元VSやんちゃ隊のスカウターのボログです(笑)

何故という疑問を持つことから始まる楽しさを知ろう(^_^)v
色々とご意見をお待ちしています

※B- Pの日本訪問※

2017-08-26 06:00:00 | さとぴょん

B-Pは日本を訪問しています

アメリカ合衆国での講演の後

1 9 1 2 年4 月2 日夕刻、B- P卿が乗った船は横浜港に着岸

4 月4 日、日光東照宮を訪れ

4 月5 日には東京、高輪の泉岳寺や芝の増上寺を訪れ、満開の桜も見ています。

4 月6 日夜行列車に乗り京都を訪れました。

※知恩院では、おびんずる様のスケッチ画を描いて残しています。

4 月7 日夜神戸港から船で上海へ向かったのです。


B- Pは日本の風景が美しいこと、人々は信仰心が篤いこと、礼儀正しいこと、日本人は極めて美的だ、下駄の音は音楽的だ、と日本についての好印象を日記に書いています


※スカウト活動と宗教(信仰)※

2017-08-24 06:00:00 | みんなの意見

六波羅蜜

 仏教では、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という六つの修行を説いています。

人間性を高める為の六つの教えです。

  • 「布施(ふせ)」 人を助け世のために尽くすこと
  • 「持戒(じかい)」 人としてやってはいけない事はやらない
  • 「精進(しょうじん)」 一生懸命努力を続けること
  • 「忍辱(にんにく)」 困難に耐えること
  • 「禅定(ぜんじょう)」 心静かに自分を見つめること
  • 「智慧(ちえ)」 原理原則を理解しそれに従うこと

迷い、挫折し、先行きが見えないと思った時、今の自分はどうすれば良いか。

こういう教えが力を貸してくれます。

利他

成功を収めている企業人に必ず共通しているのは、「利他(りた)」の心をいつも内に秘めていることです。
「利他」の心とは、人を思いやる心。自分だけの利益を考えるのではなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうという、人間として最も尊く美しい心です。わが社にとってどうすれば利益になるとか、私個人にとって何が良いかということではありません。それは、一つの企業とか個人の利害得失を超えて、もっと広く高く、人間にとって、世の中にとって何が良いことなのかを考える生き方です。

 

慈悲

 仏教には慈悲という愛があります。
慈悲は、神や仏の我々に対する愛、また、昔は親の子供に対する愛をさしました。神や仏は目で見ることができません。これら目に見えないものの大いなる愛を慈悲、または慈愛と呼んでいます。慈悲は与えるばかりで、お返しを求めません。あげっ放しの無償の愛です。目に見えない大いなるものの愛は、慈悲を与えたことで、相手が少しでも苦しみから逃れ、心が癒されればいいと思うばかりなのです。これはボランティアの精神にも通じるもので、ボランティアは奉仕するだけで、その奉仕に対する報酬や賞賛を相手から求めません。


※スカウト野営※

2017-08-23 06:00:00 | さとぴょん

 スカウト野営とは
B-Pの言葉
「スカウトの野営は単なる“楽しい休日”以上のものであって隊長にとっては真のスカウティングを実際にやらせる最良の機会である。スカウト訓練の観点からすれば大規模なキャンプはよろしくない。理想的なスカウトの野営とは班制そのものに沿って運営されるものをいう。各班は別個の単位であり班ごとにサイトを持ち、炊事をし、他に頼らない。」
スカウト野営の特異性
スカウトの野営は他の一般の野営と非常に違っていることを確認しなければならない。
世間普通の野営はレクリエーションを目的とし、野営することそれ自体を目的とする。おもしろくて楽しく、健康的でありさえすればそれでよい。
スカウト野営は、野営そのものが目的ではない。目的はスカウティングすることにある。野営はこの目的を果たすための方法のひとつである。方法のひとつ――とは他にもたくさん方法があるからである。例えば、ハイキング、漕艇、救急法、ゲーム等々。おそらくたくさんある方法の中でいちばん魅力のある方法であろう。
故に世間一般の野営と違わないような考え方でスカウト野営をするならば、それはもうスカウト野営ではなくなってしまう。なぜだろう? それは――
(1)ちかい、おきての実行がその野営の中心の支柱になっていないから。
(2)班制教育がおこなわれていないから。
(3)そなえよつねに、日々の善行が実行されていないから。
(4)進級、技能科目が磨かれないから。
(5)スマートネス(よき秩序)が守られないから。
(6)大自然の教示を受けないから。
(7)観察推理と開拓精神が働かないから。
(8)創意工夫をしないから。ただ、あるがままの状態に安座して安逸を楽しんだり、困苦欠乏に耐えると称して実は横着をし不自由の弁解にしたり。
(9)計画性がないから。(換言すればプロジェクトしないから)
(10)評価(点検と講評)による進歩がないから。
(11)自然愛護をしないから。
(12)感謝の行動を残さないから。
の諸点があげられる。要するに「教育」ではあっても「スカウト教育」でないからである。指導者としては「和敬・清寂」の境地の体得が望まれる。


※自然と環境のためのスカウティングから①※

2017-08-22 06:00:00 | さとぴょん

“自然研究は、神がこの世界をいかに美しく驚異に満ちたものに作り上げ、あなたを楽しませてくれるかを教えてくれる。…この世界をあなたが生まれたときより、少しでも良くして残すようにしよう”
ベーデン・パウエル、世界のスカウトへの最後のメッセージ
“しっかり見つめ、耳を澄ます人たちにとって、森林はすぐに研究室にも、クラブにも、礼拝所にもなる。”
ベーデン・パウエル、ローバーリング・ツウ・サクセス

青少年のプログラム
スカウティングで青少年が「何を」行なうか[活動]
それが「いかに」なされるか[スカウト方法]
それがなされた「理由」[意図]
「総合」である


※B-Pから※

2017-08-21 06:00:00 | さとぴょん

BPのことば
1.広々とした道をハイキングすると、自分の全体がすばらしく健康だという喜びを感じる。快調そのものだという感覚は何ともすばらしい。ハイキングは鳥、植物、そして人を観察する楽しさをもたらしてくれる。そのうえ、初めての場所や景色を眺めるという冒険や、自然の美驚異による高揚感も得られる。このすべてが自分の住んでいる場所のすぐ近くで得られるのだ。しかし、それ以上にハイキングでは、様々な経験を持った人たちと出会い、交流をするようになる。それは興味をそそられるだけでなく、非常に役立つことも多いものだ。こうした人との出会いそのものが教育であり、ハイキングで出会った人たちがどんな服装や年齢、地位の人であったとしても、語り合う機会を逃すような物は愚か者に過ぎない。


2.キャンプについて、強調しておきたいことが一つある。私は昔から言っている『広く見よ(Look Wide)』ということだ。どんな立派なキャンプをしたとしても、スカウティングの最終的な目的でないということはわかるだろう。キャンプは幸福で健康な、役に立つ市民を作り上げるという私たちの目標につながっていく(可能性の最も高いものだが)段階の一つにしか過ぎない。


3.人数の少ないキャンプでは、ほとんどのことが隊長の示す手本によっておこなわれる。隊長は、少年達とともに生活をし、少年達から観察され、知らないうちにまねをされるが、そのことに、おそらく隊長自身気づいていない。隊長がなまけ者なら、少年達もなまけ者に、清潔好きであれば、少年達もそうなるだろう。隊長がキャンプの工作品を作るのがうまければ、すぐにライバルになるだろうということだ。


4.奥地の森林での生活が、本物のおとこをつくるということは、単に肉体的資質の問題ではなく、むしろ精神的発達にある。そうした生活を送る中では、自分自身きわめて小さな存在であり、自然と心を通い合わせて毎日を過ごしていることがわかる。
夜、人里離れた暗闇の中でたった一人、キャンプファイヤーのそばに座っていると、人は物思いにふけり、深く考えることができる。香りの良いマキの煙が鼻をさし、頭の上には透き通るような紫色の空に輝く星が散りばめられているのが見える――そして、深い沈黙の中に、ときおり魚が飛び跳ねたり、鳥の鳴き声が静寂を破る。心が大きく開かれ、偉大な考えと天啓を受ける事ができるのは、こうしたところだけである。
5.私より優秀な人は、特別にやり方をしなくても少年達を活発に動かして、知識を進歩させることができるだろう。私の場合は、あらかじめきちんとしたプログラムを作っておき、それに沿って実行する以外にうまくやれる方法を知らない。組織的に計画をしてやるほうが、でたらめな思いつきでやるより4倍も価値があるいうのは、決して誇張ではない。少年達に事前に作業計画を立てるように教えてやることは、彼らの性格作りとても良いことだ。そのうえ、自分が何を目指しているかわかれば、2倍以上熱心に取り組むものだ。


6.神は、私たちが生活をするのに美と驚異に満ちた地球をお与えになった。神は、私たちにそれを見る目を与えただけでなく、理解するための心をお与えになった。それは、私たちがその輝きをありのままに眺められる感覚次第である。


7.動物は、あなたと同じように神がお造りになった。したがって、動物も私たちの仲間である。動物は私たちの言葉を話すことはできないが、私たちと同じように喜びや苦痛を感じることができるし、親切にしてくれる人には感謝する気持ちも、持っているのだ。