あるマーケティングプロデューサー日記

ビジネスを通じて出会った人々、新しい世界、成功事例などを日々綴っていきたいと思います。

百貨店型、総合力で成長

2008-10-20 23:04:03 | マスコミ関連
こんばんは。

本日は体育会系出身の人材を専門にしているオーエンスという会社の社長とお会いしました。

社長自身も学習院大学の応援団出身だけあって、非常に体格が良く、かつ爽やかな雰囲気の方でした。

時代は変われども、組織的に動け、かつ踏ん張りが効く体育会出身者はどこの企業からも引っ張りだこのようです。

さて、本日は日刊工業新聞連載記事の第三回目です。


~~『百貨店型、総合力で成長』~~

全国で32,000~3,3000あると言われている会計事務所。その中には、様々なスタイルの会計事務所が存在します。その中でも、ビックフォーと言われる大手監査法人に準ずる規模を誇り、幅広いサービスを展開するのが百貨店型会計事務所です。

従来、会計事務所は税務だけの単一サービスですが、このスタイルの会計事務所は規模とサービスの多様化で差別化を図り、その組織と人員は企業と全く同じです。

税務業務の周辺には、実は非常に多くのビジネスチャンスが広がっています。

例えば、ラーメン店を経営しているオーナーが税務業務を税理士に頼む場合、通常は毎月の経理の自計化を行いながら、決算書の作成で終わります。しかし、コミュニケーション能力の高い税理士の場合、様々なシーンが誕生します。

「先生、実はうちの父が高齢で、今から相続対策の準備をしておきたいんですが…」
「うちのお店で使う食器を全て変えたいんですが、いい業者さん知りませんか?」
「今度新たに出店したいんですが、良い物件を知っている不動産屋さん紹介して頂けませんか?」

経営の内情を全て明かしている精神的なつながりもあるのでしょうか(笑)、税理士の存在はコミュニケーションの取り方一つで、非常に大きな存在になれる可能性を秘めているのです。

総合サービス化を進める百貨店タイプの会計事務所は、そういった顧問先企業に内在する様々なニーズを体系化し、専門のスタッフを揃え、対応することで大きくなってきたのです。

最近ではその業務領域も、システムのコンサルティングから、不動産や債権の証券化、M&A、企業再生、事業承継、相続対策、資本調達など多岐に渡っています。

月次の経営会議に出席し、数字の意味を提言しながら、収益向上のためのアドバイスから、組織改革までアドバイスしてくれる会計事務所もあります。ここまでくると、通常のコンサルティング企業が提供するサービスと全く変わりません。

しかも、会計事務所はその企業体の経営数字を一番把握しています。それは病人の詳細なカルテを持つ医師と同じように、企業を正しい方向に導ける有力な外科医になれる存在なのです。

ある大手会計事務所の所長が、「経営を形にすると会計であり、会計とはアートだ」と仰っていましたが、その通りだと思います。

会計には企業価値を図る側面があり、同時に経営実態を正しく反映する側面もあります。だからこそ、経営改善の貴重な台帳になり、サービスの基にもなれるのです。

多極化促すネット活用

2008-10-13 23:58:54 | マスコミ関連
こんばんは。

今回は、第二回目の連載です。


~~多様化促すネット活用~~

今、インターネット上で情報を収集する日本人の約65%は、Yahoo!を使用します。残りはGoogle他が続きます。

かつて良い税理士を探したいと考えた経営者は、本や親しい経営者による紹介が主
な手段でした。そして今は、その主な手段はインターネットに取って変わりつつあります。今や全てのビジネスの入り口は、インターネットの検索サイトになり、そこで表示されないことは、情報収集の対象にならないくらいのインパクトを与え
ているのです。

税理士を探すユーザーは、インターネットを活用して情報を収集し、エリア、価格、具体的サービス内容、所長の人柄といった項目で対象を絞っていき、直接会い、顧問税理士事務所を決定します。

片や、選ばれる方の税理士も、インターネットの特性を把握し、PR戦術に応用する
技術に長けた集団が生まれつつあります。

インターネットによる情報のオープン化は、サービスの多様化を促進し、それはすなわち税理士の多極化を意味します。全国で32,000~33,000あると言われている税理士事務所ですが、ここ数年大きく3つのカテゴリーに分かれてきています。

多様なサービスを有した総合百貨店型税理士事務所、ある特定分野に特化した専門型税理士事務所、数人で経営する個人事務所型税理士事務所です。

最初の総合百貨店型税理士事務所は税理士法人の形態を取っているところが多く、クライアントも大手が多いのが特徴です。相続対策や資産の流動化といった通常の決算業務以外の高付加価値サービスを売りにしており、顧問料も比較的高い傾向が見られます。

次の専門型税理士事務所は、国際税務や特定の業種に非常に強いといった、強いカラーのある税理士事務所です。

最後の個人事務所型税理士事務所は、所長以外に数人のスタッフがいる形態の事務所です。それら大きく3つの形態に分かれたそれぞれの税理士事務所が、新しい顧客獲得の有力な手段の一つとして、インターネットに注目し、かつ活用しているのです。

SEOと言われる特定キーワードの上位表示技術は、その中でも非常に重要なものです。インターネット上でのPR力が、今後更に新規顧客獲得に大きな影響力を持つようになることは間違いありません。

インターネットの技術は、この業界にも強力なパワーシフトを起こしているのです。

本日より日刊工業新聞に連載開始!

2008-10-06 22:06:48 | マスコミ関連
本日より、日刊工業新聞で「士業選択の時代」という連載をスタートしました。

今から2ヶ月ほど前に、ある会社の社長が日刊工業新聞の取締役編集局長を紹介してくれたのがキッカケです。

その編集局長も関西出身で、久しぶりにネイティブな関西弁を聞いた気がしました(笑)。

ほぼ毎週月曜日に掲載され(来週は火曜日)、全12回の連載です。

第一回目の掲載は、こんな感じでした。
      ▼

サブプライム問題、リーマンブラザーズの破綻、そして世界的金融不安の連鎖…。日本もグローバル経済メカニズムの中に組み込まれている中で、どう企業競争力を保ち、収益を上げていくか。混沌とした世相の中、経営者の方々の悩みも尽きな
いと思います。

連載第一弾の今回は、経営者の方にとって身近な存在であり、その選び方&活用の
仕方によっては“強力なブレーン”にも“最強のコンサルタント”にもなる、税理士・会計士選びについて書いてみたいと思います。

経営環境がこれだけスピーディに変化する現代において、その勝敗を決する重要な要素の一つが、情報力です。

ご存知の通り、税理士・会計士は自社の業態及び財務内容を熟知しているスペシャリストであり、税務決算はもとより、その数字の意味を捉え、知恵付けできる一番身近な存在です。

しかし、一方では平均年齢が65歳と言われるほどの高齢化が進み、世間とは少しずれたビジネスセンスを持った特異な人種とみなされている感があるのも否めない事実です。

ところが、この税理士業界にも大きな変化が起きつつあります。その原動力は、全てのビジネスにも大きな影響力を及ぼしているインターネットです。

5年ほど前までは広告・宣伝も禁じられ、新規の顧客獲得もお客さんの紹介経由
が主流だった時代から、今やユーザーが自ら情報を収集し、自ら税理士・会計士を選ぶ時代へと、大きなパラダイムの変換が起こっているのです。

ここでの大きなポイントは、サービス力とPR力です。父親の代からお付き合いしているものの、税務決算以外何もしてくれない先生よりは、同業種のトレンドに詳しく、税務決算はもちろん、売上向上のノウハウや人の採用&マネジメントの仕方、相続対策を教えてくれることがホームページ上でPRしている先生が選ばれる時代なのです。

インターネットによる情報のオープン化は、サービス力・価格の比較検討を促進します。そしてその結果、顧客の流動化が進みます。会計事務所は全国に約32,000~33,000あると言われていますが、自社の経営ステージにとって一番ふさわしい税理士事務所を選ぶことは、今や重要な経営戦略なのです。

そして、そのための適切な判断基準を収集・設定することが、競争力を高める基盤の一要素になるのです。


全体の構想はもうFIX済ですが、なるべく早めに書こうと考えています。

ラジオ日本での番組収録

2008-08-30 23:36:06 | マスコミ関連
本日は、西麻布のロシア大使館の前にあるラジオ日本で「マット安川の勝ち組ビジネス」という番組の収録を行いました。

ラジオ番組のスタジオに入るのは生まれて初めてで、ちょっと緊張しました。

DJを務めるマット安川さんは、あの有名なミッキー安川さんの息子さんらしく、風貌も少し似ていました。事前におおよそのシナリオを渡されるのかと思いきや、全て当日ぶっつけ本番でした(笑)。

DJのマット安川さんから、
「リスナーさんからのお便りを読むと、出演して頂く社長のリアルな生き様をもっと放送して欲しいという声が多いんですよ。なので、できるだけ学生時代からの面白エピソードをお話下さい!」

そんなフリを頂き、なぜ東京に上京したのか、新聞奨学生時代の話、日芸での話、立教ESSでのディベート大会で帰国子女とのバトル、マガジンハウスでのアルバイト、リクルートへの入社、そこで学んだこと、退社後それをどう生かしたかについてなど、赤裸々にお話しました。

結果的に、全く編集が必要ない放送時間ピッタリに収まったので先方に非常に感謝されました。

ラジオ日本での放送日予定日は、9月20日(土)深夜12時半からです。もし御興味があれば、聴いて下さい。

トラブル・バスター/ブルー・スウェード・シューズ3

2008-08-26 19:00:24 | マスコミ関連
引き続き、ドラブル・バスターの続きを。

「制作庶務係の宇賀神だ。中で何があった?」
「喧嘩です。血が出ました。今、医務室に行ってます。びっくりしちゃいました」とストローその②が言った。喋っている言葉に主語というものが無い。相手に自分の伝えたい事柄の内容を正確に伝達する能力に欠けるのが、こいつらストローどもの共通の特徴だ。

「誰が誰を殴ったんだ」
「ディレクターの大内さんが殴られました。殴ったのは僕の知らない人です。制作庶務の人が来たら中に入って結構だそうですから入って下さい」
“結構”なら帰っちまうぞ、と言おうと思ったがそれもやめた。この自閉症児どもめが。

重いスタジオドアを押してGスタに入ると、一応騒ぎは収まっているように見えた。音のしないようにドアを閉めたつもりだったが、空調の効いたスタジオ内の気圧のせいで「バタン」と大きく鳴ってしまった。スタジオ中の人間が俺の方を見た。フロアにいる人間の半分以上が知らない顔だった。どうやら今回の『月曜トップスペシャル』は局制作ではなく下請けプロダクションに外注して、スタジオだけうちのGスタを使っているらしい。

それにしても妙な雰囲気だった。テレビの制作現場で人が殴られるということは、そうしょっちゅうあることではないが皆無ともいえない。ディレクターがドジなADをハリ倒して活を入れることもあるし、技術さんはさらに上下関係がハッキリしているから動きの悪いカメラ助手が、テクニカル・ディレクターに蹴りを入れられるところだって見たことがある。

だが、そういった制作進行上の問題での喧嘩なら、逆にその後のスタジオにはピシッとした緊張感が漂っているはずだ。一人に活を入れることによって、スタジオ全体の雰囲気を引き締めるのが、ADや助手を殴ることの本当の目的だからである。

しかし、今の、このGスタに漂っている空気は、それとは違っている。何か、やる気の無さのようなものが技術陣や演出陣の間に広がっている。俺は演出サイドの人間の中で知った顔を探した。そいつは自分から俺のところにやって来てくれた。スタジオの3階分ブチ抜きの高い壁際に取り付けられたキャットウォークに、第二制作局のディレクターである村木という俺と同期の男が姿を現したのだ。2階の副調整室にいたらしい。カンカンカンと甲高い音を立てて鉄製の階段を下りて来た村木が俺に声をかけた。

「なんだ宇賀神ちゃん来ちゃったの、わざわざトラブル・バスターがお出ましになるような一件じゃなかったのに」

どうやら、トラブル・バスターという新語が俺のために作られて、既に関東テレビの局内では定着しているらしい。来年の『現代用語の基礎知識』には載るのだろうか。

「喧嘩騒ぎだってえじゃないか。誰が誰を殴ったんだい」
「一寸した行き違いですよ、よくある連絡ミスっが原因の勘違い」
村木が、床についていた鼻血らしい血痕を靴底でこすりながら言った。
「大内って誰だ?うちのDじゃねえな」
「ああ、ノバ・アート・プロのディレクター、今日はノバさんの制作でね、僕は局側の立会いプロデューサーってわけ」

ノバ・アート・プロは、ここのところメキメキと制作実績を上げている下請けプロダクションである。東京に6社ある民放テレビ局の中でも特にうちの仕事を多く受けている会社だ。つい2年前までは社員8人の小さな下請けプロだったが、今では抱えているディレクターだけで20人を超えているそうだ。社員全部で50人。これはその手の会社では相当な大手ということができる。

「で、やったのは?ノバの若い衆かなんかか。まさかタレントのマネージャーに殴られたってことはねえだろうしな」
「もう済んだの、もう上がり」
と村木は俺の前からフロア中央に歩き出しながら言った。それからフロア・ディレクターに向かって二言三言ささやいた。ノバ・アート・プロの人間らしいフロア・ディレクターが大きな声を出した。
「えー、これで昼飯にしますからぁ、次は二時スタートでお願いしまぁす」

三々五々とスタジオ内の人間が散り始めた。出演タレントたちは喧嘩騒ぎの発生と同時に楽屋に退いたらしく、マネージャー連中の姿も無かった。俺は狐につままれたような気分だった。村木が言うように、本当に単なる連絡ミスが原因の小さな出来事なら、何故、田所第二制作局長がわざわざ俺に電話をかけてきたのだろう。スタジオ内の異様な空気も気にくわなかった。もっと気にくわない言葉を、再び副調整室への階段を駆け上がりかけていた村木が俺に向けて吐いた。

「宇賀神ちゃん、これにて一件落着だからね。これ以上、ことを荒立てないで頂戴。なーんちゃってね」

トラブル・バスター/ブルー・スウェード・シューズ2

2008-08-25 22:56:03 | マスコミ関連
景山民夫の不朽の名作、「トラブル・バスター」からブルー・スウェード・シューズの第二弾を。


語尾に必ず、“バカヤロー”を付けないと気がすまない男なのだ。彼の行きつけの銀座のクラブでは、一回目の“バカヤロー”でレミーマルタンがテーブルに出て、二回目の“バカヤロー”でフルーツが並ぶ。田所局長好みの細身の新人ホステスを入店早々にマスターが紹介するところを目撃したことがある。足元から顔まで、舐めまわすようにしてその新人を観察した局長はマスターに向かって言ったものだ。「か、か、可愛いじゃねえかバカヤロー」

スタジオ管理室から週単位で送られてくるスタジオ使用表をチェックする。今日のGスタは、朝の10時から午後8時まで『月曜トップスペシャル』のVTR収録が入っていることになっていた。生放送のトラブルではないので一寸ばかり安心した。VTR収録なら、最悪の場合でもトラブルの源をスタジオからつまみ出す間、テープを止めておけばよい。

生放送だとそうはいかない。もう5年ほど前のことになるが、朝のワイドショーの最中に覚醒剤中毒の男が、「テレビが俺の悪口ばかり言っている」と金槌を持ってスタジオに乱入したことがある。

スタジオにいるガードマンは爺さんばかりで頼りにならず、結局、副調整室から担当ディレクターが下りて行って男をバックドロップで床に叩きつけて失神させるまで、6分間にわたって番組が中断した。

もっとも、バックドロップを決めるシーンはカメラ前で行われたから全国の御家庭に生中継され、その瞬間の視聴率は38パーセントという、朝にしては驚異的な数字を取った。但し、当のディレクターは、やりすぎだということで始末書を山ほど書かされて減俸処分をくらった。そのディレクターの名は、

宇賀神邦彦という。俺だ。

椅子から上着を取って肩にひっかけ、プレハブの外階段を駆け下りて、継ぎ足し継ぎ足しで迷路のようになってしまった局内の廊下をGスタに向かった。3階のエレベーターホールに屯していた芸能プロのマネージャー連中が俺に気づいて、あわてて目をそらせたり、急に公衆電話に飛びついたりした。連中にとって、制作局を追い出された元ディレクターという存在は、丁度古くなって新しいのを買った後の、引き取り手のない電気冷蔵庫のようなものだ。昔は重宝していても今はただ邪魔なだけで存在そのものがうっとうしい。

無視して廊下を突き進む。背後で、先輩マネージャーが若い新入りに向かって言っているらしい。「あいつには関わるなよ」という言葉が聞こえた。もしかすると気のせいかもしれない。

Gスタの前まで来ると、アルバイトのADが二人、青い顔をして立っていた。どうやら一応は関係者以外を中に入れないための見張りらしいが、俺だったらこんなストローみたいな連中よりは、ラグビーのフォワードでもやっていそうな奴を雇うだろう。

「どうした?」と声をかける。
「いや、何でもないんです」とそのストロー①が利いた風な口をきいた。
「何でもねえことはねえだろう。第二制作局長から直々に制作庶務係に連絡があったから来たんだぞ」
「あっ、それじゃお宅が制作庶務のトラブル・バスターですか」

近頃の若い者は言葉の正しい使い方を知らない。総務部付きとはいえ、れっきとした関東テレビの正社員、しかも年が15歳は上のこの俺がアルバイトのAD風情に、“お宅”呼ばわりされる覚えはない。暇な時なら二人まとめて俺の鼻の骨をへし折ってやるところだが、残念ながら今はその時間が無い。

トラブル・バスター/ブルー・スウェード・シューズ

2008-08-25 22:54:49 | マスコミ関連
故景山民夫氏の不朽の名作「トラブル・バスター」、そのフレーズはこうなっています。


俺は、関東テレビ総務部総務課制作庶務係の、宇賀神邦彦だ。

タレントや局の連中が次から次へと撒き散らす面倒事を裏側から始末して回るのが仕事だ。以前は制作部でディレクターをやっていたのだが、4年間に9本の番組をコケさせたことの落とし前というわけだ。

電話口で薄禿の田所制作部長が、バカヤローと怒鳴ると、まあ、俺の出番ということになる―。

同僚もいないし、我が家へ戻っても猫の権太郎以外は待つ者もいない身の上だが、楽しみがないわけではないから同情は不要だ。

トラブル・バスター。

人は、そう、俺を呼ぶ。


まずは第一話、「ブルー・スウェード・シューズ」を御紹介したいと思います。


何処かで電話が鳴っていた。
日課である昼食後の午睡から目を覚まされて、30回までベルの鳴る回数を数えた。それ以前の眠っている間に何回鳴ったかは分からない。31回目で、相手に諦める気が無いことを悟った。両足を机の上に上げた午睡の体勢から、俺は渋々と起き上がって電話探しの作業にとりかかった。

総務部総務課制作庶務分室、つまり関東テレビ株式会社が俺に与えてくれた事務室であるこのプレハブ建築の2階の小部屋には、机と呼べる代物は、今迄俺が足を乗せていた奴ひとつしかない。御存知、コクヨの灰色のスチールデスク。最近ではどちらかというと青山界隈のオフィスよりも工事現場の飯場に現場監督が図面を広げるために置いてあるのを見かけるチャンスの方が多いような、20年以上前の品物だ。少なくとも、この関東テレビの局内では、俺の仕事場以外は、ドラマの大道具用の倉庫にしか存在していない筈だ。車輌課の爺さんだってもう少しマシな机を使っている。

その机の上は、青木ヶ原の樹海みたいに見えた。俺が27センチのハッシュパピー1足分を載せていたスペースを除けば、週刊誌とスポーツ新聞とテレビ雑誌と広告と文庫本と社内報とウェンディーズのテイクアウト用の袋や包み紙と…とにかく、そういった紙紙紙の山だ。ここ3ヶ月の間、この机の上で文字を書いた記憶は一度もない。仕事はしても報告書を出す義務がないというのが、この総務課制作庶務係の唯一の利点で、つまり俺の仕事というのは、ほとんどが肉体労働であるということだ。

電話は広げて伏せた『フォーカス』の下、と見当をつけた。外れた。『フライデー』の下にもなかった。やっと『東スポ』と『週刊ファイト』の山の中から黒いダイヤル式の電話を掘り出した時には、ベルは既に50回以上鳴っていた。俺にはオフィス用の多機能電話はおろか、未だにプッシュホンすら与えられていない。但し、個人的な趣味からいえば電話はこの旧式な黒い奴の方が好きだ。

「宇賀神か、バカヤロー」

関東テレビ中を探したって、電話に出た相手が返事をする前にバカヤローと怒鳴る人物は一人だけしかいない。第二制作局長の田所だ。3ヶ月前まで、つまり俺がまだ制作局に所属していて名刺の肩書が“ディレクター”となっていた時の直属の上司である。口は悪いが、人間性にはもっと問題のある男だ。

「今、便所に行ってたんですよ」
「嘘をつくなら窓を閉じてからにしろ。何でその分室をそこのプレハブにしたと思ってるんだ。俺にゃ何でもお見通しだぞバカヤロー」

晩秋の陽差しが気持ち良いので、南側の窓を開けて放っておいたのが悪かったらしい。窓から鉄塔の立つ中庭を隔てた向こう側の、新社屋5階の制作局を見上げると、そこの窓際に受話器を握った田所局長が立っているのが見えた。元部下を制作局から叩き出しただけでは足らず、四六時中監視してくれるつもりらしい。感謝の気持ちを伝えるため、5階に投げキッスを送ってやった。

「何ですか?」
「何ですかじゃねえ、バカヤロー、すぐGスタへ行けバカヤロー。トラブルだよ」

景山民夫の本を発見

2008-08-23 09:54:10 | マスコミ関連
引越しで持ってきたダンボールを整理していたら、景山民夫の「トラブル・バスター」という本が出てきました。

この本は学生時代マガジンハウスでアルバイトをしていた時にもらったもので、その文体が絶妙で、当時かなりのインパクトを受けました。故景山氏のセンスが最高に生かされた作品の一つと言っていいでしょう。

ちなみに、景山氏のプロフィールを簡単に。

氏は警察官僚の父を持ち、武蔵高校から慶應文学部に進んだ後、アメリカ放浪を経て、放送作家へ。「しゃぼん玉ホリデー」や「タモリ倶楽部」などで活躍する一方、「オレ達ひょうきん族」ではそのプロレス好きが高じて、レスラー役でも出演したこともある人です。

文学面での功績も多く、直木賞他数多の賞を受賞されています。ただ、晩年は「幸福の科学」に没頭し、最後は書斎での火の不始末による焼死という非業の死を遂げています。

晩年の生き様が影響しているのかどうかわかりませんが、景山氏の作品は絶版になっているものも多いらしく、この「トラブルバスター」もそのようです。

いろんなサイトを見ていると復刊を願う声も多いので、このブログでのその内容を紹介できればと思います。

景山氏の知的でシャイな、そしてユーモラスなキャラクターが浮かび上がってくるはずです。

テレビに見る良質なコンテンツ作り

2007-08-16 15:35:54 | マスコミ関連
こんにちは。

今月の文芸春秋に、『吉本興業がテレビを駄目にした/「ゲバゲバ」の天才プロデューサーが語るテレビ界への遺言』という記事がありました。

作家の小林信彦氏と元日本テレビプロデューサーの井原高忠氏の対談企画ですが、良質なコンテンツ作りのヒントが語られていたので、ちょっと御紹介したいと思います。

井原:本場のバラエティ・ショウのノウハウを、日本でもいくつか試してみたかったんですよ

小林:お得意の“本邦初”ですね

井原:というのも、『光子の部屋』をやっている頃、アメリカに行って本場のショウビジネスを見て感心したことの一つに、お客さんを入れた番組作りということがあったんです。それまで、日本のバラエティ・ショウは狭いスタジオで全部作っていましてね。
ところがアメリカでは、古い劇場を改装したスタジオを使うんです。『ペリー・コモ・ショウ』にしても、マンハッタンにある劇場をテレビスタジオに仕立てているから、客席にいるお客さんの目の前でショウを演じることになる。(※中略)となると、出演者に必要な役割はサービス精神、つまり接客業なんです。(※中略)

小林:井原さんは「ショウビジネスで成功するために絶対必要なのは、時間と金と才能だ」と盛んにおっしゃいましたが、これは至言だと実感しました。アメリカのハリウッドやブロードウェイを見るまでもなく、日本映画の最盛期だって、才能豊かな人材が集まって、時間と金を大量に投下して映画作りをしていた。

井原:テレビも同じです。たとえば、『ゲバゲバ90分!』には、ドラマでさえ1本800万円の予算が上等とされていた時代に、1,500万円かけていました。

小林:今なら5,000万円以上の予算です。

井原:ただその代わり、スポンサー探しは広告代理店と一緒に僕が直参していました。だから、月に6,000万円かけて自分の道楽ができた。昨今、いわゆるテレビのヤラセや捏造問題が起きた時に、番組制作費のあり方話題になりましたね。スポンサーがテレビに1億円払っていても、実際に番組を作る制作プロダクションに下りてくるときには予算が数百万円しかない。つまり、広告代理店やテレビ局が抜いているわけです。これじゃ、いい番組は作れませんよ。(※中略)

小林:それだけに井原さんのギャグに対するこだわりは相当なものでした。作家だけでも40、50人いたとか。

井原:ええ、マンションの一室に集まって、昼夜を徹して書いて、90分番組1本について、出てきたギャグが500個。それを作家の河野洋がまとめながら、面白くないものはどんどん捨てていって、130個くらいまで吟味して本番を撮影したんです。それでも僕が本当に面白いと思ったものは3つか4つですね。(※中略)

井原:アメリカでは、テレビ局と製作会社は商売として競争する関係にあったんです。良い番組を製作会社が作れば局は高く買うし、内容が落ちれば値切る。これ、日常茶飯事です。でも、日本は違った。ろくな番組さえ作れないプロデューサーが製作会社に居丈高に振舞って、一方では強力な芸能プロの前では土下座せんばかりに萎縮する。
僕が現役だった頃は、アメリカ的で芸能プロも製作会社も対等だったんです、これが本来の姿。でも、渡辺プロだけが「俺の方が偉いんだ」と言い出したから、僕はカチンときて怒っちゃった(笑)。

井原さんの言葉の中に、良いクリエイティブを作るための時代を超えた普遍性を見た気がしました。今考えている交流会は、こういう貴重な人生の先輩の声を共有できる場にできればいいなと考えています。

日本一メルセデス・ベンツを売る男

2007-08-10 15:44:11 | マスコミ関連
こんにちは。

自分の営業モチベーションを高める時に、取り出して読む本に『日本一メルセデス・ベンツを売る男』という本があります。

営業ノウハウ本は巷に溢れていますが、ここまでインパクトの強い事実を前面に押し出した本は、なかなかお目にかかったことはありません。

その驚異の事実は、オビにも続きます。

・年間160台以上!
・累計2,000台以上!
・2日に一台メルセデスを売る男がいた
・ノーネクタイ、顔はひげ面。しかし、セールスは超一流

自慢話の羅列が多い営業本の中でもやはりスタンスが違うと感じたのは、序章の以下の部分です。

「この本のお話を頂いた時、最初は、お断りをしようと思っていました。私は、お客さまが快適に自動車のある生活ができるよう、“くるま屋”として、今日まで働いてきました。あくまでお客さまが主役であって、私は黒子という立場です。(※中略)

ところが、本書の出版にあたっての、私へのアプローチは、これまでとは全く違ったものでした。ある方のご紹介で、出版社の役員の方がS500ロングを2台買われるという御連絡を頂いたのが、そもそもの始まりです。(※中略)

“今日は、あなたに会いに来たんです。いろいろな人からあなたの噂を聞いていて、以前からずっと関心を持っていました。よかったら、うちで本を出させていただけませんか”

車の契約のほうは秘書の方に任せ、私自身の関心を熱く語られるのです。

“今度買う”ではなく、買って頂いたお客さまからのお話。むげにお断りするわけにもいきません。それでもしばらく迷っていました。

しかし、最終的に決断したのは、私という人間に興味を持ってくださったことへの喜びでしょう。」

吉田氏は、創業明治5年の海苔問屋の次男に生まれ、父親は夕方仕事から帰ってきて風呂に入り、『アラミス』の香水をつけ、縦縞のスーツを着て銀座に出かける毎日だったそうです。

彼の父親は車にこだわりを持っていて、「トヨタ、日産は車じゃない」が口癖だったとか。そんな背景も、今の仕事につながっているのかも知れません。

この本は、“自分の気持ちを戦闘モードに変えてくれる”一品なのです。

CBSドキュメント エド・ブラッドリー氏追憶特集

2007-08-08 23:38:19 | マスコミ関連
こんばんは。

私の好きな番組の一つが、水曜日の深夜に放送される『CBSドキュメント』です。

ニューズウィーク誌などとともに、世界のメディアが何に焦点を合わせているのかがわかる貴重な報道番組です。

本日は、9日白血病の合併症のためニューヨーク市で死去したエド・ブラッドリー氏の追悼番組でした。

ブラッドリー氏は米テレビ3大ネットワークの黒人記者の草分けで、ベトナム戦争報道、カーター大統領時のホワイトハウス担当をへて、CBSの看板ニュース番組「60ミニッツ」の記者を26年務めた名ジャーナリストです。

番組では名インタビュアーとしても知られるブラッドリー氏が、凶悪犯罪者やソビエト軍の将軍、反政府軍組織のトップからミックジャガーやU2といった有名アーティストまで幅広い対象者に、フレンドリーな身振り手振りと豊富なボキャブラリーを駆使してインタビューする名シーンが放送されていました。

氏をレポーターとして採用した元CBSドキュメントプロデューサーで現ソニーCEOのハワード・ストリンガー氏が出てきた時は、メディア畑出身の世界的企業のトップとして非常に興味深かったですね。

非常にお洒落でダンディーで、美食家だったブラッドリー氏。彼をよく知る人はこう語っています。

「彼はユーモアのセンスに溢れていた。彼の言葉には、生きてて良かったと勇気づけてくれるものがある」

こういった番組を見ると、日本のテレビにももっと魅力的なインタビュアーがいて欲しいなという気がします。

達人が教える得ホームページ

2007-07-24 12:30:31 | マスコミ関連
こんにちは。

今週の週刊文春の記事で、『達人が教える得ホームページ』というのがありました。

現在インターネットの利用人口は、約8200万人(『インターネット白書2007』調べ)。もはや社会のインフラというだけでなく、それを上手く使いこなせるかどうかで生活、ビジネス双方の効率が変ってくると言っても過言ではありません。

今回の記事はその道の専門家が使えるホームページを紹介してくれるという企画ですがこれがなかなか面白かったので、一部御紹介したいと思います。

◆連想検索エンジン『リフレクサ』
キーワードを入力すると、そこから連想される言葉を追加してくれる機能付き

『エキサイト翻訳』
英語だけでなく、中国語や韓国語の翻訳も可能です

『教えて!goo』
自分で書き込むのは気が引けるという人も、過去のQ&Aを見れば知りたいことがあるかも

『うたまっぷ』
カラオケ好きな人はブックマークへ!日本の歌約30万曲の歌詞を無料で検索できます

『2007年花火カレンダー』
これから全国で行われる花火大会の日程は、ここで検索!

◆症状チェック&病院チェック『ここカラダ』
身体の部位別に症状チェックができて、自分がかかっている可能性のある病気を調べることができます

◆健康と医療の総合情報サイト『健康Salad』
アンチエイジングやマクロビオティック、漢方など女性の健康や子供の健康・育児をサポートする情報が盛りだくさん

◆レシピ検索No,1サイト『クックパッド』
25万件のレシピが掲載。「今日は特製冷製スープを食卓に やさしい味にみんな笑顔」とコピーに癒されました(笑)

『ばーさんがじーさんに作る食卓』
外食をしない老夫婦の食卓日記ブログ。素朴な家庭料理の簡単レシピが綴られています

◆有機野菜などの安全食材宅配『Oisix』
有機野菜や精肉・鮮魚などの食材をネット販売しています。“感動食品専門スーパー”というキャッチコピーがナイスです。

◆全国各地の名産品『うまいもんドットコム』
沖縄産完熟マンゴー、春日居の桃から、加藤義宏のアールスメロン超大玉なんてものまであります。これは使えますね。

『出前館』
全国6800店以上の宅配・デリバリー店が掲載されているサイトです。

『新現役ネット』
シニア世代を応援するコミュニティサイト。登山やハイキング、ゴルフレッスンなどのイベントやオフ会も行われています

『セカンドライフ』
ユーザーはアバターと呼ばれる自分の分身を持てる。会話は基本的に英語。

『BOOKING.COM』
イギリスやドイツ、フランスなどヨーロッパ諸国への個人旅行者への人気のホテル予約サイト。ここも魅力的ですね。

『小さな宿探しに行こう』
20室以下の旅館やペンション、民宿が多数掲載されています

『一休.com』
高級ホテル・高級旅館の予約サイトのパイオニア的存在です。その充実ぶりには定評があります。

『地球探検隊』
“大人の修学旅行”をキーワードに、「沖縄探検隊」や「内モンゴル騎馬遠征隊」などユニークなツアーが目白押しです。

個人的には『うまいもんドットコム』と『BOOKING.COM』、『小さな宿探しに行こう』が気になります。インターネットが出現したことで、「こんなメディアがあったらいいな」というニーズがすぐ実現できる社会になりました。

以前はドッグイヤーと言われていましたが、今はマウスイヤーと言われる時代。

時代を超えた本質を見失わず、かつ変化のスピードに遅れないようにするのはなかなか大変ですね。

寝る前に一読 『阿片王 満州の夜と霧』

2007-07-19 05:37:39 | マスコミ関連
おはようございます。

私は、佐野眞一という作家が大好きです。

あの有名な『東電OL殺人事件』、ダイエーの中内功氏の知られざる恥部まで切り込んだ『カリスマ』、最近月刊プレイボーイ誌に連載中の『沖縄コンフィデンシャル/戦後60年の沖縄を作り上げた怪人たち』など、その緻密な取材力がどの作品にもいかんなく発揮されているわけですが、圧巻なのがこの『阿片王 満州の夜と霧』です。
(※写真は本の主人公の里見甫。アレンダレスの時も書きましたが、この顔つきが全てを語っています)

自分の場合、映画にしろ本にしろ、好きな作品を何回も繰り返して見たり読んだりするわけですが、この本はもう10回以上読んでいます(笑)。夜、寝る前にお香を焚いてリラックスしながらベッドの上で読むのが、最高に気持ち良いのです。

その理由は二つあります。

一つは、実在の人物である里見甫の生き方が豪快そのもで、その美学が潔く魅力的であること。もう一つは、作者の佐野眞一が主人公に愛情を持ちながらも、極めて客観的なスタンスで緻密にその人物像を描いていることです。

そのポイントを、いくつか御紹介したいと思います。

◆魔都放浪

大物政治家から将官クラスの高級参謀、満州国のエリート官僚から辣腕ジャーナリスト、はては身分を決して明かさない特務機関から得体の知れないごろつきまで、底知れない闇を孕んだ広大無辺の人脈を築きあげた里見は、どんな人生を送り、「阿片王」と呼ばれるまでになったのか。(※中略)

当時里見は、その時点で百年以上の歴史を持ち、広田弘毅や中野正剛、緒方竹虎など錚々たる政治家を輩出した名門修猷館中学の5年生だった。(※中略)

同文書院卒業生の進路は、およそ三つにわかれる。外交官、商社マン、ジャーナリストの三コースである。

だが、同文在学中の4年間終始ビリから2番で通し、授業の欠席も一番で、欠席大将と仇名されたという里見の前に、こうしたエリートコースの道は開かれるはずもなく、大正5年(1916年)に同文書院を卒業(13期)した里見は、青島の新刊洋行という名もない貿易商社に勤めた。(※中略)

<何しろ当時は、売ってももうかり、買ってももうかるという時代だったから、大いに消費した。芸者を身請けすること数十名というのだから、ずいぶん激しい遊びをしたらしい。しかし、友人たちが「里見は羊かんをつまみながら芸者買いをする」などというほど生来一滴のアルコールも飲めない体質だった。

その彼が芸者を引かしては国元へ帰してやるという奇特なことを繰り返しているうちに、ある日まだ16、7歳の売られてきたばかりの芸者が初座敷に顔を出した。「お前、まだ小さいのにこんなところにいてはいけない。引かしてやるから国へ帰れ」というと、その芸者が「国へ帰ったら、また売られる」というので、「それじゃあ仕方がないじゃないか」というわけで、手許におくことにした。そうするうちにいつの間にか細君になってしまった>

<角海老はどれだというと、あれだと教えてくれたのを見るとなるほど大きい。牛太郎が調子の良い声をあげてむかえ入れてくれた。嚢中40~50円もあったか、それを玄関口で全部出して、明日から労働者になるのだから、ハッピを買う金さえあればよいから一晩たのむというと、冗談おっしゃるとか何とかいってゴテゴテしたが、とにかく上げてくれた。

その夜の相方は千鳥といってもててもててよかったが、朝になってハッピを買ってこいといっても流石に買ってくれないので、自分で出て行って買って来たが、これがいけなかった。腹がけ、ドンブリなどチグハグなものだが、こっちはそんなこと知りもしない。これを着て出ようとすると、玄関からは都合が悪いというので、裏から出た。>(※中略)

まるで江戸落語そのままの話である。里見の思い切りの良さと、金離れの良さはこの時代からすでにはじまっていた。

里見はその後、東京で1、2位を争う貧民窟といわれた下谷万年町の質屋の軒先を借りた一畳間の掘っ立て小屋に住みつき、日雇労働者となった。

◆アヘンの国

アヘンはケシの花からつくられる。東ヨーロッパが原産のケシは5、6月頃、直径10センチほどの花を咲かせる。色は白が多いが、赤や紫もある。花は一日でしぼみ、その後楕円状の固い果実ができる。その表面に小刀で傷つけると、乳液状の分泌液が出てくる。これをまず小さな壷に集め、大きな藁に移しかえて天日でさらし、固形化したものがアヘンである。(※中略)

37歳の満州炭坑社員も、売春窟で朝鮮女に勧められるままアヘンを吸飲した。
<その女のいうことには、阿片又はヘロインを吸って、1時間位の後に性的交渉があれば、全く想像以上の以外の天国に遊ぶようになると盛んに宣伝するので、遂好奇心にかられて之を用いる気になり、女と共に吸ったのであります。

この女のいう様に、ヘロイン吸飲後2時間位で交渉のあったときが、非常に時間を長く要し私自身の経験では、感覚も鈍ではなく、天国に遊ぶ如く感じたのであります。刺激に富み、非常に快感を味わい、全く桃源郷に遊ぶというのはこの事かと自覚したのでありました>

この男も最後はアヘン中毒患者となった。

<あくびや涙は出るし、瞼はだるくて、目はくぼみ、実にみじめな姿でありました。寝たきりの状態になり、下痢や不眠もずっと続きました>(※中略)

アヘン戦争でイギリスのジャーディン・マセソン協会やサッスーン協会は、アヘン販売の利権を独占的に手中に収めることによって、巨万の富を得た。満州におけるアヘン暫禁主義と専売制度は、満州帝国経営の基礎的資金となったばかりか、特務機関や憲兵隊の豊富な謀略資金ともなった。(※中略)

満州から蒙古、南京から青島、さらにはペルシャにいたるまでの国際的アヘンコネクションを築いた里見は、宏済善堂を根城に、多いときは航空母艦一隻分の建造費にも匹敵するアヘン取引を行った。(※中略)

中国秘密シンジケートの青封、紅封と結託したこの支那服姿の日本人が、周囲からいかに“大物”と見られていたかは、戦後、GHQが、平和に対する罪を裁くA級戦犯として逮捕した民間人第一号が里見だったという事実に端的に語られている。

◆不逞者

里見とペルシャ産アヘンの関係については、戦後の東京国際軍事裁判で、里見自身が驚くほど正直に証言している。その詳細は後に譲るが、里見はそのなかで、宏済善堂がペルシャ産アヘンで儲けた利益は約二千万ドルにものぼったこと、宏済善堂の手取りマージンはアヘン取引の8パーセントだったことを明かしている。

宏済善堂がペルシャ阿片であげた2千万ドルという金額は、当時の為替ルートで換算し、現在の貨幣価値に直すと、30兆円近くにのぼる。(※中略)

上海に拠点を移した里見の許には、その岩田をはじめ、阿片という蜜に群がる毒蟻のように、いかがわしげな連中ばかりが集まってきた。上海時代に里見と知り合い、“芳名帳”にも連なることになる許斐氏利、児玉誉士夫、笹川良一、阪田誠盛、吉田裕彦(児玉機関副機関長)といった魑魅魍魎の顔ぶれは、さながら、戦前の上海から戦後日本に延びた地価人脈の様相を呈している。(※中略)

マキノが電話で言われた通り、里見の東京での定宿になっている帝国ホテルに駆けつけると、初対面の里見はこう言った。
「阿片はアングロサクソンの代わりにわしがやっとるんだ」
そして、こうつづけた。
「マキノくん、20万円やるから、上海へ来い。これはわしの罪滅ぼしだ。たしかに現在の阿片はわしが握っている。しかし、儲けてはいないんだ。『阿片戦争』という映画を上海で撮れ」
里見は、アヘン戦争で大量のアヘンを海中に沈めて敵のイギリスに対抗した林則徐の名前を出し、その林則徐を主人公にした映画をつくってくれ、とも言った。

里見はピアスアパートの部屋に風呂敷に包んだ札束をいくつも用意しており、それを目当てに訪ねてくる憲兵、特務機関員から大陸浪人にいたるまで、いつも気前よく呉れてやった。

昭和17(1942)年4月の翼賛選挙に立候補して念願の政治家となった岸信介もその一人だった。前出の伊達によれば、このとき里見は岸に200万円提供したという。
「鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた弟の佐藤栄作が運び屋になって岸に渡したんだ。これは里見自身から聞いた話だから間違いない」(※中略)

誰いうとなくつけられた「阿片王」という、殺伐としておどろおどろしいニックネームを感じさせる雰囲気はどこにもなかった。まわりの者はみな、親しみさえこめて、「里見のオッチャン」、「里見のおっさん」と呼んだ。(※中略)

「人は組織をつくるが、組織は人をつくらない」
里見は晩年、秘書役の伊達によく、そう言ったという。

◆上海の風雲

前に紹介した元上海憲兵隊特高課長の林秀澄の生前の談話に、里見の人となりがよく語られている。(※中略)

―里見さんの厄介にならなかった軍人さんはひとりもいなかったと言ってもいいんじゃないでしょうか。東条さんを叱りに行ったのは有名な話です。里見さんからお金をもらっているから、東条さんといえども文句が言えない。

軍が経済撹乱工作でニセ札を作ったとき、みんな怖がって使おうとしなかったのに、里見さんが軍の身代わりに使って、警察に捕まったことがあります。そういうときでも最後まで泥を吐かなかった。そんなわけですから、里見さんの前に出ますと、岸信介も頭があがりません。佐藤栄作も頭があがりません。(※中略)

「私は国通の主幹にへばりついているのはもういやだ。満州国を作ったのはいいが、しげしげ見ていると、日本の内地におった使い物にならんような連中ばかり連れてくる。こんな連中を早く追い返さんと、日本より程度の悪い国になるだけだ」

そう言って、この連中の首を全員切れというメンバー表をつくった。その筆頭になんと、里見さん自身の名前が入っていた。自分の名前をちゃんと書いて、「こういう人間がいるから時代遅れなんだ」と言って、自分は国通に残ろうとしなかった。(※中略)

ただ、戦後の電通に里見の息がかかった元国通マンや、旧同盟通信の社員が大挙して入社したことは事実である。さらにいうなら里見が国通の旗揚げによって、現在の電通の原型をつくる働きをしたことに思いをいたすならば、塚本の電通入社に里見の力が働いていたとしても何ら不思議はない。(※中略)

里見の女性関係については、松本重治も前掲の『われらの生涯のなかの中国』のなかでこんな談話証言をしている。

「里見君は、女道楽は百人斬りとか、百五十人斬りとか言って自慢だった。だけども本当に無欲括淡でね、それで食べ物だって、ハムエッグしか食べないんだよ。朝でも、晩でも何でもハムエッグ。それでシガレットはもう最高のアメリカや、イギリスのものを喫ってんだ。他に道楽は、何もないんだ」

◆孤高のA級戦犯

巣鴨プリズンにおいて里見の尋問が始まったのは、逮捕から4日目の3月5日の午前10時30分からだった。(※中略)

Q:結婚はしていますか
A:はい
Q:奥さんはどこに住んでいますか
A:東京都淀橋区西落合293番地です。
Q:今も奥さんと結婚し、一緒に暮らしていますか
A:はい。今も結婚していますが、住んでいるところは別です
Q:あなた自身の子供はいますか
A:いいえ
Q:現在、2号はいますか
A:大勢いますが、特定の女性はいません

愛人問題を尋ねられ、ここまで堂々と答えたA級戦犯容疑者は、けだし里見くらいのものだろう。(※中略)

Q:1931年に関東軍参謀本部で民間人として働くようになった後も、特務機関とその活動についてはいろいろ知っていたわけですね。
A:質問傾向から判断すると、あなたは特務機関の活動を非常に重視しているようですね。しかし、私自身が観察したところによれば、特務機関はあなたが考えるほど有能だったわけではありません。有能な指揮官に率いられている時は確かに有能でしたが、それ以外の時は、単に大佐や高級武官に率いられた、統率のとれていない軍人の集まりに過ぎませんでした。(※中略)

里見の晩年の秘書的存在だった伊達弘視氏によれば、里見が東京裁判で起訴されずに釈放されたのは、アメリカとの司法取引があったからだという。

「CIAは里見が持っていたアヘン売買のノウハウや、少数民族を手なずける」ための宣撫工作のノウハウを欲しがっていたと思う。その証拠に、ベトナム戦争のとき、CIAはアヘンを使って小数民族をアヘンで買収しようとした。それによって、原住民の情報を全部吸い上げようとしたんだ。ただ、アヘン工作が里見ほどうまくなかったから、結局失敗に終わってしまったが」(※中略)

昭和40年(1965)年3月21日午後11時50分、里見は新宿区西五軒町で借家で、家族と談笑中、心臓麻痺に襲われ、そのまま不帰の客となった。69歳だった。戦後ずっと信心してきた熊本の祖神道本部から帰京して2日後の、突然の死だった。

戦前、戦中から戦後までのびた満州、上海の空前の人脈を物語るように、通夜は3日3晩続いた。贈られた花輪のなかには、満州と上海で浅からぬ関係にあった岸信介や佐藤栄作からの花輪もあった。


あまりにも面白いのでかなりの長文になってしまいましたが、この作品が単にノンフィクション作品にとどまらず、一級の歴史資料にもなっていることは注目すべきだと思います。

この作品を書いた作家の佐野眞一は、最後にこう語っています。

「E・H・カー、柳田國男と並んで、ノンフィクションを書く際、私が座右の銘としてきた言葉を、ここでもう一つあげておきたい。ジャン=リュック・ゴダールをはじめとするヌーベルバーグの映画作家たちに大きな影響を与えたフランスの映画理論家でドキュメンタリー映画の実作者でもあったアンドレ・バザンの言葉である。

―私は補虫網を使わない。素手で蝶々をつかまえる―

この非常に美しい言葉のように、先入観や固定概念という補虫網を使わず、満州という巨大な蝶々を、というより巨大な毒蛾を、自分の素手のなかにつかみ取りたかった」

人間を幸福にしない日本というシステム

2007-07-13 16:41:43 | マスコミ関連
こんにちは。

10年以上前に読んだ本をブックオフの棚で見つけ、久しぶりに読んでみました。

本のタイトルは、『人間を幸福にしない日本というシステム』。

オランダの高級紙『NRCハンデルスブラッド』の元東アジア特派員で、現在アムステルダム大学の教授であるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏が書いたこの本は、働きバチの日本人にとってなかなか耳の痛い内容が満載です。

単一言語、単一民族の日本にいると、いつの間にか見方や考え方がとても単調になってしまうので、私は日頃から外国人の友人及び外国とビジネスをしている人とできるだけ知り合いになるように心がけています。

理屈抜きに、その方が会話が面白いのです。

最近何となく、体力、行動力、執着心、発想力、読解力、表現力、知的好奇心、冒険心といった側面において、私達日本人の平均民度が30年前と比べてかなり落ちているような気がしています。

外国人の視点が溢れたこの本は、その問題提起にもなっているので、ちょっと一部御紹介したいと思います。

◆偽りの現実と閉ざされた社会
「この人生はどこかおかしい」と多くの日本人が感じている。なぜだろうか?
(※中略)
なぜ、日本にはサラリーマン社会を揶揄する漫画があり、中流階級の日本人男性の苦々しい思いを映し出しているのか?
なぜ、日本には学校嫌いの子供がこれほど多いのか?
なぜ、日本の大学には、憂鬱で退屈そうでうつろな表情を浮かべた学生がこれほど多いのか?
なぜ、日本の女性は世界で最も晩婚なのか?なぜ、これほど多くの若い女性が一生結婚しないと決めているのか?
(※中略)
自分の人生をよりよいものにするため、あなたは日本を変革することに手をかすべきだ―私はそう確信している。そんなことは個人の力ではできそうもないと思われるかもしれないが、本書を読み終えたときには、それほど途方もない話ではないことをわかっていただけると信じている。

私は二つの理由から、みなさんが日本を根本的に変えるためになんらかの貢献をすべきだと考えている。第一に、日本を改善することは、あなた自身のためにも、あなたの仲間のためにも、そしてすでに子供がいるか、これからもつつつもりなら、子供のためにもよいことだからだ。第二に、日本を変革すれば国際問題をよい方向に改善するうえで貢献することにもなる。世界のなかの日本を変えることは可能だし、必要でもある。

◆「知らしむべからず」の伝統

どうすれば日本を変えれるかを考える前に、市民として力を発揮するために必要な知識を整理しておかなくてはならない。

最善の方法は、日本の全体的な状況のうちで、この問題に直接関係するいくつかの側面を綿密に検討することだと思う。(※中略)

知は力なり―多くの文化圏でこう信じられている。ものごとの仕組みを知り、いま何が起きているかを知れば、他者に支配されないように行動を起こすことができる。逆も真なりで、無知は無力を意味する。自分のまわりの世界がどのような仕組みで動いているかを知らなければ、犠牲者になりやすい。正確な情報をたくさん持っているが、知識の乏しい人や誤った知識しか持たない人とまったく異なる立場に立てるのは明らかだ。

もう一つ、はっきりしていることがある。知識の乏しい者は、社会的に上位にある者から支配されやすい。事情に通じていない部下ほど、上司から無理難題を押しつけられる。無知な国民ほど、政府にうまく繰られ、だまされる。

明治政府が到達した解決策を見れば、彼らがいかに実際的だったかわかる。国民の大部分を占める普通の人々と専門家や知識人や学者からなる社会集団を明確に区別したのだ。(※中略)

日本の官僚は支配階級に属している。官僚が権力をふるえるのは、一つには彼らが普通の人々の知らないことを知っているからだ。官僚は知識人や編集者や他の政府当局者とともに支配階級という少数派を形成している。(※中略)

現に、私の友人のなかにも、積極的に家庭に関わって、とても幸せそうな家庭生活を送っている日本人が二人いる。二人とも自分で小さい会社を経営しているので、素晴らしい結婚生活を続けるのが比較的容易なのだと思う。ほとんどのサラリーマンのおかれている状況はこれと対照的であり、大企業の要求―はっきり言われるわけではないが誰でもわかっている―にしたがって、結婚後2年もすれば、自分の家庭を重視するという「身勝手」なまねは許されなくなる。これは「日本人のもって生まれた特性」などとはまったく関係がない。強制された行動でしかないのだ。(※中略)

ものごとを変えるためのメカニズムは、民主主義に不可欠の、ある考え方がなければ存在しえない。

それは「説明責任(アカウンタビリティ)」という考え方である。

日本の政治システムの大きな問題は、日本で行われていることに対して最終的な「説明責任」を負う者が、システムの中に一人もいないことだ。その背景にあるのは、大半の日本人がいまだに政治的な意思をもっていないという問題である。(※中略)

◆検察官は日本の民主主義の敵

日本の検察庁は法務省の管理下にあるため、結局は官僚全体の下僕である。つまり、官僚が強力な政治家に脅威を感じはじめると、検察官がその政治家を始末するのだ。田中角栄にこれが起こり、金丸信にも起きた。(※中略)

検察官に狙いを定められて彼らの身に起こったことは、自業自得なのだとみなさんは考えるかも知れない。これもまた、日本の政治システムに対する最大の誤解の一つだ。この誤解に気づくためには、三つのことを覚えておかなくてはならない。

第一に、すでに本書で述べたとおり、政治家として名を成すには、大金持の家に生まれないかぎり、金権政治の修羅場をくぐらざるをえないこと。

第二に、政治家が選挙運動の資金を集めるにあたって、どこまで公式に許される行為か、その範囲がきわめてあいまいなこと。

第三は、官僚の恣意的な支配のために、企業は政治家の仲介に頼らざるをえないことである。

◆状況の論理

日本という生産マシーン―企業、銀行、業界団体、企業内労働組合、社会基盤などを含む―は飛行機に例えることができる。(※中略)

コースは設定されているが、終着点はない。日本という生産マシーンは最終的にどこへ連れていこうとしているのか、私たちは操縦士から聞いていない。なぜなら、操縦士など存在しないからだ。(※中略)日本には政治的説明責任がないからだ。

◆無能力と無関心

有害な惰性の原因は何か。組織の機能が低下してついに自壊に到るのを見てきた私は、原因は二つあると考える。一つは根本的な無関心、もう一つは根本的な無能力である。(※中略)

重ねて言うが、大蔵官僚は悪人ではない。彼らは、自分達の任務だと思っていることを実行しているだけだ。だが、その点ではかつての軍部の上層部も同じだった。両者に共通しているのは、国全体を正しく導いていく能力がない点である。そして、最も恐ろしいのは、第二部で分析したように、官僚は自分たちが何をしているか本当にはわかっていないことだ。

◆対立の必要

調和のイデオロギーが有害なのは、それが嘘のかたまりだからではなく、日本社会における対立の正当な役割までも否定するからだ。私達には対立が必要だ。この言い方に驚くとすれば、それは調和の達成を倫理的に必要なものと思わされている証拠だろう。すぐには信じられないかも知れないが、対立がなければ社会にしっかりした秩序をもたらすことはできない。(※中略)

しかし、民主主義を実現するためには、本当に対立が不可欠なのだ。対立を通じてこそ政治思想を競わせることができ、対立を通じてこそ、人々は政治的に教育される。対立を通じてこそ、強大な利権によって生じる大きな社会問題を解決できるのだ。

◆乗っ取られた市民社会

今日、「世論」の捏造に精を出しているのは新聞の編集者たちである。社説や記事のなかで、彼らは自分の意見の論拠として「一般の人々」を頻繁に引き合いに出す。そのため、多くの人がその通りだと思ってしまう。編集者たちは読者に対し、あなたの意見はこうあるべきだと教えているのである。(※中略)

しかし、新聞が世論と呼ぶものは、日本人の意見とまったく異なることが非常に多い。少なくとも、私の周囲にいる日本人の個人的な意見から受ける印象は、新聞から受ける印象と一致しない。

この本が書かれた10年以上前と比べて、状況が変っている部分もあります。

特に官僚に関しては、天下り禁止の議論もあって急速に人気が落ちています。

最近の東大生の人気就職先の筆頭は外資系金融かコンサルティング企業で、“優秀な東大生”が官僚になりたがらなくなっているのは事実です。

個人的には“組織に頼らない個人の自立した生き方”と、“高度な累進課税と3代でなくなる相続税という税システム”がテーマではないかと思います。

飯島秘書のホントの話

2007-06-26 21:12:24 | マスコミ関連
こんばんは。

先日オーナーインタビューのためにサロンにお伺いした帰り、サロンの近くのブックオフで一冊の本を買いました。

その本の生の名前は、『代議士秘書 笑っちゃうけどホントの話』。小泉政権を影で支えた、あの飯島勲秘書の著書です。

とかく週刊誌ではあまりイメージのよくない飯島秘書ですが(笑)、その本の内容はなかなか充実していたので、ちょっとご紹介したいと思います。

◆選挙は日本でできる唯一の戦争だ

【候補者の当落は、ポスターの貼り方一つでわかる】

いったんポスターを貼り終えたら、今度は全てのポスターをチェックするため、一つの例として他の運動員に鋲を持って回らせることがある。なぜか。それは熱心な支持者にポスター貼りを頼んでいても、やはり選挙事務所の人間ほどに真剣勝負でやっているとは限らないからだ。(中略)

そこで、すべてのポスターをチェックし、一枚一枚、ポスターが剥がれないように鋲を打って回らせるのである。鋲を打つのはポスターが剥がれないようにするという意味もあるが、同時に本当にチェックを行ったことを確認する意味もある。

たとえばA地区のポスター貼りの担当は加藤氏であるとしよう。加藤氏は作業を終えると、事務所に貼り終わったとの連絡を入れてくる。そこで運動員に「おまえ、A地区に行って見てこい」と、チェックに行かせるのだ。(中略)

支援者が熱心な陣営のポスターは、少しでもズレたり皺がよったりしたら、すぐに張り替えられる。破けたままで風に吹かれているようなポスターが貼ってある陣営は、不熱心な支持者しかいないし、連絡網もしっかりしていない。つまり、組織力、支持力が弱いと思っていい。特に小選挙区制だと、立候補の個人ポスターと、政党用ポスターをどのように最大限、効果的に使用しているかが歴然とする。

かくのごとく、候補者の当落は、ポスターの貼り方一つを見れば、選挙のプロでなくともすぐわかるのである。

【金がなくてもあるように思わせるテクニック】

選挙というのは不思議なもので、「この候補はどこをつついても本当に金がないな」と支持者に思われると、資金の豊富な相手に負けてしまうことがある。そこで、なんとかこちらにもたっぷりと金があるように支持者に思わせる工夫が必要だ。

いちばん手っ取り早いのは、選挙区内なら誰もが知っている資産家を、選挙の幹部に取り込むことである。有名な資産家がバックについているくらいだから、金がないということはありえない、と誰でも思う。実際には、おそろしくケチで、ビタ一文出さなくてもいい。世間の人はそんなことまで知らないからかまわないのである。そこで、その資産家に頭を下げて、

「ぜひ、ウチの選対に来て下さい。もう人手が足らないものですから留守番でもいいから来て下さい。選挙事務所にどっかと座って、事務長みたいな顔をしてくれていればいいんです」

と頼み込んで泣き落とし、選挙事務所に座らせる。そのうち対立陣営の関係者が、お茶を飲みながら、さりげなく様子を伺いにやってくる。と、億万長者がどっかと真ん中に座っているではないか。この光景を見ると、

「あそこはお金がないなんていうのはウソだ。今日も、あの資産家が選挙事務所に来て、胸を張ってお茶を飲んでいた」

と事務所に帰って報告する。かくして、わが陣営には金があるという噂がどんどん広まっていくのである。(中略)

◆秘書はあらゆることを知っていなければならない

【カモがカモを探して永田町を飛ぶ】

とある日の議員会館の一室、次のような陳情をする人物が現れた。

「実は北海道の某所から石油が出ました。自分はそこの地権を押さえたのですが、それを買う人を先生から紹介してもらえませんでしょうか」

この人、仮にAさんとしておこう。実はAさんはM資金まがいのグループにだまされたのであるが、そんなことおくびにも出さずにそのババをこちらに押し付けようとやってきたのだ。私ならこの時点で、Aさんにどうやってお引取り願うかを考えるが、知識も金もない先生と秘書はとたんに舞い上がってしまう。

この話のカラクリを説明するために、まずAさんが陥ったストーリーを紹介しよう。

ある日、Aさんのもとへ一人の紳士がやってきた。その人物いわく、

「いや、意外と知られていないんですが、日本には新潟みたいに石油が出るところが、けっこうあるんですよ。実は今度、北海道の土地で石油が出たらしいんです。どうです?この採掘権を買ってみませんか?」

さっそく、Aさんは紳士に伴われて現地へ飛んだ。

「まあ、問題は石油の質なんです。質が悪ければ、いくら掘っても採算が合いませんがね。ほら、あそこの土の上がちょっと湿っているでしょう。あれが石油なんです。ちょっとAさん、この試験管にあの石油を採取してみて下さい」

そこで手をベタベタにしながら、Aさんは試験管のなかに原油を入れた。ちなみに、騙すほうからすると、ここでAさん自身にこの作業をやらすのがポイントとか。(中略)

こうして何ヵ所かで原油を採取すると、

「実は、通産省(現経済産業省)の外郭団体に鉱物試験場というのがあります。ここは、お金を払い込みさえすれば、鉱物の成分を分析してくれますので、そちらに行って調べてみて下さいよ。われわれがいくら、これが本当に素晴らしい原油だといっても信じてもらえないでしょうからね」

そして待つこと数週間。分析の結果はきわめて上質の原油。ここでカラクリを説明すると、なんのことはない。この詐欺グループ、Aさんがやってくる前日に中東産の原油をドラム缶に2、3本手に入れて、数ヵ所の土の中に流し込んでおいただけなのである。分析結果がいいのは当たり前。(中略)

こう口説かれたAさん、ついに思い切って借金をし、クズみたいな土地を1億円出して買ってしまった。一方、詐欺グループは、現金を手に入れると同時に煙のように姿を消し、手元に残るのは自分名義の登記簿謄本と採掘権の届け出の権利、そして鉱物試験場の分析表、そして借金である。

かくして、最初のカモが、次のカモを探して永田町に出没するというわけだ。(中略)

秘書たる者は、こういうワケのわからない話の真贋を調べて、上手にさばかなくてはいけないのである。

権謀術数の渦巻く政界で、秘書という存在の大きさと重要さが実感できる一冊です。田中角栄の秘書早坂茂三氏と比べると、飯島秘書のキャラクターの方が親近感が涌いてきます。やはり飼い犬が飼い主に似るように、政治の世界も秘書は自分が使える親分に似てくるのかも知れません。