あるマーケティングプロデューサー日記
ビジネスを通じて出会った人々、新しい世界、成功事例などを日々綴っていきたいと思います。
 



こんばんは。

昨日の引き続き、今回も広告史に残る有名な作品の考察をしたいと思います。

今回取り上げるのは、あの一世を風靡した『ペプシマン』です。

この広告を手掛けたのは、前回の日清のカップヌードル『hungry?』のグラフィックデザインを担当した大貫卓也さんです。

当時の状況をちょっと整理してみました。

◆クライアントの状況
・クライアントは当時ペプシを販売していた日本ペプシコーラ社
・日本で流すCMはアメリカからそのまま輸入したものを放送
・CMは日本でも人気ランキング1位になるが、商品は売れない
         ▼ 
◆提案
「CMのイメージがいいところはそのまま残して、売れるように変えましょう」
         ▼
◆どうしたらいいか?
・コンビニに行って、ケースを見るとコーラの色は赤色だ
・日本のコーラ市場はコカ・コーラが強く、コーラ=赤のイメージが浸透している
・だったら、ペプシコーラという商品自体をタレント化し、大人気になるしかない
・ペプシマンでおいしさ、爽快さ、カッコ良さ、楽しさ、新しさを表現したい
         ▼
“ペプシを売るという発想から、ペプシマンを好きになってもらうという発想へ”         

大貫さんは以前は博報堂にいた方ですが、独立してからはそれまでの窓口を通した付き合いではなく、企業の全てを見て、信頼してもらわなければならないという状況に変ったそうです。

そして営業の現場等のいろんな場面とも直にやり取りをし、そういうことをつまらないと思わずにちゃんと答え、クライントと良い関係になり、自分も好きなことができ、それにみんなも影響されて、みんなも喜んで売り上げも上がってというハッピーな状況を作り出すことが重要だと語っています。

自己満足な仕事にならないために、こういった“現場感”と問題を見抜く“感性”、そして解決策を組み立てる“論理性(ロジック)”が大事だということを、世の中の成功事例は教えてくれますね。

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こんばんは。

今回は有名な広告について、ちょっと書いてみたいと思います。

この“hungry?”のCMは、カンヌ国際CMフェスティバルでグランプリを受賞した作品です。

まだご記憶のある方も多いと思いますが、腹ぺこでマンモスを追いかける原始人のユーモラスな姿が印象的で、思わず吹き出してしまうCMでした。

このCMのディレクターを担当した東北新社の中島信也氏は、カップヌードルは普通に食べるとまずい→でも、腹が減っている時に食べると美味い→世界で一番腹が減っているのは原始人だ→キャッチコピーは食欲100万年ということで、プロデュースしていったそうです。

またこのCMは、ビジュアルの完成度も非常に高いものでした。

このCMのデザインを担当した『豊島園』や『ペプシ』のキャンペーンで有名な大貫卓也氏は、紙の上でゾウの大きさを決めるのに100通りも用意したそうです(笑)。

大貫さんは仕事に対して非常に厳しいことで有名です。

私のリクルートの後輩で、以前大貫デザイン事務所で働き、今は独立してフジテレビのCM等のグラフィックを制作して活躍している人間がいます。彼が大貫さんの下で働いていた時はよく、「いやー、家に帰れないですよ。大貫さんが外出している間にだけ、机の上で睡眠取ってるんです(笑)」と語っていたのが、今でも忘れられません。

持って生まれた才能だけでなくそれくらいの“こだわり”があるからこそ、世界に通用するクリエイティブを生み出すことができるのかも知れません。

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広告の歴史を勉強すると、大正中期に活躍した片岡敏郎という人物に出会います。

彼は最初電通に入ってぶらぶらしていましたが、その後森永製菓の宣伝部に誘われ、その才能を開花させます。

そしてその活躍ぶりに目をつけた寿屋(現サントリー)の鳥井社長が、宣伝部長にヘッドハンティングするのです。

彼の代表的なキャッチコピーを、紹介しましょう。

「不景気か?不景気だ!赤玉ポートワインを飲んでるかネ?飲んでない!そうだろう!」

「お前の家によったらナ お母さんが心配しててナ ちとこれでも飲んだらどうやちうてナ もたしてかえしたゼ」

「出たオラガビール 飲めオラガビール」

彼は当時の殆どの広告が広告主の視点から見ていた商品を、当時の庶民の目線で描くことで、大衆表現としての広告手法を確立した最初の人です。

そして何と言っても彼の代表的な作品は、スモカ歯磨の1,000点を超える広告です。

当時ライオン歯磨のような大手企業が新聞一面を使って派手な広告を打つ中で、スモカは10センチ四方くらいな小さなスペース広告で、カウンターパンチを浴びせ続けたのです。

「なんとまアおきれいなお歯…と逢う人ごとにほめられて スモカ使うの わたしもういやッ」

「スモカで磨いた三日目の 朝はわざわざもって見せて 旦那!お歯お歯お早う!」

「吸ったタバコのニコチンで 腹は黒いが歯は白い スモカ仕立ての男前 ムハ ムハハハハ」

これらのコピーのそばには当時活躍していた画家達のイラストがついていて、非常にユーモラスな広告に仕上がっています。

また表現の切り口が、歌舞伎調あり、モダン風あり、駄洒落ありと本当に幅が広いんです。

そして、最後には商品に必ず着地しています。

片岡敏郎の作品の魅力―それは、一つ一つが広告というものの原点を教えてくれる点なのです。

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昨日書いたレニ・リーフェンシュタールは、天才カメラマンでした。

しかしその才能を見抜き、プロパガンダに最大限利用したのは、あのヒットラーです。

彼は、政治宣伝の天才でした。

彼にはゲッペルスという参謀がいましたが、ゲッペルスももともとはヒットラーの街頭演説に感化され、ナチスの運動に参加したのです。

ゲッペルスは、こう語っています。

「彼の演説は、最初はためらいがちで、はにかんでいるようだった。

それはまるで、思想が偉大すぎて、普通の思想の枠に収まらず、ぴったりな言葉を手探りで探し求めている―そんな感じだった。

それから、だしぬけに言葉が響きを持ち始めた。

それにつれて聴衆は次第に興奮状態になり、こぶしをふりあげる者や泣き出す者も現れた。

私は凍えとほてりを交互に感じ、そして気が付くと、我を忘れて万歳を叫んでいた。

と、はるか壇上に立っていたヒットラーが、一瞬私を見た。

彼の青い目は、炎のように私の目を焼いた。神の声だ!

その瞬間、私は自分の進むべき道を知ったのである。」

ヒットラーの著書「我が闘争」を読むと、実は人を感動させるようなものは何もありません。

彼は大衆を動かすのは“論理”ではなく、“感情”であること、“言葉”よりも“音楽”であることを熟知していました。

そして、演説の中身を精査するのは、一握りのインテリに過ぎないことを見抜いていました。

演説の直前、彼は鏡の前で何時間も練習をし、演説が終わった後、彼の体重は3キロ減っていたそうです。

広告のメカニズムを研究する上で、ヒットラーは避けて通ることのできない存在です。

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「意思の勝利」という映画があります。

第二次世界大戦時、ナチスドイツがプロパガンダに利用した映画です。

この映画を撮影したことで知られるレニ・リーフェンシュタールの自伝映画「レニ」を見ました。

戦後ナチスに関わった罪に問われたレニは社会生命を抹殺されますが、彼女の創作意欲は衰えず、アフリカのスーダン南部のヌバ族と一緒に生活しながら、写真集を作ります。

そこに着く途中、レニは車が崖から転落して4日間も生死の境をさまよったりします。

この時、レニは60歳近い年齢でした。

この行動力。この創作意欲。

実在の人物の話だけに、リアリティの迫力が違います。

クリエイティブパワーの真髄を見せつけされた映画でした。

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