こんにちは。
ロシア連邦保安局(FSB)の元幹部アレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質のポロニウム210よって殺害された事件で、英検察当局は22日、ロシア人実業家のアンドレイ・ルゴボイ氏が事件に関与したとして、殺人罪による起訴が相当との判断を示したとのニュースが昨日流れました。
英検察当局はロシア当局にルゴボイ氏の身柄引き渡しを求めているそうですが、予想通りロシア最高検察庁は身柄の引き渡しを拒否しているそうです。
この関連記事が、軍事研究2007年3月号に掲載されていたので、ご紹介します。
◆MI6対ロシア諜報機関~英露の秘密諜報戦とリトビネンコ事件
謎の多いリトビネンコ事件。だが、その背景を探っていくと、ロシアに揺さぶりをかけるため、いかがわしい亡命者ネットワークを背後で支援するイギリスの「ある政治勢力」と、それに緩やかに連携する英情報機関の存在があった。
~ボリス・ベレゾフスキーのチェチェン利権~
(中略)
ボリス・ベレゾフスキー氏の権力基盤を語る時に、「チェチェン人」の存在は不可欠である。96年にアメリカの雑誌『フォーブス』は、ベレゾフスキーがどのようにして財産を築いたのかについてこう記している。
「モスクワ警察の発表によると、ベレゾフスキーは有力なチェチェンの犯罪組織と密接に協力し合い、自動車販売事業を始めた。(中略)2年前すなわち94年にソンツェヴォ・グループがモスクワの自動車販売市場の独占問題でチェチェン人たちと対立した。ソンツェヴォがベレゾフスキーと接触して協力を申し入れると『私には屋根がある(屋根があるというのは俗語で、マフィアと話がついていることを意味する)。話はチェチェン人たちとしてくれ』と答えたという」(エレーヌ・ブラン著『KGB帝国』創元社刊)
90年代のロシアは、政治勢力よりむしろマフィアのほうが強力だった。当時、何人もの新興財閥が誕生し、巨万の富を手にしたが、彼らは例外なくマフィアと密接な関係にあった。そして、ロシアに数あるマフィアの中でも、その頃もっとも力があったのが、チェチェン・マフィアだった。ベレゾフスキー氏は、まさにそのチェチェン・マフィアと通じていたのである。(中略)
~チェチェン紛争と「西側のある勢力」~
チェチェン紛争は、単なるチェチェン民族による独立闘争ではない。たとえば、その背景の一つには、チェチェン・マフィアとロシア・マフィアの抗争がある。チェチェン共和国の首都グロズヌイに南部ロシアやタジキスタンに灯油とガソリンを供給できるこの地方で唯一の製油所があり、シベリアの油田から大量の石油がここに送られるため、この石油の利権をめぐってマフィア同士の抗争が続けられてきたのだ。
またチェチェン紛争は、欧米の反露工作という側面を持った複雑な国際紛争でもある。というのも、カスピ海からロシアの港をつなぐ石油パイプラインがチェチェンを通ることから、カスピ海の石油利権と関係する西側の勢力は、コーカサス地方の政治的不安定を握り、グルジアやアゼルバイジャンへの影響力を強めてカスピ海の石油を支配下に治めるためにも、ロシアの弱体化を狙ってチェチェン武装勢力側にテコ入れしているのである。(中略)
前出『KGB帝国』を著したエレーヌ・プランは、「チェチェン問題は現代ロシアのアキレス腱である」と書いたが、このロシアのアキレス腱に食い込んでいるのがベレゾフスキー氏であり、彼の背後にいる「西側のある政治勢力」である。
~セルビアから始まったNGOを使った政府転覆~
FSBが英国政府によるNGO支援の実態を明らかにしたのは、資金の流れを示す書類だけであり、英国政府側は「人権活動団体に対する正当な支援であり、何ら問題はない」と主張しているが、米国のNGO支援に関してはかなり具体的な内容が明らかになっているので、以下少し見ていこう。
ウクライナのオレンジ革命を主導したPORAは、若者が中心となる組織だが、反体制勢力を拡大させ、大規模な反政府デモを組織する上で極めて大きな力を発揮した。このPORAが活動のお手本にしたのは、2000年にセルビアでミロシェビッチ政権を崩壊に追い込んだセルビアの反政府学生組織OTPORである。(中略)
PORAの指導者達もOTPORの指導を受け、反政府組織の結束を強化するためのスローガンやシンボルマークの作り方から、デモの組織の仕方、政府側の選挙違反の監視・糾弾するノウハウを学んだだけでなく、実際に同センターの指導員たちが選挙前のウクライナにオブザーバーとして現地入りし、実地に指導したという。
この非暴力抵抗センターのメンバーたちは、かつて米国の指導を受けたいわば「CIAの申し子」たちである。米国は2000年にミシェロビッチ政権を倒すためにセルビア反政府勢力支援のため2500万ドル(約30億円)を注ぎこんだが、米国のNGOがその資金の一部を得てOTPORの学生運動家たちに非暴力抵抗運動のノウハウをみっちりと教えて込んだのだった。(中略)
こうしてグルジアでの「バラ革命」、ウクライナの「オレンジ革命」にOTPORのノウハウが活かされ、オレンジ革命を成功させたPORAがブッシュ大統領の支持を得てさらに活動を国外に広げるというのである。プーチン政権が恐れるのも無理はない。
最近プーチン政権が、ロシアでの外国人滞在者に対する締め付けを強化しているのは、こういった背景と無関係ではないと思います。
明日も引き続き、このテーマを取り上げたいと思います。
ロシア連邦保安局(FSB)の元幹部アレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質のポロニウム210よって殺害された事件で、英検察当局は22日、ロシア人実業家のアンドレイ・ルゴボイ氏が事件に関与したとして、殺人罪による起訴が相当との判断を示したとのニュースが昨日流れました。
英検察当局はロシア当局にルゴボイ氏の身柄引き渡しを求めているそうですが、予想通りロシア最高検察庁は身柄の引き渡しを拒否しているそうです。
この関連記事が、軍事研究2007年3月号に掲載されていたので、ご紹介します。
◆MI6対ロシア諜報機関~英露の秘密諜報戦とリトビネンコ事件
謎の多いリトビネンコ事件。だが、その背景を探っていくと、ロシアに揺さぶりをかけるため、いかがわしい亡命者ネットワークを背後で支援するイギリスの「ある政治勢力」と、それに緩やかに連携する英情報機関の存在があった。
~ボリス・ベレゾフスキーのチェチェン利権~
(中略)
ボリス・ベレゾフスキー氏の権力基盤を語る時に、「チェチェン人」の存在は不可欠である。96年にアメリカの雑誌『フォーブス』は、ベレゾフスキーがどのようにして財産を築いたのかについてこう記している。
「モスクワ警察の発表によると、ベレゾフスキーは有力なチェチェンの犯罪組織と密接に協力し合い、自動車販売事業を始めた。(中略)2年前すなわち94年にソンツェヴォ・グループがモスクワの自動車販売市場の独占問題でチェチェン人たちと対立した。ソンツェヴォがベレゾフスキーと接触して協力を申し入れると『私には屋根がある(屋根があるというのは俗語で、マフィアと話がついていることを意味する)。話はチェチェン人たちとしてくれ』と答えたという」(エレーヌ・ブラン著『KGB帝国』創元社刊)
90年代のロシアは、政治勢力よりむしろマフィアのほうが強力だった。当時、何人もの新興財閥が誕生し、巨万の富を手にしたが、彼らは例外なくマフィアと密接な関係にあった。そして、ロシアに数あるマフィアの中でも、その頃もっとも力があったのが、チェチェン・マフィアだった。ベレゾフスキー氏は、まさにそのチェチェン・マフィアと通じていたのである。(中略)
~チェチェン紛争と「西側のある勢力」~
チェチェン紛争は、単なるチェチェン民族による独立闘争ではない。たとえば、その背景の一つには、チェチェン・マフィアとロシア・マフィアの抗争がある。チェチェン共和国の首都グロズヌイに南部ロシアやタジキスタンに灯油とガソリンを供給できるこの地方で唯一の製油所があり、シベリアの油田から大量の石油がここに送られるため、この石油の利権をめぐってマフィア同士の抗争が続けられてきたのだ。
またチェチェン紛争は、欧米の反露工作という側面を持った複雑な国際紛争でもある。というのも、カスピ海からロシアの港をつなぐ石油パイプラインがチェチェンを通ることから、カスピ海の石油利権と関係する西側の勢力は、コーカサス地方の政治的不安定を握り、グルジアやアゼルバイジャンへの影響力を強めてカスピ海の石油を支配下に治めるためにも、ロシアの弱体化を狙ってチェチェン武装勢力側にテコ入れしているのである。(中略)
前出『KGB帝国』を著したエレーヌ・プランは、「チェチェン問題は現代ロシアのアキレス腱である」と書いたが、このロシアのアキレス腱に食い込んでいるのがベレゾフスキー氏であり、彼の背後にいる「西側のある政治勢力」である。
~セルビアから始まったNGOを使った政府転覆~
FSBが英国政府によるNGO支援の実態を明らかにしたのは、資金の流れを示す書類だけであり、英国政府側は「人権活動団体に対する正当な支援であり、何ら問題はない」と主張しているが、米国のNGO支援に関してはかなり具体的な内容が明らかになっているので、以下少し見ていこう。
ウクライナのオレンジ革命を主導したPORAは、若者が中心となる組織だが、反体制勢力を拡大させ、大規模な反政府デモを組織する上で極めて大きな力を発揮した。このPORAが活動のお手本にしたのは、2000年にセルビアでミロシェビッチ政権を崩壊に追い込んだセルビアの反政府学生組織OTPORである。(中略)
PORAの指導者達もOTPORの指導を受け、反政府組織の結束を強化するためのスローガンやシンボルマークの作り方から、デモの組織の仕方、政府側の選挙違反の監視・糾弾するノウハウを学んだだけでなく、実際に同センターの指導員たちが選挙前のウクライナにオブザーバーとして現地入りし、実地に指導したという。
この非暴力抵抗センターのメンバーたちは、かつて米国の指導を受けたいわば「CIAの申し子」たちである。米国は2000年にミシェロビッチ政権を倒すためにセルビア反政府勢力支援のため2500万ドル(約30億円)を注ぎこんだが、米国のNGOがその資金の一部を得てOTPORの学生運動家たちに非暴力抵抗運動のノウハウをみっちりと教えて込んだのだった。(中略)
こうしてグルジアでの「バラ革命」、ウクライナの「オレンジ革命」にOTPORのノウハウが活かされ、オレンジ革命を成功させたPORAがブッシュ大統領の支持を得てさらに活動を国外に広げるというのである。プーチン政権が恐れるのも無理はない。
最近プーチン政権が、ロシアでの外国人滞在者に対する締め付けを強化しているのは、こういった背景と無関係ではないと思います。
明日も引き続き、このテーマを取り上げたいと思います。