matta

街の散歩…ひとりあるき

“佛御前、嵯峨野に祇王 祇女をとう”

2019年12月06日 | 
Leica SL/Vario-Elmarit-SL24-90mm.

“佛御前、嵯峨野に祇王 祇女をとう”

草深い嵯峨野を
髪をおろし、尼の姿の美女十七歳がいく。
左上の庵、往生院のちの祇王寺で待つは
すでに出家した祇王と祇女の姉妹。
(『北斎漫画』九編)
この現場を見たくて訪れるも
いまや奥深い嵯峨野ということはない
さらに庵は本堂として
明治二十八年に再建されたものという。






「…都に聞こえた白拍子の上手に祇王、祇女
という姉妹があった。姉の祇王が清盛の寵愛
を得て、妹祇女も有名となり、安穏に暮らし
ていた。ところが仏御前と呼ばれる白拍子が
清盛の屋敷に現れて、舞いをお目にかけたい
と申し出た。清盛は門前払いをしようとした
が、祇王が優しくとりなしたので、今様を歌
わせることにした。
仏御前は、声も節もすこぶる上手だったため、
清盛はたちまち仏御前に心を移した。昨日ま
での寵愛はどこへやら、祇王は館を追い出さ
れることとなった。せめてもの忘れ形見にと
萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草
いづれか秋に あはではつべき
と障子に書き残して去っていく。
祇王、祇女、母刀自の三人、髪を剃って尼と
なり、嵯峨野の山里、今の祇王寺の地に世を
捨て、仏門に入る。
母子三人念仏しているところへ竹の編戸をほ
とほとたたく者がある。出てみると、思いも
かけぬ仏御前であった。『祇王の不幸を思う
につれ、無常を感じ、今朝、館をまぎれ出て、
かくなりてこそ参りたれ』と被っている衣を
打ちのけるのを見れば、剃髪した尼の姿であ
った。わずか十七にこそなる人の、浄土を願
わんと深く思い入り給うこそ、四人一緒に籠
もって、朝夕の仏前に香華を供えて、みな往
生の本懐を遂げた」
(『祇王寺』の栞より)

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