あるマーケティングプロデューサー日記

ビジネスを通じて出会った人々、新しい世界、成功事例などを日々綴っていきたいと思います。

ベレゾフスキーのインテリジェンス・コネクション

2007-05-22 13:02:27 | インテリジェンスの歴史
こんにちは。

昨日に引き続き、インテリジェンス学について考察してみたいと思います。

あのロシアの政商ベレゾフスキー氏のインテリジェンスについても掲載されていたので、ご紹介したいと思います。

その前にちょっと長いですが、ベレゾフスキー氏のプロフィールを。これを読むと、今のロシアの現代史がかなりわかりますね。

ボリス・ベレゾフスキー/1946年モスクワでユダヤ系ロシア人の家庭に生まれる。モスクワ林業技術大学卒業後、森林学次いで応用数学を研究して、応用数学博士号を取得。1983年ソ連科学アカデミー会員。1989年ヴォルガ自動車工場とイタリアのロゴシステムに関係する自動車販売会社「ロゴヴァス」を設立し、社長に就任。ロゴヴァスは国内の自動車メーカーから自動車を購入し転売することで多くの利益を上げ、またメルセデス・ベンツやゼネラル・モータースの公認ディーラーにもなった。巨利を手中にする一方で、ロシア・マフィアを中心にベレゾフスキーと敵対するものも多く、1994年自動車が爆破されるなど、いくつかの暗殺未遂事件に遭遇している。

ベレゾフスキーはその後も事業を拡大、大手石油会社シブネフチ(シベリア石油会社)設立に奔走し、同社を買収し支配下に置いた。またアエロフロートなどロシア国内の優良企業の株式を矢継ぎ早に取得することにも成功。さらに各企業に融資するために金融部門では、アフトバス銀行、統一銀行をグループ傘下におさめた。

ベレゾフスキーが最も力を入れた部門の一つに各メディアの買収が挙げられる。国営放送のロシア公共テレビ(ORT)民放のTV6、ロシア有数の経済誌であるコメルサント紙、ネザビシマヤ・ガゼータ(独立新聞)、週刊誌アガニョーク、ヴラスティなどを次々に支配下に置き、恣意的な世論形成を通じて、1996年の大統領選挙では、エリツィン再選に貢献。この選挙を機にベレゾフスキーを始めとする新興財閥(オリガルヒ)が政権内で影響力を増し、「ファミリー」と呼ばれる側近グループを構成していく。ベレゾフスキー自身も1996年10月いわば論功行賞で、ロシア安全保障会議副書記に就任し、チェチェン問題を担当する。1997年同職を解任されるが、1998年4月CIS(独立国家共同体)執行書記に就任。また、自分の影響力のある人物を政権に送り込み、政権運営に関与しエリツィン政権の「黒幕」とか「政商」の名をほしいままにした。

1998年9月にロシア金融危機の収拾のためにエフゲニー・プリマコフが首相に就任すると、政権の主導権を握ったプリマコフによって「ファミリー」に対し、圧力がかけられる。ベレゾフスキーも汚職を追及され、1999年3月にCIS執行書記を解任された。しかし、プリマコフの台頭を恐れたエリツィンがプリマコフを首相から解任したため、ベレゾフスキーは間もなく復権した。1999年下院国家会議選挙で、政権与党「統一」の結成と選挙戦にはベレゾフスキーから大量の資金が流れたと言われる。また、大統領選挙同様、ORTを使い「統一」の宣伝を強力に推進し「統一」の勝利に貢献した。ベレゾフスキー自身もカラチャイ・チェルケス共和国の小選挙区から立候補し当選した。下院議員としては、第二次チェチェン戦争に反対の立場を表明した。

2000年3月の大統領選挙では、ウラジーミル・プーチンを支持するが、プーチンは、逆に新興財閥の影響力を削ぎにかかる。ベレゾフスキーは、プーチンに対して反対勢力を糾合しようとするが、一般市民の間で「国賊」扱いされ、敵の多かったベレゾフスキーは賛同者を得られず、逆に同年7月下院議員を辞職。さらに2001年ベレゾフスキーは保有していたORTの株式49%を、ロマン・アブラモヴィッチに売却する形で放棄せざるを得なかった。ロシア最高検察庁は、アエロフロート資金の横領疑惑などでベレゾフスキーへの追及を強め、逮捕を恐れたベレゾフスキーは国外に脱出。2002年10月、本人不在のまま最高検察庁は、詐欺の罪でベレゾフスキーを起訴した。現在イギリスに亡命中である。(※ウィキぺディアより)

2006年12月26日付の『ユーラシアン・シークレット・サービス・レビュー』誌が、ベレゾフスキー氏と「西側のある政治勢力」の関係の一端を報じている。(中略)

同記事によると、ベレゾフスキー氏は、90年代後半から、ある西側情報機関の元高官と非常に緊密な関係を維持し続けているという。仮にこの元高官をA氏としておこう。A氏はソ連問題を専門とし、89年に外交官の立場でモスクワに駐在した経験を持つ。現役時代に弁護士の資格を取ったA氏は、情報機関を辞めた後に自分でビジネスを始め、90年代にロシア市場に深く関わっていく。そして90年代後半にロシアの2人のオルガルヒ(新興財閥)と緊密な関係を築くのだが、そのうちの一人がベレゾフスキー氏だったという。

同誌によれば、A氏はソ連崩壊後の旧ソ連圏で数多くの裏社会の闇ビジネスに関わってきたとのこと。A氏のビジネス・パートナーには、ロシアから極東への武器売却で大儲けした武器商人、トルクメニスタンの故ヤニゾフ元大統領の側近で同国のワシントンにおけるロビイストをしていた人物、イランに10年以上住んだ後、93年に当時のシュワルナゼ・グルジア大統領との個人的な合意に基づいてグルジアに小銃と弾薬を売った情報機関の少佐など、ありとあらゆる闇ビジネスの住人がいたという。

90年代の終わりから2000年初頭にかけて、A氏はベレゾフスキー氏のビジネスや政治活動に関する「もっとも秘密性が高く繊細な問題を解決するのに一役買った」と同誌は伝えている。また、A氏はベレゾフスキー氏の大きな金融および政治プロジェクトに関するセキュリティ情報を提供するなど、両者の関係は非常に緊密だが、その詳細を知るものはベレゾフスキー氏の取り巻きの中でもほとんどいないほど、両者の関係は秘密に包まれているという。

ちなみに、A氏は母国の政府(おそらく英国)との関係も維持し続けており、「2003年にはイラク戦争に関連する同政府のプロパガンダに協力した」と言われている。(※軍事研究2007年3月号別冊より抜粋)

これらを読むと、ベレゾフスキー氏がなぜロンドンで反プーチン活動を行うことができるのか、その理由が見えてきます。

世界はパワーポリティクスで動き、その裏では対峙する情報戦が日々繰り広げられています。テレビや新聞、インターネットで報道されるのは情報のごく一部であり、物事の真実を知るためには一人一人のインテリジェンスリテラシーが欠かせません。そしてそれは、健全な民主主義国家の必要条件なのかも知れませんね。

ジェームス・ボンドの素顔

2007-05-22 01:37:42 | インテリジェンスの歴史
こんばんは。

僕は、スパイ小説が大好きです。

中学の時に読んだ、フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』の衝撃は今でも忘れられません。フォーサイスがジャーナリスト出身だと知ったのはずっと後のことですが、その時は妙に納得したものです。

日本では、スパイは忍者やお庭番といった日陰者のイメージがあるせいか評価はイマイチですが、ヨーロッパではスパイはエリートの代名詞です。国家に対し高い忠誠心を誓い、優れた知能と行動力、判断力が求められるこの職業はインテリジェンスとも呼ばれ、“優秀なスパイは一個師団に相当する”という言葉さえあるほどです。

『自壊する帝国』を書いた元外務省主任分析官佐藤優氏は、インテリジェンス活動がいかに重要かを説いていますが、私も同感です。ゾルゲが日本で得た情報のお陰でソ連がドイツと戦う戦力をヨーロッパに集中でき、第二次世界大戦に勝利できた事実はあまりにも有名です。

それほど重要なスパイは、どのようにして誕生するのか?そのプロセスを知っている人は、あまりいないんじゃないでしょうか?

『軍事研究2007年3月号別冊』(マニアックですいません!)に面白い記事が掲載されていたのでご紹介します。

―大学で政府の情報機関、例えばSIS(MI6)がリクルートするということもあるのでしょうか?

「もちろんあります。2006年までSISは公募を行っていませんでしたから、キャンパスでのリクルートこそが正式なルートでした。
 
これはSISが直接やるというよりも、SISと関係を持つ教授が、自分のゼミなどから優秀な学生を推薦する仕組みになっています。そのリクルート方法は教授によって様々であると聞いていますが、いずれにせよこのようなルートによって、SISには優秀な人材が集められていたわけです。
 
またイギリス情報部の伝統としては、哲学や歴史などの人文科学を専攻する学生を多く採用してきたということがあります。これは、人文科学を研究する際の洞察力・思考力が実際の現場で役に立つという判断でしょうか。もっとも、9・11以降はより広く人材を集めるようになったとも聞いています。

またあるフィクサーは、次のように回想しています。

『ケンブリッジ大学で、航空工学のファーストクラスの学位を取った後、大学教員からMI6に応募するように示唆された。すぐには応募せず、MITで修士号を取得。その後、アルゼンチンにさらに1年留学した後、しばらくコンサルタント会社に勤めた。その後、MI6に応募し、採用された。筆記試験やさまざまな面接を経た後、最後には、徹底的な身元調査があった。8人の身元保証人の名前を挙げさせられ、その一人に担当者が直接会って聞くという徹底ぶりであった』

インテリジェンス・コミュニティーとの何らかのパイプが確認されているのは、オクスフォード、ケンブリッジ、エクセター、ダラム、ウェールズなどの大学だと言われています。またキングズカレッジでインテリジェンスを研究していた私の友人も内務省に行きましたが、ひょっとしたらMI5かも知れません」

こうした事情を知った上で007シリーズを見ると、ジェームズ・ボンドが全く違った男に見えてくるから不思議です。