。
 お前さん、調べてくれているんだろう?」

そういってじいたんは、あれほど嫌がっていた
介護つき有料老人ホームやら何やらについて、
積極的に話を聞こうとする。

心とは裏腹に、淡々と、じいたんの質問に答える。



帰る時間になって、

「今日は、うちに泊まっていくかい?」

じいたんは言った。
たぶん、さみしかったのだと思う。


でも、私の体調があまりにも悪い(病気じゃないんだけど)ので、
その旨を説明して辞去した。


これ以上、「元気のない誰かの姿」を
じいたんに、見せるよりはましだという気がして。


自転車を漕いで祖父母宅を見上げると、
じいたんの気配がした。

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2 コメント

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悲しくて美しい (neko50)
2005-09-02 12:23:28
生きるということの悲しくて美しい光景が、

まるで目の前に繰り広げられているかのように

見えます。

ありのままを受け入れるということの

静かな優しい光景。

日本中にいくつもあるだろう光景の断面を

切り取って見せていただいたような気がします。

あなたとおじい様に心安らかな時間が

たくさんありますように。
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いくつも>neko50さん (介護人たま)
2005-09-02 23:16:06
多分、祖母に寄り添う祖父の姿や

わたしと祖父のベランダでのひととき、

そういったものと、同種のものが、

空から地を眺めると、きっと、

いくつもいくつも静かに瞬いているのだと思います。

ほんとうに、ごくありふれた、ささやかなエピソードだけれど、こういったものが同じ空の下にいくつも、ちいさく光っていることを、覚えておきたくて。

いつも、ありがとうございます。
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