オベロン会ブログ

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3月例会報告

2010-04-02 | ねるど

3月の例会では、早乙女忠先生がダンテの『神曲』について
お話くださいました。

英文学に限らず、西洋の文学に関心を持つ人で、ダンテや
『神曲』の名前を知らない人はいないでしょう。もしも、
そんな人がいるとすれば、それはそれで、ある意味、
すごいことかもしれません・・・

ただし、『神曲』を読み通した人がどれだけいるもの
でしょうか・・・ましてや、イタリア語の原文ともなると、
逆天文学的に少数派なんじゃないでしょうか・・・?

このように、近いようで実はとても遠いダンテの文学ですが、
先の例会では、早乙女先生を案内役として、私たちはその
深い森の中へ踏み込んだのでした。

『神曲』の冒頭近くで、ダンテは道に迷って、途方に暮れてしまう。
そこに、案内役のウェリギリウスが登場する。このようにして、
彼らの地獄巡りは始まります。

時はくだって21世紀。早乙女先生が私たちをダンテ文学の世界へと
誘ってくれたわけです。その先には何があるのでしょうか?

言うまでもなく、1回の講義でダンテについて語り尽くすことなど
できるはずがありません。それ以前に、ダンテのテクストに、
向きあう必要があるでしょう。

今回の例会では、「地獄篇」の冒頭に2歌を精読しました。
テキストは英訳のものを使いましたが、随所にイタリア語の
原文をふまえた解説が加えられました。また、聖書をはじめとする
出典についても、詳細な解説がありました。

古典文学と向きあう場合、詳細な注釈があれば本当に便利なものです。
ただし、その使用にはかなりの注意が必要です。注釈に流されて、
あるいは溺れてしまって、肝心の本文がおろそかになりがち
だからです。

あるいは、様々な批評スタイルが氾濫している中で、それらを
無視して文学作品に向きあうことなどできるはずがないでしょうし、
それらを全く無視しちゃうのも、それはそれで、おめでたいと
いうか、呑気すぎるというか、まあ、あまりほめられたことでは
ないような気もします。でも、批評に流されて、本文からはぐれて
しまうようなことがあれば、それはそれで本末転倒というもので
しょう。

早乙女先生扮するウェリギリウスに手を引かれて、ダンテ文学に
足を踏み入れながら、テクストと向き合い、言葉の一つ一つを
大切に読み解くことの重要さを、あらためて考えさせられた、
そんな2時間でした。


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4月の例会は、24日(土)を予定しています。
詳しいことは、後日このブログでお知らせします。

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