あるマーケティングプロデューサー日記

ビジネスを通じて出会った人々、新しい世界、成功事例などを日々綴っていきたいと思います。

あのサムスン出身の海外ホテル総支配人

2007-05-31 23:40:54 | 出会い
こんにちは。

本日は御茶ノ水のオフィスで、飲食ビジネスの社長にサムスン出身で現在は海外の某ホテル総支配人をされている方をご紹介して頂きました。

ご存知の通り、薄型テレビや携帯電話で有名な韓国を代表する企業サムスンは今や世界的なブランドであり、あの世界のソニーを超えた感さえあるほどの急成長企業です。

サムスンの創業者は、学生時代日本の早稲田大学で学んだ方です。その社内競争の激しさ、教育の徹底ぶり、大学院の工学系を中心とした高学歴エリートの積極的採用、アメリカ企業並の特許戦略といった要素には以前から関心があったので、早速いくつか質問をぶつけてみました。

やはり社内教育は徹底しているようで、専用の教育施設は充実しており、幹部クラスでもかなりしごかれるとのことでした。また試験もあり、合格できないと降格処分もあるほど厳しいそうです。

ただその厳しさを潜り抜けたサムスンマンは引く手あまたらしく、韓国内のいろんな企業に転職して活躍しているとのこと。その方もそのタイプだと感じました。

また韓国ビジネスの特徴として、地縁・血縁といった人脈が影響する部分が大きいらしく、「韓国でビジネスを成功させるには、情報力と人脈が必要です」と言われていました。

やはり世界的なブランド企業出身の方は、コミュニケーションのスタイルもスマートです。具体的なビジネスの話もいくつか出て、とても刺激的な出会いでした。

ヤバイ美味さ!新大久保タイ料理クンメー

2007-05-29 23:49:38 | グルメ
こんばんは。

本日は、飲食出身のコンサルタントの方と打ち合わせをしました。

この方とは会計士のネットワークを生かした仕組み作りを今共同で作業しており、機が熟し次第、既に関係のある会社に一緒に提案に行く予定です。また某企業の人材教育についても相談を頂き、来月くらいには先方に提案に行けそうな流れになりそうです。

この日の打ち合わせはビジネスの種が結構あったので気分も良く(笑)、夕方6時から飲みに行ってしまいました。

行ったお店は、新大久保から徒歩2分の便利なところにあるタイ料理レストラン『クンメー』です。

このお店はもう5~6年通っていて、中でも写真のカニのハサミと海老のすり身揚げ(プーホークン)、タイ風鶏肉料理(ガイヤーン)、上海蟹料理はクセになるほど美味しいです。

以前エスニック料理にうるさいリクルートの同期を連れて行ったところ、ガイヤーンの美味さに驚嘆していました。何でも食材は全てタイから輸入したものを使用しているらしく、今日食べたデザートのケーキはタイ産マメを使ったものだと聞きました。

美味しい料理は、人を元気にしてくれます。またその美味しさを他人と共有することも、同じくらい楽しいことだと思います。

ACミランチャンピオンズリーグ優勝!

2007-05-24 23:41:30 | サッカーネタ
こんばんは。

今朝の深夜3時35分から放映されたヨーロッパのクラブ頂上決戦、チャンピオンズリーグシップの決勝は、ACミランがリバプールを2-1で下し、見事優勝を飾りました。これでワールドカップに引き続き、チャンピオンズリーグシップもイタリア勢が制したことになります。

個人的にはリバプールを応援していたので、結果については残念でした。試合終了後、嬉しさのあまり抱擁し合うACミランの選手達がいる一方で、唇をかみ締め涙をこらえるリバプールの主将ジェラードの表情がとても印象的でした。コネも政治も関係ない“強いものこそが勝つ”というこの競争原理こそが、スポーツの醍醐味ですね。

日本人の感覚でいうと夏の甲子園じゃないですが準優勝でも立派なものだと思いがちですが、ジェラードの無念そうな表情を見た時、ヨーロッパのある有名選手の言葉が脳裏をよぎりました。

「優勝以外はみな同じだ。人々の記憶に残るのは優勝したチームだけであり、優勝チームこそがその栄光の歴史に名を刻めるんだ」

今回の戦いを客観的に見ると、選手層については経験豊富な高級取りのエリートが集結した大企業(ACミラン)と、才気溢れた若い力に満ち溢れた新興企業(リバプール)との戦いのように感じました。結果ACミランに勝利の女神は微笑みましたが、“与えられた条件下で最高の結果を出す”のがプロフェッショナルの条件とするならば、リバプールのベニテス監督はかなりのやり手だと思います。

企業に例えるならば、歴史もある名門企業ではあるものの人気も以前ほどではなく優秀な人材が集まらない企業の経営を任されて、選択と集中をし(総力戦が要求されるリーグ戦よりクラブ杯に注力し)いきなりV字回復の業績(一昨年チャンピオンズリーグ優勝、昨年FAカップ優勝、今回のチャンピオンズリーグ準優勝)を成し遂げたようなものではないでしょうか(笑)。

今回リバプールのオーナーがアメリカ人の実業家になったことで、チェルシーのようにチーム強化に豊富な資金が投与される可能性が高く、ベニテスCEO(笑)のチーム強化の手腕が期待されています。

そうして見ると、チャンピオンズリーグシップは企業経営のケーススタディとして考察してみてもかなり面白いと思います。

リトビネンコ氏殺害事件の行方1

2007-05-23 13:17:51 | インテリジェンスの歴史
こんにちは。

ロシア連邦保安局(FSB)の元幹部アレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質のポロニウム210よって殺害された事件で、英検察当局は22日、ロシア人実業家のアンドレイ・ルゴボイ氏が事件に関与したとして、殺人罪による起訴が相当との判断を示したとのニュースが昨日流れました。

英検察当局はロシア当局にルゴボイ氏の身柄引き渡しを求めているそうですが、予想通りロシア最高検察庁は身柄の引き渡しを拒否しているそうです。

この関連記事が、軍事研究2007年3月号に掲載されていたので、ご紹介します。

◆MI6対ロシア諜報機関~英露の秘密諜報戦とリトビネンコ事件

謎の多いリトビネンコ事件。だが、その背景を探っていくと、ロシアに揺さぶりをかけるため、いかがわしい亡命者ネットワークを背後で支援するイギリスの「ある政治勢力」と、それに緩やかに連携する英情報機関の存在があった。

~ボリス・ベレゾフスキーのチェチェン利権~

(中略)
ボリス・ベレゾフスキー氏の権力基盤を語る時に、「チェチェン人」の存在は不可欠である。96年にアメリカの雑誌『フォーブス』は、ベレゾフスキーがどのようにして財産を築いたのかについてこう記している。

「モスクワ警察の発表によると、ベレゾフスキーは有力なチェチェンの犯罪組織と密接に協力し合い、自動車販売事業を始めた。(中略)2年前すなわち94年にソンツェヴォ・グループがモスクワの自動車販売市場の独占問題でチェチェン人たちと対立した。ソンツェヴォがベレゾフスキーと接触して協力を申し入れると『私には屋根がある(屋根があるというのは俗語で、マフィアと話がついていることを意味する)。話はチェチェン人たちとしてくれ』と答えたという」(エレーヌ・ブラン著『KGB帝国』創元社刊)

90年代のロシアは、政治勢力よりむしろマフィアのほうが強力だった。当時、何人もの新興財閥が誕生し、巨万の富を手にしたが、彼らは例外なくマフィアと密接な関係にあった。そして、ロシアに数あるマフィアの中でも、その頃もっとも力があったのが、チェチェン・マフィアだった。ベレゾフスキー氏は、まさにそのチェチェン・マフィアと通じていたのである。(中略)

~チェチェン紛争と「西側のある勢力」~

チェチェン紛争は、単なるチェチェン民族による独立闘争ではない。たとえば、その背景の一つには、チェチェン・マフィアとロシア・マフィアの抗争がある。チェチェン共和国の首都グロズヌイに南部ロシアやタジキスタンに灯油とガソリンを供給できるこの地方で唯一の製油所があり、シベリアの油田から大量の石油がここに送られるため、この石油の利権をめぐってマフィア同士の抗争が続けられてきたのだ。

またチェチェン紛争は、欧米の反露工作という側面を持った複雑な国際紛争でもある。というのも、カスピ海からロシアの港をつなぐ石油パイプラインがチェチェンを通ることから、カスピ海の石油利権と関係する西側の勢力は、コーカサス地方の政治的不安定を握り、グルジアやアゼルバイジャンへの影響力を強めてカスピ海の石油を支配下に治めるためにも、ロシアの弱体化を狙ってチェチェン武装勢力側にテコ入れしているのである。(中略)

前出『KGB帝国』を著したエレーヌ・プランは、「チェチェン問題は現代ロシアのアキレス腱である」と書いたが、このロシアのアキレス腱に食い込んでいるのがベレゾフスキー氏であり、彼の背後にいる「西側のある政治勢力」である。

~セルビアから始まったNGOを使った政府転覆~

FSBが英国政府によるNGO支援の実態を明らかにしたのは、資金の流れを示す書類だけであり、英国政府側は「人権活動団体に対する正当な支援であり、何ら問題はない」と主張しているが、米国のNGO支援に関してはかなり具体的な内容が明らかになっているので、以下少し見ていこう。

ウクライナのオレンジ革命を主導したPORAは、若者が中心となる組織だが、反体制勢力を拡大させ、大規模な反政府デモを組織する上で極めて大きな力を発揮した。このPORAが活動のお手本にしたのは、2000年にセルビアでミロシェビッチ政権を崩壊に追い込んだセルビアの反政府学生組織OTPORである。(中略)

PORAの指導者達もOTPORの指導を受け、反政府組織の結束を強化するためのスローガンやシンボルマークの作り方から、デモの組織の仕方、政府側の選挙違反の監視・糾弾するノウハウを学んだだけでなく、実際に同センターの指導員たちが選挙前のウクライナにオブザーバーとして現地入りし、実地に指導したという。

この非暴力抵抗センターのメンバーたちは、かつて米国の指導を受けたいわば「CIAの申し子」たちである。米国は2000年にミシェロビッチ政権を倒すためにセルビア反政府勢力支援のため2500万ドル(約30億円)を注ぎこんだが、米国のNGOがその資金の一部を得てOTPORの学生運動家たちに非暴力抵抗運動のノウハウをみっちりと教えて込んだのだった。(中略)

こうしてグルジアでの「バラ革命」、ウクライナの「オレンジ革命」にOTPORのノウハウが活かされ、オレンジ革命を成功させたPORAがブッシュ大統領の支持を得てさらに活動を国外に広げるというのである。プーチン政権が恐れるのも無理はない。

最近プーチン政権が、ロシアでの外国人滞在者に対する締め付けを強化しているのは、こういった背景と無関係ではないと思います。

明日も引き続き、このテーマを取り上げたいと思います。

ベレゾフスキーのインテリジェンス・コネクション

2007-05-22 13:02:27 | インテリジェンスの歴史
こんにちは。

昨日に引き続き、インテリジェンス学について考察してみたいと思います。

あのロシアの政商ベレゾフスキー氏のインテリジェンスについても掲載されていたので、ご紹介したいと思います。

その前にちょっと長いですが、ベレゾフスキー氏のプロフィールを。これを読むと、今のロシアの現代史がかなりわかりますね。

ボリス・ベレゾフスキー/1946年モスクワでユダヤ系ロシア人の家庭に生まれる。モスクワ林業技術大学卒業後、森林学次いで応用数学を研究して、応用数学博士号を取得。1983年ソ連科学アカデミー会員。1989年ヴォルガ自動車工場とイタリアのロゴシステムに関係する自動車販売会社「ロゴヴァス」を設立し、社長に就任。ロゴヴァスは国内の自動車メーカーから自動車を購入し転売することで多くの利益を上げ、またメルセデス・ベンツやゼネラル・モータースの公認ディーラーにもなった。巨利を手中にする一方で、ロシア・マフィアを中心にベレゾフスキーと敵対するものも多く、1994年自動車が爆破されるなど、いくつかの暗殺未遂事件に遭遇している。

ベレゾフスキーはその後も事業を拡大、大手石油会社シブネフチ(シベリア石油会社)設立に奔走し、同社を買収し支配下に置いた。またアエロフロートなどロシア国内の優良企業の株式を矢継ぎ早に取得することにも成功。さらに各企業に融資するために金融部門では、アフトバス銀行、統一銀行をグループ傘下におさめた。

ベレゾフスキーが最も力を入れた部門の一つに各メディアの買収が挙げられる。国営放送のロシア公共テレビ(ORT)民放のTV6、ロシア有数の経済誌であるコメルサント紙、ネザビシマヤ・ガゼータ(独立新聞)、週刊誌アガニョーク、ヴラスティなどを次々に支配下に置き、恣意的な世論形成を通じて、1996年の大統領選挙では、エリツィン再選に貢献。この選挙を機にベレゾフスキーを始めとする新興財閥(オリガルヒ)が政権内で影響力を増し、「ファミリー」と呼ばれる側近グループを構成していく。ベレゾフスキー自身も1996年10月いわば論功行賞で、ロシア安全保障会議副書記に就任し、チェチェン問題を担当する。1997年同職を解任されるが、1998年4月CIS(独立国家共同体)執行書記に就任。また、自分の影響力のある人物を政権に送り込み、政権運営に関与しエリツィン政権の「黒幕」とか「政商」の名をほしいままにした。

1998年9月にロシア金融危機の収拾のためにエフゲニー・プリマコフが首相に就任すると、政権の主導権を握ったプリマコフによって「ファミリー」に対し、圧力がかけられる。ベレゾフスキーも汚職を追及され、1999年3月にCIS執行書記を解任された。しかし、プリマコフの台頭を恐れたエリツィンがプリマコフを首相から解任したため、ベレゾフスキーは間もなく復権した。1999年下院国家会議選挙で、政権与党「統一」の結成と選挙戦にはベレゾフスキーから大量の資金が流れたと言われる。また、大統領選挙同様、ORTを使い「統一」の宣伝を強力に推進し「統一」の勝利に貢献した。ベレゾフスキー自身もカラチャイ・チェルケス共和国の小選挙区から立候補し当選した。下院議員としては、第二次チェチェン戦争に反対の立場を表明した。

2000年3月の大統領選挙では、ウラジーミル・プーチンを支持するが、プーチンは、逆に新興財閥の影響力を削ぎにかかる。ベレゾフスキーは、プーチンに対して反対勢力を糾合しようとするが、一般市民の間で「国賊」扱いされ、敵の多かったベレゾフスキーは賛同者を得られず、逆に同年7月下院議員を辞職。さらに2001年ベレゾフスキーは保有していたORTの株式49%を、ロマン・アブラモヴィッチに売却する形で放棄せざるを得なかった。ロシア最高検察庁は、アエロフロート資金の横領疑惑などでベレゾフスキーへの追及を強め、逮捕を恐れたベレゾフスキーは国外に脱出。2002年10月、本人不在のまま最高検察庁は、詐欺の罪でベレゾフスキーを起訴した。現在イギリスに亡命中である。(※ウィキぺディアより)

2006年12月26日付の『ユーラシアン・シークレット・サービス・レビュー』誌が、ベレゾフスキー氏と「西側のある政治勢力」の関係の一端を報じている。(中略)

同記事によると、ベレゾフスキー氏は、90年代後半から、ある西側情報機関の元高官と非常に緊密な関係を維持し続けているという。仮にこの元高官をA氏としておこう。A氏はソ連問題を専門とし、89年に外交官の立場でモスクワに駐在した経験を持つ。現役時代に弁護士の資格を取ったA氏は、情報機関を辞めた後に自分でビジネスを始め、90年代にロシア市場に深く関わっていく。そして90年代後半にロシアの2人のオルガルヒ(新興財閥)と緊密な関係を築くのだが、そのうちの一人がベレゾフスキー氏だったという。

同誌によれば、A氏はソ連崩壊後の旧ソ連圏で数多くの裏社会の闇ビジネスに関わってきたとのこと。A氏のビジネス・パートナーには、ロシアから極東への武器売却で大儲けした武器商人、トルクメニスタンの故ヤニゾフ元大統領の側近で同国のワシントンにおけるロビイストをしていた人物、イランに10年以上住んだ後、93年に当時のシュワルナゼ・グルジア大統領との個人的な合意に基づいてグルジアに小銃と弾薬を売った情報機関の少佐など、ありとあらゆる闇ビジネスの住人がいたという。

90年代の終わりから2000年初頭にかけて、A氏はベレゾフスキー氏のビジネスや政治活動に関する「もっとも秘密性が高く繊細な問題を解決するのに一役買った」と同誌は伝えている。また、A氏はベレゾフスキー氏の大きな金融および政治プロジェクトに関するセキュリティ情報を提供するなど、両者の関係は非常に緊密だが、その詳細を知るものはベレゾフスキー氏の取り巻きの中でもほとんどいないほど、両者の関係は秘密に包まれているという。

ちなみに、A氏は母国の政府(おそらく英国)との関係も維持し続けており、「2003年にはイラク戦争に関連する同政府のプロパガンダに協力した」と言われている。(※軍事研究2007年3月号別冊より抜粋)

これらを読むと、ベレゾフスキー氏がなぜロンドンで反プーチン活動を行うことができるのか、その理由が見えてきます。

世界はパワーポリティクスで動き、その裏では対峙する情報戦が日々繰り広げられています。テレビや新聞、インターネットで報道されるのは情報のごく一部であり、物事の真実を知るためには一人一人のインテリジェンスリテラシーが欠かせません。そしてそれは、健全な民主主義国家の必要条件なのかも知れませんね。

ジェームス・ボンドの素顔

2007-05-22 01:37:42 | インテリジェンスの歴史
こんばんは。

僕は、スパイ小説が大好きです。

中学の時に読んだ、フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』の衝撃は今でも忘れられません。フォーサイスがジャーナリスト出身だと知ったのはずっと後のことですが、その時は妙に納得したものです。

日本では、スパイは忍者やお庭番といった日陰者のイメージがあるせいか評価はイマイチですが、ヨーロッパではスパイはエリートの代名詞です。国家に対し高い忠誠心を誓い、優れた知能と行動力、判断力が求められるこの職業はインテリジェンスとも呼ばれ、“優秀なスパイは一個師団に相当する”という言葉さえあるほどです。

『自壊する帝国』を書いた元外務省主任分析官佐藤優氏は、インテリジェンス活動がいかに重要かを説いていますが、私も同感です。ゾルゲが日本で得た情報のお陰でソ連がドイツと戦う戦力をヨーロッパに集中でき、第二次世界大戦に勝利できた事実はあまりにも有名です。

それほど重要なスパイは、どのようにして誕生するのか?そのプロセスを知っている人は、あまりいないんじゃないでしょうか?

『軍事研究2007年3月号別冊』(マニアックですいません!)に面白い記事が掲載されていたのでご紹介します。

―大学で政府の情報機関、例えばSIS(MI6)がリクルートするということもあるのでしょうか?

「もちろんあります。2006年までSISは公募を行っていませんでしたから、キャンパスでのリクルートこそが正式なルートでした。
 
これはSISが直接やるというよりも、SISと関係を持つ教授が、自分のゼミなどから優秀な学生を推薦する仕組みになっています。そのリクルート方法は教授によって様々であると聞いていますが、いずれにせよこのようなルートによって、SISには優秀な人材が集められていたわけです。
 
またイギリス情報部の伝統としては、哲学や歴史などの人文科学を専攻する学生を多く採用してきたということがあります。これは、人文科学を研究する際の洞察力・思考力が実際の現場で役に立つという判断でしょうか。もっとも、9・11以降はより広く人材を集めるようになったとも聞いています。

またあるフィクサーは、次のように回想しています。

『ケンブリッジ大学で、航空工学のファーストクラスの学位を取った後、大学教員からMI6に応募するように示唆された。すぐには応募せず、MITで修士号を取得。その後、アルゼンチンにさらに1年留学した後、しばらくコンサルタント会社に勤めた。その後、MI6に応募し、採用された。筆記試験やさまざまな面接を経た後、最後には、徹底的な身元調査があった。8人の身元保証人の名前を挙げさせられ、その一人に担当者が直接会って聞くという徹底ぶりであった』

インテリジェンス・コミュニティーとの何らかのパイプが確認されているのは、オクスフォード、ケンブリッジ、エクセター、ダラム、ウェールズなどの大学だと言われています。またキングズカレッジでインテリジェンスを研究していた私の友人も内務省に行きましたが、ひょっとしたらMI5かも知れません」

こうした事情を知った上で007シリーズを見ると、ジェームズ・ボンドが全く違った男に見えてくるから不思議です。

ルーマニアづくしの夜

2007-05-21 23:21:51 | 出会い
こんばんは。

昨日は、2回目のルーマニア語のレッスンでした。講師は本ブログ初登場の横浜国立大学に留学中の才媛Kamiさんです。

前回のレッスンは代々木のデニーズで実施したのですが、やはりルーマニア語を学ぶならルーマニアの雰囲気の中でということで(笑)、Kamiさんに紹介して頂いた今回のロケーションは、中野坂上駅から徒歩1分のお洒落なルーマニアレストラン『Romania』(そのまんま!)です。

ここは、ドアを開けると壁飾りからテーブルクロスまでルーマニア色一色で、まるで別世界!「ブナ セーラ(こんばんは)」と挨拶してくれた店員さんの笑顔が、これまた満面の笑みで素敵です。

今回はルーマニアの家庭料理と白ワインを堪能し、またタイ旅行で撮影した200枚近くの写真を交えながら、レッスンをしました。Kamiさんがあまりに頭脳明晰なのでちょっとそのルーツをヒアリングしたところ、お父さんは元弁護士でお母さんは化学研究者だったとのこと。DNAは嘘つかないという感じでした(笑)。

将来は広告代理店で働きたいという夢を持つ彼女とは、有名なフォルクスワーゲンのキャンペーンの話などで盛り上がりました。

タイの中心部にある高級デパートエンポリオで撮影した家具や小物関係の写真を見せたところ、ガレという花瓶のようなものやルーマニアのセンスの良い家具が掲載されているWebサイトのURLを送ってくれることに。

日本にいながら、まるで海外にいるような気分を味わえた夜でした。

新潟魚沼でのプレ

2007-05-19 22:30:45 | 出会い
こんばんは。

行ってきました、新潟へ。お会いしたのは、今回の飲食の会社の社長と10年来のお付き合いのある方で、新潟でスーパー他をいくつかの事業を運営されているかなり資産家の方です。

朝8時に東京を出て、車で4時間。12時過ぎに現地に到着。その会社の本社ビルの2階の部屋に入り名刺交換させて頂きソファに腰を下ろし開口一番、「今回の件は、あなた次第だね」と言われ、かなりプレッシャーを受けました(笑)。といってもその社長は小柄な丸顔な感じで、非常に温和な雰囲気の方です。この社長は慶應義塾大学を卒業された後東京で飲食関係の企業に就職され、そこで何年か働いた後、実家の事業を継がれたとのこと。

お昼に行く前に、簡単に今回の飲食ビジネスプランを説明しました。今回のプレ資料には既存の飲食ビジネスの成功事例を詳細に掲載していたのですが、その中の一つにかなり興味をお持ちになられ、矢継ぎ早に質問を受けました。これは想定内でした。なぜならそれは、今回のビジネスモデルに一番近い成功事例だったからです。

その後、地元の美味しいおそば屋小嶋屋へ移動。おそばと天ぷらを頂きましたが、久しぶりにコシのある美味しいおそばに出会いました!ぴかぴかに光ったつるつるのおそばのあの味は、是非また味わいたいですね。

おそば屋さんで満腹になった後は、また本社へ。ここでは、プレ資料を一通り説明し、各部でいろんな議論になりました。

詳細は省きますが、ポイントは大きく2つありました。

一つは、この社長には以前一つの成功体験があり、いみじくもそれに類似した成功事例をお持ちしたことで油に火がつき、その発展形についてどう構築していくかという具体的プロセスの議論が一つ。

もう一つは、“高い株価をつけるための具体的施策”についてです。この部分は、私がリクルート在籍時代に学んだメディアノウハウ、及びその後のインターネット系企業、投資事業での経験をもとにアイディアレベルのものも含めて御提案したところ、かなり興味を持って頂きました。事前にベンチャーキャピタルの方からお聞きしていた話が強力な裏付けになっていたことは、言うまでもありません。

また、この提案がもとで韓国でのあるメディアビジネスのご相談も受け、「こちらの方でも是非相談に乗って欲しいんですよ」と言って頂いたので、ちょっと面白いことになるかも知れません。

会議が一通り終わり最後にこの社長から、「さすがですね」とのお言葉を頂いた時は、連日のプレゼン準備の苦労が報われた感がありました(笑)。しかもその場で次回東京にお越し頂く日程も決定し、より具体性が増してきました!

その後は社長にとって頂いた地元の温泉宿ふくずみへ。源泉かけ流しと美味しい食事を満喫しました!特に鯉料理はくさみがなく、初めて食べる美味しさでした。

今回のプレ出張は、当初の想定を上回る感触と次回以降の具体性動きに満ちた成果の大きいものでした。

私が今回強く感じたのは、事業をいくつも動かしている方独特の“勘の鋭さ”と“スピード感”です。もちろん豊富な経験値がバックボーンにはあるのですが、情報の意味を瞬時に理解し、メリットとリスクをイメージしながら、具体的アクションについてポンポンとキャッチボールできるそのやり取りに、興奮を覚えたのも事実です。次回のアポに向けて、アドレナリンが涌いてくるような方と出会えた運命的な出張プレでした。

伝えたいものの柱が重要

2007-05-17 23:53:46 | クリエイティブ
こんばんは。

本日は、いつもの美容サロンの打ち合わせに行ってきました。

GW明け初のアポということで、タイ旅行のお土産に買ってきたパイナップルのお菓子も持っていきました。

今回一番ポイントとなったのが、サービスのクオリティに対する“こだわり”の部分です。

接客のこだわり、技術のこだわり、パーマ剤のこだわり、インテリアのこだわり…。どれ位こだわり、そのためにどこまでやっているのか。そこの部分をいやらしくないように、ディテールをどう見せるか。

今、オールラウンドで“売り”がないサロンはどんどん潰れているそうです。“何でもあるは、何もない”という言葉がありますが、徹底したこだわりでの高級路線か、安い、早いの1,000円カットかという二極化が進む中、お店のアイデンティティがないと簡単に淘汰される時代なのかも知れません。

ターゲットに響く“相思相愛の仲になれる”Webにできればと思います。写真素材もそろいはじめ、次回は長時間インタビューを実施することも決定しました。表現にいく前の、情報の質にこだわりたいと思います。

あと、いよいよ明日の新潟プレゼンに向けての最終調整を本日行いました。

何千万という大きな額が決まる今回のプレゼンですが、本日企画書の完成形を提出し、2箇所の文字修正以外はOKを頂きました。

いよいよ明日行ってきます。明日は新潟に泊まるので、その模様は日曜日にアップできると思います。

続・ベンチャーキャピタル

2007-05-16 16:35:29 | 出会い
こんにちは。

昨夜極秘入手した『24シーズン6』を6話続けて見て、かなり眠いです(泣)。でもやっぱり、面白いですね、『24』は。欧州チャンピオンズリーグシップと『24』は、今の僕にとっては見始めると止められない麻薬のようなコンテンツです。

本日は、また別のベンチャーキャピタルの人にお会いしました。

このベンチャーキャピタルさんは、会社のかなり早い段階から出資する割合が高いということで、話をする声にも自然、力が入りました(笑)。

ここのベンチャーキャピタルさんのファンドは、地方自治体や地域金融機関とタイアップした地域密着型のファンドや、会社型投資信託や金融機関、産学連携組織などと連携した特化型ファンドなどいろんな面白いスタイルをお持ちです。

また投資育成の基本方針としては、現場主義に基づく信頼関係の構築と投資先の情報開示体制の構築などの経営支援、投資担当者の一貫性をモットーにされているようです。

投資の基本であるハイリターンを目指すためには、飲食業という業界はそれほど魅力的ではないという市場の現実を見据えながら、どう構築していくか。

私はここに配給ルートの拡大とメディアビジネスの融合を考えているのですが、そういったアイディアの感触も得られたのは、非常に有意義でした。

先日のベンチャーキャピタルさんも含めて、資本の論理を吸収しながらビジネスフレームを作っていくことが、最近楽しくなっています。

またそこで行き交う情報は、新聞にも載っていない鮮度抜群のものなので、最近自分の情報感度が高くなってきたことを実感しています。

プレゼンのガイドライン

2007-05-15 15:51:30 | プロジェクト
こんにちは。

本日は御茶ノ水のオフィスで、今週金曜日に行う新潟でのプレゼンの骨子の打ち合わせを行いました。

先週頂いたラフを元に私がパワーポイントで15枚ほどの企画書を作成し、それをお持ちして社長、副社長とブレストを行いました。

この日の打ち合わせは、非常に中身の濃いものでした。ポイントは、以下の通りです。

・今回のプレゼンの真の目的が共有できた
・更なる情報の追加があり、全体フレームがより明確になった
・プレゼン対象者のバックグランドが共有され、話の幅が持てる準備ができた
・将来構想についても、いろんなアイディアが出てきた
・ベンチャーキャピタルの行動原理を理解し、それに基づく計画の必要性を共有できた

会議を建設的なものにするためには、口頭だけでなく、紙の資料がありそれをベースに論点を明確にすることが重要だということを、この日は改めて感じました。

この日の打ち合わせ内容をベースにもう一度構成をブラッシュアップさせ、木曜日夕方最終調整を行い、本番へという流れです。

だんだん気持ちが乗ってきました!

またこの日正式にコンサルティングの契約書も交わし、いよいよ本格始動することになりました。

ベンチャーキャピタル

2007-05-14 12:20:09 | 出会い
こんにちは。

本日はある人の紹介で、ベンチャーキャピタルの人にお会いしました。

やはり新しい会社の立ち上げやベンチャー企業のオーナーの方とお話していると、“収益を上げる仕組み作り”と同じくらい“事業の継続・拡大資金の確保”が非常に大切だということを認識したからです。

この日のポイントは、2つありました。出資を受けるための条件と、株式公開に必要な条件の把握です。

前者については、ベンチャーキャピタルさんによってかなり変ってくるようです。事業計画、決算書、売り上げ管理表、資産表、株主名簿、資本政策、アライアンス関係の契約書といった書類を厳密に精査するところもあれば、経営者の人柄を重視するところもあるとのこと。

また株式公開のハードルも、ITバブルの崩壊や昨今の新興市場の業績下方修正の乱発で信頼感を回復すべく高くなってきているようで、最低経常利益2億円以上の実績は求められるようです。ちなみに野村證券クラスの一流の証券会社に主幹事になってもらうためには、経常利益が5億以上求められるそうです。

もう“夢とバラ色のビジネスプランだけで公開できた時代は終わった”わけで、初期フェーズにおける収益モデルの確立と参入障壁性の高いオリジナリティが求められています。

本質は、“規模はまだ小さくてもきちんとした商品があり、顧客に支持されて儲かっていること”だと感じました。それをさらに応援するための出資であり、もっと多くの人々に応援してもらうための株式公開なんだと思います。

資本市場のプロが語る様々なケースは、人間の業の深さを表しているようで、小説の題材の宝庫のようにも感じられ、大変興味深いものでした。

今後もつながりを深め、良い仲介役になれるように頑張っていこうと思います。

リバプールの闘将スティーブン・ジェラード

2007-05-12 23:05:14 | サッカーネタ
こんばんは。

最新号のNumber『THE EUROPEAN CLIMAX』で、僕の大好きな選手スティーブン・ジェラードがクローズアップされていました。

欧州チャンピオンズリーグシップ準決勝で見事チェルシーを倒し、決勝進出を決めたリバプール。キャプテンとしてメンバーを率い、ずっと鼓舞し続けたジェラードは、そのリーダーシップと高い技術力、闘志から、イングランド最高のMFとしての評価も高く、今回は今までで一番輝いている気がします。

そんな彼の今の気持ちを率直に語ったコメントが、掲載されていました。

「キャプテンとして優勝トロフィーを掲げた時のことは、一生忘れることはできない。世界の人は、サッカー選手というと派手な車を持っているとか、夢のような生活を送っているとか、そんなイメージばかり持っている。
 でも僕達は目の見えないところで、血の滲むような努力を重ねてきたし、悔し涙も流してきた。そういう辛さを一瞬にして忘れさせてくれるのが、そのトロフィーなんだ」

「2年前に優勝した時の僕らは、本当に評価されていなかったかも知れない。『幸運』の一言で片付けるような人もいたと思う。
 でも実際には、運だけで勝てるほど、ヨーロッパの戦いは甘くない。だから今年もう一度優勝することができれば、僕らは“いいチーム”ではなく、“偉大なチーム”として認められることになる。それこそが、僕やチームメイトが望む最大の勲章なんだよ。
 僕はヨーロッパを何度も制したキャプテンとして歴史に名を残したい。(エムリン)ヒューズ、(フィル)トンプソン、(グレアム)スーネス、(フィル)二ール、(ケニー)ダルグリッシュといった、“リバプールの伝説”と肩を並べられる選手になりたいんだ」

名誉を重んじる英国人気質を感じさせるジェラード選手。5月23日の決勝戦がすごく楽しみです。

新潟出張プレが本日決定!

2007-05-12 21:51:01 | プロジェクト
こんばんは。

先日タイ旅行から帰ってきましたが、この土日になんとタイ王国大使館主催で代々木公園でタイフェスティバルが開催されているとのこと。是非明日行ってきたいと思います。

そして今回の飲食ビジネスの大口の出資先の方にビジネス概要をプレゼンする日程が、5月18日(金)に決まりました!

事前に聞いた話によるとこの方は新潟にある某飲食チェーンのオーナーであり、また日本を代表する超有名メーカーの創業家ともつながりの深い方とのこと。詳細は省きますが、まだまだ面白いビジネスの種が眠っていそうな気がしていますので、ワクワクしています。

なので、来週の金曜日までで今回の飲食ビジネスのシミュレーションにもなる事業計画書を作成します。

今のイメージとしては、以下のような内容を考えています。

◆最新の飲食業界の成功事例に見るトレンド
◆飲食業界のカテゴリーマップ
◆今回のビジネスプランのポジショニング
◆メインターゲットとコンセプトワーク
◆初期段階のマーケティングプロセス
◆具体的商品イメージと価格・商品ラインナップ・
◆流通ルートについて
◆プロモーションプロセスとFC加盟店募集戦略
◆出店初期段階における収益シミュレーション

まだ追加事項は出てくるとは思いますが、かなり本格的な事業計画書を作成し、ベンチャーキャピタルの担当者に見せたら「是非、うちにも出資させて欲しい」と言わしめるレベルにもっていきたいと考えています。

お披露目会開催決定!

2007-05-11 12:04:00 | プロジェクト
こんにちは。

昨日は強風予報を全く知らないまま(笑)代々木のカフェで、5月からスタートした飲食ビジネスの事業コンセプトと今後の展開の打ち合わせを行いました。

今回の飲食ビジネスの大きなポイントは、食材です。形態は、ファーストフードスタイルにおそらくなると思います。

ちなみに従来のファーストフードは、以下のカテゴリーに分類されます。

◆マクドナルドに代表されるハンバーガー系
◆スターバックス・タリーズに見られるカフェ系
◆吉野家や松屋に見られるご飯系
◆富士そばに代表されるそば・うどん系

そして、それぞれユーザーのニーズを見事に捉えているからこそ、今もサービスが成り立っている(=利益が出ている)のだと思います。

スターバックスができる前、コーヒーを飲んで時間をつぶす場所は、マクドナルドのように安いけれどあまり美味しくない(失礼!)ところか、街中にある個人営業の喫茶店でした。

“多少高くても良いから、美味しいコーヒーを飲みながらホっとしたい”―そのニーズに応えるサービスは、なかったわけです。

確かに個人営業の喫茶店の中には、美味しいコーヒーを出してくれるお店もあります。そしてリピーターに支持され、経営的に上手くいっているお店もたくさんあります。

しかし、どこの街に行っても安心して美味しいコーヒーを味わえるお店はありませんでした。

今となっては普通ですが、当時スターバックスのあの価格はそれまでのファーストフードのコーヒーの感覚からすると、常識を覆す高さだったと思います。しかし、コーヒーのクオリティの高さでまたたく間に顧客の心を掴んでいったわけです。

スターバックス関連の本を読んだことはありませんが、おそらく創業者は、飲食ビジネスの原点である“人を感動させる美味しさは万国共通で、必ず通じる”という信念を持っていたのだと思います。

価格、流通、プロモーションも当然大事ですが、飲食ビジネスの生命線はやはり“味”だと考えています。

6月頭には新潟のスーパーチェーンのオーナーや元三井物産の常務、大手飲食チェーン上場企業のトップ他関係者を多数お招きして、お披露目会を開催することが決定しました。そしてそこで、今回の飲食ビジネスの概要を発表することが決まりました。資料は、全て私が作成します。

いよいよ、面白くなってきました。