元VSやんちゃ隊のスカウターのボログです(笑)

何故という疑問を持つことから始まる楽しさを知ろう(^_^)v
色々とご意見をお待ちしています

※BVS・CSと保存食にも使えるラスクを作ろう※

2017-08-31 06:00:00 | さとぴょん

保存食を作ろう

簡単にできる、食パンのラスクを作ってみよう(^_^)v

キャンプの非常食やハイキングの携帯食に便利だよ

まずは材料だ

食パン 8 枚切り 一斤

バターまたはマーガリン150g位

グラニュー糖 50g位

1.食パンの耳を落として縦横4/1にきる (落とした耳も後で再利用するよ)

2.クッキングシートに並べて片面 1 分 30 秒から 2 分くらい電子レンジ(500W)にかける

※かけすぎると焦げてしまうので注意

3.電子レンジにかけている間に、バターまたはマーガリンにグラニュー糖を入れて良くかき混ぜてペースト状 にしておこう

※冷蔵庫から出したばかりのバターやマーガリンは堅いので、少し常温にならしておこう

4.電子レンジから出した食パンにペースト状の(3)を表面に塗る ※食パンから水分が抜けカリカリになっていれば食パンのラスク生地はできているよ (3)で作ったペーストをラスク生地に塗り、オーブントースターに 1 分 30 秒くらいかける

※焦げないように時間は、調節してね これで完成だよ 残ったパン耳で、スティクシュガーを作ってみよう

1.バターまたはマーガリンを引き、コンロにかける

※バター・マーガリンは、多めに入れよう

2.フライパンのなかに、2/1の長さに切ったパンの耳を入れ炒める

※焦げ目が付くくらいがいいよ

3.まだ温かいうちに、グラニュー糖をまぶしてできあがり

※スティク状のラスクと言うところかな 保存袋に入れて携帯もできる、疲れたときの糖分補給にもなるよ 色々と味付けを楽しんでもおもしろい

※塩味や、シナモン、ココア味も試してみるのも面白い(*^_^*)

ビーバーやカブの集会で、おやつづくりのプログラムとしても使えそうだね(^_^)

SFB の中でも、ラスクに対して触れているところがあるよ、探してみてね(^_^)


※シートンとB-P※

2017-08-30 11:07:11 | さとぴょん

シートンとB-P

「シートン動物記」で有名なシートンは1900年、アメリカ合衆国ニューヨーク郊外の自分の農場に少年を集め、「ウッドクラフト・インディアンズ」と名付けた森林生活を取り入れたキャンプを行っていました。B-Pがブラウンシー島で実験キャンプを行うより7年前に実施していました。

シートンは、ウッドクラフト・インディアンズの活動を広めていました。その内にボーイスカウト運動がイギリスからアメリカ合衆国に広がり、シートンはウッドクラフト・インディアンズの組織を率いてボーイスカウト活動に加わりました。1910年創立されたボーイスカウトアメリカ連盟の初代連盟長にシートンが就任しました。

ボーイスカウトアメリカれか連盟のハンドブックは、シートンとB-Pの共著として出版されました、シートンもこの運動に貢献した一人なのです


※始まりの合図※

2017-08-29 06:00:00 | さとぴょん

クードゥーホーン
クードウは南アフリカにいる「しまかもしか」のことで、その角で作った角笛が「クードゥーホーン」と呼ばれています。
1896 年のマタペル事件で、当時、軍人であったB-P卿がアフリカのマタベルランド遠征軍にいたときに、反乱してきた原住民たちがお互いに連絡をするのに、このクードゥーの角笛を吹いていました。
戦いが終わってB-P 卿は戦利品として、この角笛を持ち帰り、1907 年のブラウンシー島での実験キャンプの始まりの合図に使用しました。
その後、1919 年のギルウェルパークでの実修所では当番班長が吹き、第1回及び第3回世界ジャンボリーでもB-P卿自身が吹き鳴らしたと言われています。


※ウルフ・力ブ※

2017-08-28 06:00:00 | さとぴょん

ウルフ・力ブ

ボーイスカウト年代以下の子ども達が活動できるようにベーデンパウェル卿が考えた部門で、日本のカブスカウトのことです。
ペーデンーパウェル卿はスカウト運動が始まった後、ボーイスカウト年代以下の子ども達ためのプログラムを考えました。 そして、英国の文豪ラジャード・キップリングの「ジャングルブック」を基盤として1 9 1 6年に「ウルフカブス・ハンドブック(WolfCubs Handbook)」を執筆し、それが活動の基本となりました。ウルフカブは狼の子という意味です。
日本では、1924 (大正13)年6 月に古田誠一郎氏によって神戸市須磨に最初のウルフ・カブ隊が誕生しました。
そして、ジャングルブックの中に出てくるウルフ(狼) は日本には生存しないので、日本に向いたいろいろな物語が試案されました。太平洋戦争後の昭和26年、日本のカビンダは、ウルフカブス・ハンドブックに倣って日本昔話の「金太郎」を中心とした「足柄山物語」を創作しました。これをカブスカウト活動の中核となる物語としたのです。 

   


※那須野営場と三島通陽※

2017-08-27 06:00:00 | さとぴょん

三島通陽は、1951 (昭和26)年から1965 (昭和40)年の間、ボーイスカウト日本連盟第4代総長を務め、ボーイスカウト日本連盟に那須野営場を寄付された方です。
明治30年1月1日に東京の麻布で生まれ、小さい頃は病弱でしたが、文学が好きで創作活動と国文学を研究し、父のあとを継いで子爵となりました。
23歳のときからボーイスカウト運動を始め「少年団日本連盟」の創立に当たり、副理事長に選任されました。その後、後藤新平総長や二荒理事長の信任を受けて組織確立の陣頭にたち、第2回世界ジャンボリーや第3回国際会議に参加しました。また、タト国文献の翻訳をはじめ指導者用の書籍を編集出版しました。
太平洋戦争後は、ボーイスカウト運動再建のために努力され、52歳の時に戦後初めての日本連盟理事長に就任し、昭和26 年に第4代総長になりました。 また、栃木県西那須野町に所有していた土地家屋(三島家の別荘) を日本連盟に寄付されました。それが私たちが大いに活用している那須野営場です。
この那須野営場は、もともと、那須開墾の人と地元の人たちから尊敬されていた子爵三島通庸(三島通陽の祖父) の思考発想の場所でした。彼は、「開墾の心は土と人の愛情がある結びつきである」「私の開墾事業は善良な人間作りにある」といつも語っていました。
今、その場所でスカウトの育成や幾多の指導者の養成が行われている由緒ある野営場なのです。