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街の散歩…ひとりあるき

14白縫い、志渡の浦曲(うらわ)にうつり住、手なれぬ海人(あま)の業をしつ、潮を汲み貝を拾ひやうやくその日を送り給ふ…『椿説弓張月』前編 巻之六

2021年11月27日 | 絵画・彫刻
旦開(あさげ)の煙たてかねて、十人の女使(こしもと)も、已(やむ)ことを得ず身の暇を給はりて、おのが
さまざまななりもてゆき、今は紀平治と二人の女童(めわらは)のみ残りとゞまりしかば
志渡の浦曲(うらわ)にうつり住、手なれぬ海人(あま)の業をしつ、潮を汲み貝を拾ひ
やうやくその日を送り給ふに、紀平治ははじめより、女あるじとひとつに
居らん事を厭ひて、白峯といふところに退去し、薪(たきぎ)を樵(こり)墨を焼て
僅なる銭を得れば、これを志渡に送りて、白縫主従が衣服の助けとせり
白縫は又海船旅人が江湖上(よのなか)の雑談(ぞうだん)するにも耳を欹(そばだ)て、
御曹司の安否を
しらまぼしくおぼせしに、有一日行僧(たびそう)が東路の物かたりする序(なへ)に、鎮西八郎
為朝は、伊豆の嶋々を打したがへ憚る気色もなく在すれば、領主狩野介
茂光ももてあまし、今は彼(かの)嶋々へ船の往来を停(とどめ)て、みづから防禦(ふせぐ)の外
に為出(しいだ)したる事もあらずなど、語るを聞く。まづうれしくいかにもして
大嶋へ消息し、わが恙(つつが)なきをもしらせ進(まゐ)らせ、次いでよくはわが身も渡海せば
や、とはおぼせども、浪風あらき青海原の稀に渡るも難(かた)かるべきに、嶋への
往来を停(とどめ)られたりと聞ゆれば、これも又こゝろに任せず。更にひとつの物思
ひをまして、あるにかひなき世をはかなみ、こゝに八年(やとせ)の月日経て、長寛二年
八月下旬(はづきすえつかた)の事なりけん。浦人等かいひもて傳(つたふ)るを聞くに、さても新院は、年来(としごろ)
御立願の事おはしますと聞えしが、この七日ばかりは、夜な夜な直嶋(すぐしま)の磯方(いそべ)
に潜(しのび)出給ひ、潮水に御姿をうつして、讀経し給ふ。龍顔のいとおどろおどろしき
を、面(まの)あたりに見奉りしものもありとぞ、こは實語(まごと)やらん、虗言(そらごと)やらん、いと痛(いたま)
しきこと也かしとさゝめきあふを、白縫つくつくとうち聞て、わが身久しくこの
浦に住ながら、守(も)る人の隙なければ、情由(ことのよし)をしらせ奉るよしもあらざりしに、
もしこの事實語(まごと)ならば、玉體(ぎよくたい)に親(ちか)つきて、夫がうへも聞え、わが誠忠(まこゝろ)の程

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