あるマーケティングプロデューサー日記

ビジネスを通じて出会った人々、新しい世界、成功事例などを日々綴っていきたいと思います。

ラジオ日本での番組収録

2008-08-30 23:36:06 | マスコミ関連
本日は、西麻布のロシア大使館の前にあるラジオ日本で「マット安川の勝ち組ビジネス」という番組の収録を行いました。

ラジオ番組のスタジオに入るのは生まれて初めてで、ちょっと緊張しました。

DJを務めるマット安川さんは、あの有名なミッキー安川さんの息子さんらしく、風貌も少し似ていました。事前におおよそのシナリオを渡されるのかと思いきや、全て当日ぶっつけ本番でした(笑)。

DJのマット安川さんから、
「リスナーさんからのお便りを読むと、出演して頂く社長のリアルな生き様をもっと放送して欲しいという声が多いんですよ。なので、できるだけ学生時代からの面白エピソードをお話下さい!」

そんなフリを頂き、なぜ東京に上京したのか、新聞奨学生時代の話、日芸での話、立教ESSでのディベート大会で帰国子女とのバトル、マガジンハウスでのアルバイト、リクルートへの入社、そこで学んだこと、退社後それをどう生かしたかについてなど、赤裸々にお話しました。

結果的に、全く編集が必要ない放送時間ピッタリに収まったので先方に非常に感謝されました。

ラジオ日本での放送日予定日は、9月20日(土)深夜12時半からです。もし御興味があれば、聴いて下さい。

情報誌次号モデル打ち合わせ

2008-08-28 23:37:43 | クリエイティブ
本日夕方は、カメラマンとモデルと情報誌次号の表紙打ち合わせ。

次号の表紙イメージのプリントアウトを机に並べながら、構図イメージや衣装イメージ、目線などをどんどんすり合わせていきます。

次号の制作進行は、今までよりもずっと前倒しでいきたいと考えています。


トラブル・バスター/ブルー・スウェード・シューズ3

2008-08-26 19:00:24 | マスコミ関連
引き続き、ドラブル・バスターの続きを。

「制作庶務係の宇賀神だ。中で何があった?」
「喧嘩です。血が出ました。今、医務室に行ってます。びっくりしちゃいました」とストローその②が言った。喋っている言葉に主語というものが無い。相手に自分の伝えたい事柄の内容を正確に伝達する能力に欠けるのが、こいつらストローどもの共通の特徴だ。

「誰が誰を殴ったんだ」
「ディレクターの大内さんが殴られました。殴ったのは僕の知らない人です。制作庶務の人が来たら中に入って結構だそうですから入って下さい」
“結構”なら帰っちまうぞ、と言おうと思ったがそれもやめた。この自閉症児どもめが。

重いスタジオドアを押してGスタに入ると、一応騒ぎは収まっているように見えた。音のしないようにドアを閉めたつもりだったが、空調の効いたスタジオ内の気圧のせいで「バタン」と大きく鳴ってしまった。スタジオ中の人間が俺の方を見た。フロアにいる人間の半分以上が知らない顔だった。どうやら今回の『月曜トップスペシャル』は局制作ではなく下請けプロダクションに外注して、スタジオだけうちのGスタを使っているらしい。

それにしても妙な雰囲気だった。テレビの制作現場で人が殴られるということは、そうしょっちゅうあることではないが皆無ともいえない。ディレクターがドジなADをハリ倒して活を入れることもあるし、技術さんはさらに上下関係がハッキリしているから動きの悪いカメラ助手が、テクニカル・ディレクターに蹴りを入れられるところだって見たことがある。

だが、そういった制作進行上の問題での喧嘩なら、逆にその後のスタジオにはピシッとした緊張感が漂っているはずだ。一人に活を入れることによって、スタジオ全体の雰囲気を引き締めるのが、ADや助手を殴ることの本当の目的だからである。

しかし、今の、このGスタに漂っている空気は、それとは違っている。何か、やる気の無さのようなものが技術陣や演出陣の間に広がっている。俺は演出サイドの人間の中で知った顔を探した。そいつは自分から俺のところにやって来てくれた。スタジオの3階分ブチ抜きの高い壁際に取り付けられたキャットウォークに、第二制作局のディレクターである村木という俺と同期の男が姿を現したのだ。2階の副調整室にいたらしい。カンカンカンと甲高い音を立てて鉄製の階段を下りて来た村木が俺に声をかけた。

「なんだ宇賀神ちゃん来ちゃったの、わざわざトラブル・バスターがお出ましになるような一件じゃなかったのに」

どうやら、トラブル・バスターという新語が俺のために作られて、既に関東テレビの局内では定着しているらしい。来年の『現代用語の基礎知識』には載るのだろうか。

「喧嘩騒ぎだってえじゃないか。誰が誰を殴ったんだい」
「一寸した行き違いですよ、よくある連絡ミスっが原因の勘違い」
村木が、床についていた鼻血らしい血痕を靴底でこすりながら言った。
「大内って誰だ?うちのDじゃねえな」
「ああ、ノバ・アート・プロのディレクター、今日はノバさんの制作でね、僕は局側の立会いプロデューサーってわけ」

ノバ・アート・プロは、ここのところメキメキと制作実績を上げている下請けプロダクションである。東京に6社ある民放テレビ局の中でも特にうちの仕事を多く受けている会社だ。つい2年前までは社員8人の小さな下請けプロだったが、今では抱えているディレクターだけで20人を超えているそうだ。社員全部で50人。これはその手の会社では相当な大手ということができる。

「で、やったのは?ノバの若い衆かなんかか。まさかタレントのマネージャーに殴られたってことはねえだろうしな」
「もう済んだの、もう上がり」
と村木は俺の前からフロア中央に歩き出しながら言った。それからフロア・ディレクターに向かって二言三言ささやいた。ノバ・アート・プロの人間らしいフロア・ディレクターが大きな声を出した。
「えー、これで昼飯にしますからぁ、次は二時スタートでお願いしまぁす」

三々五々とスタジオ内の人間が散り始めた。出演タレントたちは喧嘩騒ぎの発生と同時に楽屋に退いたらしく、マネージャー連中の姿も無かった。俺は狐につままれたような気分だった。村木が言うように、本当に単なる連絡ミスが原因の小さな出来事なら、何故、田所第二制作局長がわざわざ俺に電話をかけてきたのだろう。スタジオ内の異様な空気も気にくわなかった。もっと気にくわない言葉を、再び副調整室への階段を駆け上がりかけていた村木が俺に向けて吐いた。

「宇賀神ちゃん、これにて一件落着だからね。これ以上、ことを荒立てないで頂戴。なーんちゃってね」

トラブル・バスター/ブルー・スウェード・シューズ2

2008-08-25 22:56:03 | マスコミ関連
景山民夫の不朽の名作、「トラブル・バスター」からブルー・スウェード・シューズの第二弾を。


語尾に必ず、“バカヤロー”を付けないと気がすまない男なのだ。彼の行きつけの銀座のクラブでは、一回目の“バカヤロー”でレミーマルタンがテーブルに出て、二回目の“バカヤロー”でフルーツが並ぶ。田所局長好みの細身の新人ホステスを入店早々にマスターが紹介するところを目撃したことがある。足元から顔まで、舐めまわすようにしてその新人を観察した局長はマスターに向かって言ったものだ。「か、か、可愛いじゃねえかバカヤロー」

スタジオ管理室から週単位で送られてくるスタジオ使用表をチェックする。今日のGスタは、朝の10時から午後8時まで『月曜トップスペシャル』のVTR収録が入っていることになっていた。生放送のトラブルではないので一寸ばかり安心した。VTR収録なら、最悪の場合でもトラブルの源をスタジオからつまみ出す間、テープを止めておけばよい。

生放送だとそうはいかない。もう5年ほど前のことになるが、朝のワイドショーの最中に覚醒剤中毒の男が、「テレビが俺の悪口ばかり言っている」と金槌を持ってスタジオに乱入したことがある。

スタジオにいるガードマンは爺さんばかりで頼りにならず、結局、副調整室から担当ディレクターが下りて行って男をバックドロップで床に叩きつけて失神させるまで、6分間にわたって番組が中断した。

もっとも、バックドロップを決めるシーンはカメラ前で行われたから全国の御家庭に生中継され、その瞬間の視聴率は38パーセントという、朝にしては驚異的な数字を取った。但し、当のディレクターは、やりすぎだということで始末書を山ほど書かされて減俸処分をくらった。そのディレクターの名は、

宇賀神邦彦という。俺だ。

椅子から上着を取って肩にひっかけ、プレハブの外階段を駆け下りて、継ぎ足し継ぎ足しで迷路のようになってしまった局内の廊下をGスタに向かった。3階のエレベーターホールに屯していた芸能プロのマネージャー連中が俺に気づいて、あわてて目をそらせたり、急に公衆電話に飛びついたりした。連中にとって、制作局を追い出された元ディレクターという存在は、丁度古くなって新しいのを買った後の、引き取り手のない電気冷蔵庫のようなものだ。昔は重宝していても今はただ邪魔なだけで存在そのものがうっとうしい。

無視して廊下を突き進む。背後で、先輩マネージャーが若い新入りに向かって言っているらしい。「あいつには関わるなよ」という言葉が聞こえた。もしかすると気のせいかもしれない。

Gスタの前まで来ると、アルバイトのADが二人、青い顔をして立っていた。どうやら一応は関係者以外を中に入れないための見張りらしいが、俺だったらこんなストローみたいな連中よりは、ラグビーのフォワードでもやっていそうな奴を雇うだろう。

「どうした?」と声をかける。
「いや、何でもないんです」とそのストロー①が利いた風な口をきいた。
「何でもねえことはねえだろう。第二制作局長から直々に制作庶務係に連絡があったから来たんだぞ」
「あっ、それじゃお宅が制作庶務のトラブル・バスターですか」

近頃の若い者は言葉の正しい使い方を知らない。総務部付きとはいえ、れっきとした関東テレビの正社員、しかも年が15歳は上のこの俺がアルバイトのAD風情に、“お宅”呼ばわりされる覚えはない。暇な時なら二人まとめて俺の鼻の骨をへし折ってやるところだが、残念ながら今はその時間が無い。

トラブル・バスター/ブルー・スウェード・シューズ

2008-08-25 22:54:49 | マスコミ関連
故景山民夫氏の不朽の名作「トラブル・バスター」、そのフレーズはこうなっています。


俺は、関東テレビ総務部総務課制作庶務係の、宇賀神邦彦だ。

タレントや局の連中が次から次へと撒き散らす面倒事を裏側から始末して回るのが仕事だ。以前は制作部でディレクターをやっていたのだが、4年間に9本の番組をコケさせたことの落とし前というわけだ。

電話口で薄禿の田所制作部長が、バカヤローと怒鳴ると、まあ、俺の出番ということになる―。

同僚もいないし、我が家へ戻っても猫の権太郎以外は待つ者もいない身の上だが、楽しみがないわけではないから同情は不要だ。

トラブル・バスター。

人は、そう、俺を呼ぶ。


まずは第一話、「ブルー・スウェード・シューズ」を御紹介したいと思います。


何処かで電話が鳴っていた。
日課である昼食後の午睡から目を覚まされて、30回までベルの鳴る回数を数えた。それ以前の眠っている間に何回鳴ったかは分からない。31回目で、相手に諦める気が無いことを悟った。両足を机の上に上げた午睡の体勢から、俺は渋々と起き上がって電話探しの作業にとりかかった。

総務部総務課制作庶務分室、つまり関東テレビ株式会社が俺に与えてくれた事務室であるこのプレハブ建築の2階の小部屋には、机と呼べる代物は、今迄俺が足を乗せていた奴ひとつしかない。御存知、コクヨの灰色のスチールデスク。最近ではどちらかというと青山界隈のオフィスよりも工事現場の飯場に現場監督が図面を広げるために置いてあるのを見かけるチャンスの方が多いような、20年以上前の品物だ。少なくとも、この関東テレビの局内では、俺の仕事場以外は、ドラマの大道具用の倉庫にしか存在していない筈だ。車輌課の爺さんだってもう少しマシな机を使っている。

その机の上は、青木ヶ原の樹海みたいに見えた。俺が27センチのハッシュパピー1足分を載せていたスペースを除けば、週刊誌とスポーツ新聞とテレビ雑誌と広告と文庫本と社内報とウェンディーズのテイクアウト用の袋や包み紙と…とにかく、そういった紙紙紙の山だ。ここ3ヶ月の間、この机の上で文字を書いた記憶は一度もない。仕事はしても報告書を出す義務がないというのが、この総務課制作庶務係の唯一の利点で、つまり俺の仕事というのは、ほとんどが肉体労働であるということだ。

電話は広げて伏せた『フォーカス』の下、と見当をつけた。外れた。『フライデー』の下にもなかった。やっと『東スポ』と『週刊ファイト』の山の中から黒いダイヤル式の電話を掘り出した時には、ベルは既に50回以上鳴っていた。俺にはオフィス用の多機能電話はおろか、未だにプッシュホンすら与えられていない。但し、個人的な趣味からいえば電話はこの旧式な黒い奴の方が好きだ。

「宇賀神か、バカヤロー」

関東テレビ中を探したって、電話に出た相手が返事をする前にバカヤローと怒鳴る人物は一人だけしかいない。第二制作局長の田所だ。3ヶ月前まで、つまり俺がまだ制作局に所属していて名刺の肩書が“ディレクター”となっていた時の直属の上司である。口は悪いが、人間性にはもっと問題のある男だ。

「今、便所に行ってたんですよ」
「嘘をつくなら窓を閉じてからにしろ。何でその分室をそこのプレハブにしたと思ってるんだ。俺にゃ何でもお見通しだぞバカヤロー」

晩秋の陽差しが気持ち良いので、南側の窓を開けて放っておいたのが悪かったらしい。窓から鉄塔の立つ中庭を隔てた向こう側の、新社屋5階の制作局を見上げると、そこの窓際に受話器を握った田所局長が立っているのが見えた。元部下を制作局から叩き出しただけでは足らず、四六時中監視してくれるつもりらしい。感謝の気持ちを伝えるため、5階に投げキッスを送ってやった。

「何ですか?」
「何ですかじゃねえ、バカヤロー、すぐGスタへ行けバカヤロー。トラブルだよ」

景山民夫の本を発見

2008-08-23 09:54:10 | マスコミ関連
引越しで持ってきたダンボールを整理していたら、景山民夫の「トラブル・バスター」という本が出てきました。

この本は学生時代マガジンハウスでアルバイトをしていた時にもらったもので、その文体が絶妙で、当時かなりのインパクトを受けました。故景山氏のセンスが最高に生かされた作品の一つと言っていいでしょう。

ちなみに、景山氏のプロフィールを簡単に。

氏は警察官僚の父を持ち、武蔵高校から慶應文学部に進んだ後、アメリカ放浪を経て、放送作家へ。「しゃぼん玉ホリデー」や「タモリ倶楽部」などで活躍する一方、「オレ達ひょうきん族」ではそのプロレス好きが高じて、レスラー役でも出演したこともある人です。

文学面での功績も多く、直木賞他数多の賞を受賞されています。ただ、晩年は「幸福の科学」に没頭し、最後は書斎での火の不始末による焼死という非業の死を遂げています。

晩年の生き様が影響しているのかどうかわかりませんが、景山氏の作品は絶版になっているものも多いらしく、この「トラブルバスター」もそのようです。

いろんなサイトを見ていると復刊を願う声も多いので、このブログでのその内容を紹介できればと思います。

景山氏の知的でシャイな、そしてユーモラスなキャラクターが浮かび上がってくるはずです。

大学キャンパスのような社屋

2008-08-21 21:49:08 | ニュース
本日は、「情報誌への出稿を検討したい」との電話を頂き、某企業に初訪問してきました。

実際に社屋にお伺いすると、その壮大な建築様式に圧倒されました。まるで、歴史の深い大学のような荘厳さを感じます。

オーナーが、「何年経っても古く感じない建物にしたい」という想いで建てたとのこと。

扉を開けて玄関に入ると、またその空間が迫力満点でした。まるで、ホテルのロビーのようです。

対応して頂いたのは、マーケティング部担当のK氏。その会社の製品のシェア拡大のため、より認知度をアップさせたいというニーズでした。

今後どういった形に着地するかはわかりませんが、今回の訪問を大きな起点の一つにしたいと思います。

伊東温泉からの眺望

2008-08-17 23:50:29 | 国内旅行
有名な伊東温泉『サンハトヤ』のリゾートスパの大温泉の露天スペースから撮影したのが、この写真です。

この日はあいにくの天気だったので眺望は今イチでしたが、ヨットハーバーと海の組み合わせが「絵の構図」としてはなかなかいいのではと思いました。

ここは、いつか油絵を描いてみたいと思える風景でした。


最高!宇佐美の福寿丸

2008-08-17 23:30:02 | グルメ
伊東の温泉で体を癒した後は、やはり美味しい海の幸でしょう。

というわけで行ったお店はもう7~8年通っているお魚の美味しいお店、伊東のそばの宇佐美の海そばにある『福寿丸』です。

コンセプトが“伊勢海老料理の宿”というだけあって、新鮮な伊勢海老を安く食べれるのが大きな特徴です。

玄関に入ると大きな青い生簀があり、そこには伊勢海老がぎっしりとつまっています。

2階に上がると、窓際のテーブルと座敷があり、窓際からは目の前の宇佐美の海岸が一望できます。この日は小雨でしたが、それでもサーファーが何人か元気に泳いでいました。

この日は、イクラ丼と刺身盛り、あわびとサザエの刺身を頼みました。

海のそばで新鮮な海の幸を楽しみたい時、福寿丸は力強い味方です。

絶品のマンゴーアイス

2008-08-16 23:59:55 | 国内旅行
伊東温泉アンジンの会席料理の締めくくりは、マンゴーアイスクリームのデザートです。

このデザートは、アイスクリームの下にあるチーズのようなものが絶品でした。

食後のコーヒーとデザートは、どんな料理を食べても大事です(笑)。


野菜たっぷりの鍋

2008-08-16 23:58:08 | 国内旅行
お鍋は、海の幸と野菜たっぷりでした。

こういったお鍋には海老が必ず入っていますが、海老はいい出汁が出るという意味でも重要な気がします。

スープは、料理の大事な要素ですね。


マイルドなコーンスープ

2008-08-16 23:56:02 | 国内旅行
このコーンスープも、なかなかのお味でした。

半熟玉子とコーンスープの組み合わせが、妙に合っていました。

生クリームが使われているのか何かわかりませんが、美味しい味を作り出す技のもとを知りたくなるような料理でした。

湯葉と鯵のつみれ

2008-08-16 23:55:19 | 国内旅行
今回の会席料理で、意外と印象深かったのがこの料理です。

特に湯葉は久しぶりということもあって、じっくり堪能しました。

鯵のつみれも、かなりの美味でした。

会席料理は、栄養のバランスがほんとに良いと思います。

盛付けの美しさ

2008-08-16 23:51:05 | 国内旅行
料理の技の一つに、盛付けがあると思います。

同じ食材を使っても、調理、味付け、盛付けで人によって全く違うものに仕上がるから、料理は面白いのだと思います。

お刺身料理は、味はもちろん、その盛付けの美しさに感動しました。

出汁の美味しさ

2008-08-16 23:50:35 | 国内旅行
アンジンの料理の美味しさで印象的だったものの一つが、“出汁”です。

夕食は会席料理コースを選択したので、出汁の取り方は大きな関心のポイントでした。

この料理は出汁のきいた上品な味で、“料理人の技”を感じました。