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世界に恥を晒した国産ジェット機開発撤退なり〜やっぱり中島飛行機が航空機事業継承してればなぁ~

2023-02-21 03:15:19 | 飛行機
う~ん、情けないというかねぇ~
結局は、三菱重工の技術では出来なかったってこと。

ゼロ戦が日本一とか言われてたけど結局、宣伝上手だっただけってことだなぁ~
結局、中島飛行機の技術者が航空機技術を継承しなかったツケだなぁ~
小山さんが戦後、飛行機の開発をしていればと思い知らされたです。

MRJは、開発には約15年の月日をかけて1兆円規模の資金を投じたでつ。
だけどmついに事業化には至らなかったでつ。。
日本の産業史に大きな汚点を残して、世界に恥を晒したでつ。

約500億円もの国費もつぎ込まれた大型プロジェクト。
三菱重工の歴代の経営陣が適正な判断をしてきたと総括したでつが、経営責任が問われるのは
言うまでもないでつ。

監督官庁である経済産業省など政府も失敗をきちんと検証すべき。
これまでの経緯をひもとけば、様々な教訓が浮かび上がるでつ。

そもそも見通しが当初から甘かったでつ。
2008年に事業化を決定したでつが、わずか1年余りで主翼や胴体といった基幹部分の
大幅な設計変更を迫られたでつ。

その後も主翼の強度不足など欠陥が露呈。
13年に予定していた初号機の納入を6度も延期する事態となったでつ。

当初は1500億円と見積もっていた開発費が膨れ上がるだけでなく、開発が遅れる間に肝心の性能面でも
海外企業に追い抜かれてしまったでつ。

航空機の開発でハードルとなるのが、機体の安全性などに問題がないことを示す「型式証明」の取得。
主に試験飛行を繰り返して証明していくでつ。
1973年に生産が終了した「YS-11」以来の作業であり、このノウハウが欠けていたでつ。

技能が途絶えていた影響は大きかったでつ。
海外から招いた認証取得の専門家を開発全体の責任者に据えた頃から、現場が混乱して事業化に
暗雲が漂い始めたでつ。

経営陣と現場の関係もぎくしゃくした感が否めないでつ。
背景には独立心が強い航空畑の幹部との主導権争いもあったでつ。

対照的なのが15年にビジネスジェット機を実用化させたホンダ。
本社の経営陣が代わっても30年にわたって開発現場を支えてきたでつ。
今回の失敗をきちんと総括し、次世代の様々な事業開発につなげるべき。

少なくとも戦闘機を創ってるわけだから全くノウハウがないわけではないでつ。
何もないところから国産飛行機を飛ばしたホンダには到底及ばないでつ。
そもそもエンジンを国産化しない時点で終わってたってことでつ。

こりでもう二度と日本の航空機は飛ばないだろうね。
ホンダがどこまで頑張って来くれるかだけど小型と大型ではまた違うところも大きいからね。
飛ばない飛行機だけど、救世主が表れることを祈るでつ。

そりにしても電子立国と言われ、戦後は欧米の技術を盗んで発展してきたわけだけど
航空機事業だけはやはり欧米には及ばなかったということでつ。
そりだけの能力がないのに開発した愚かさを世界に示したツケは大きいでつ。
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