お寺の修行体験は、
私ぐらいの年齢がちょうどいいんじゃないかと思っていたら
働くことにも 結婚することにも希望が持てない
若い方が訪ねてくるらしい。
もっと若い学生さんに至っては、
死んでも生き返ると思っており、
ネコを殺して魂を探す・・・
なんて話をきくと、
本当に、もうそんなところまできてるの?
耳を疑う。
働かなくても ご飯を食べることができて。
受動で誰かを養っていくより能動に徹して。
必要に迫られることがないうちに
すべて当たり前になってしまうという怖さ。
ぬるま湯が怖いのは、
出ると ひやっとして、
ずっとつかっておいた方がいいと
抜け出せなくなるところかもしれない。
身近な人の死に触れることがなく、
死ぬということがわからないのであれば、
植物でも動物でも
何かを育ててみればいいのではないだろうか。
無理に希望を持とうとせず、
誰かのためにできることはないか、
なぜ生まれてきたのか、
(自炊しながら)
自分の使命を考えてもいいかもしれない。
ちなみに、私はこの歳になっても
自分の使命がわからないけれど、
何かお役に立ちたいとできることを探している。
そんな簡単なもんじゃないと反論されるかもしれないが、
身体を動かして、お腹をすかして・・・
人間は動物なのだと時折、思い出した方がいいのかもしれない。
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