「怨霊とか幽霊とか怖くないの?」と、仕事先のおばちゃんに聞かれた。
「いや、みんな死ぬんだし、そんな怖いもんじゃないと思いますよ。」と私。
「お、さすが!三途の川経験者は違うねぇ。」と側にいてた内科医。
何度か「死」の事について書いているけど、本日も。
1998年5月23日に呼吸停止で死にかけてた私。
あの時みた光景、万華鏡のように鮮やかな数々の折り鶴は今でも覚えている。
死ぬまでは本当に苦しいし、最高に辛いだろうけど、
ある所を超えれば、意識を失う(多分)。
その後、苦しさも何も感じず、
あの折り鶴が死ぬ間際に見られるならば、素敵な光景かも知れない。
あの経験以後、人間は常々「死」と隣り合わせで生活している事を実感し、
「死」そのものをそんなに怖く感じなくなったかもしれない。
そして、「死」を忌み嫌う考えがいいとは思わなくなった。
みんな死ぬのに、「死」を汚いものみたいに扱うとは。。
もし、あのまま私が死んでいても、恨みや浮かばれない云々で
幽霊になって、この世に現れることはなかったと思う。(というか、何の恨みだ?)
死んでからも、何か迷惑をかけるって、そりゃもっと迷惑やろー?
一番怖いのは、生身の人間。
幽霊には殺されることないけど、人には殺される。
「いや、みんな死ぬんだし、そんな怖いもんじゃないと思いますよ。」と私。
「お、さすが!三途の川経験者は違うねぇ。」と側にいてた内科医。
何度か「死」の事について書いているけど、本日も。
1998年5月23日に呼吸停止で死にかけてた私。
あの時みた光景、万華鏡のように鮮やかな数々の折り鶴は今でも覚えている。
死ぬまでは本当に苦しいし、最高に辛いだろうけど、
ある所を超えれば、意識を失う(多分)。
その後、苦しさも何も感じず、
あの折り鶴が死ぬ間際に見られるならば、素敵な光景かも知れない。
あの経験以後、人間は常々「死」と隣り合わせで生活している事を実感し、
「死」そのものをそんなに怖く感じなくなったかもしれない。
そして、「死」を忌み嫌う考えがいいとは思わなくなった。
みんな死ぬのに、「死」を汚いものみたいに扱うとは。。
もし、あのまま私が死んでいても、恨みや浮かばれない云々で
幽霊になって、この世に現れることはなかったと思う。(というか、何の恨みだ?)
死んでからも、何か迷惑をかけるって、そりゃもっと迷惑やろー?
一番怖いのは、生身の人間。
幽霊には殺されることないけど、人には殺される。