元VSやんちゃ隊のスカウターのボログです(笑)

何故という疑問を持つことから始まる楽しさを知ろう(^_^)v
色々とご意見をお待ちしています

※B-Pから※

2017-08-21 06:00:00 | さとぴょん

BPのことば
1.広々とした道をハイキングすると、自分の全体がすばらしく健康だという喜びを感じる。快調そのものだという感覚は何ともすばらしい。ハイキングは鳥、植物、そして人を観察する楽しさをもたらしてくれる。そのうえ、初めての場所や景色を眺めるという冒険や、自然の美驚異による高揚感も得られる。このすべてが自分の住んでいる場所のすぐ近くで得られるのだ。しかし、それ以上にハイキングでは、様々な経験を持った人たちと出会い、交流をするようになる。それは興味をそそられるだけでなく、非常に役立つことも多いものだ。こうした人との出会いそのものが教育であり、ハイキングで出会った人たちがどんな服装や年齢、地位の人であったとしても、語り合う機会を逃すような物は愚か者に過ぎない。


2.キャンプについて、強調しておきたいことが一つある。私は昔から言っている『広く見よ(Look Wide)』ということだ。どんな立派なキャンプをしたとしても、スカウティングの最終的な目的でないということはわかるだろう。キャンプは幸福で健康な、役に立つ市民を作り上げるという私たちの目標につながっていく(可能性の最も高いものだが)段階の一つにしか過ぎない。


3.人数の少ないキャンプでは、ほとんどのことが隊長の示す手本によっておこなわれる。隊長は、少年達とともに生活をし、少年達から観察され、知らないうちにまねをされるが、そのことに、おそらく隊長自身気づいていない。隊長がなまけ者なら、少年達もなまけ者に、清潔好きであれば、少年達もそうなるだろう。隊長がキャンプの工作品を作るのがうまければ、すぐにライバルになるだろうということだ。


4.奥地の森林での生活が、本物のおとこをつくるということは、単に肉体的資質の問題ではなく、むしろ精神的発達にある。そうした生活を送る中では、自分自身きわめて小さな存在であり、自然と心を通い合わせて毎日を過ごしていることがわかる。
夜、人里離れた暗闇の中でたった一人、キャンプファイヤーのそばに座っていると、人は物思いにふけり、深く考えることができる。香りの良いマキの煙が鼻をさし、頭の上には透き通るような紫色の空に輝く星が散りばめられているのが見える――そして、深い沈黙の中に、ときおり魚が飛び跳ねたり、鳥の鳴き声が静寂を破る。心が大きく開かれ、偉大な考えと天啓を受ける事ができるのは、こうしたところだけである。
5.私より優秀な人は、特別にやり方をしなくても少年達を活発に動かして、知識を進歩させることができるだろう。私の場合は、あらかじめきちんとしたプログラムを作っておき、それに沿って実行する以外にうまくやれる方法を知らない。組織的に計画をしてやるほうが、でたらめな思いつきでやるより4倍も価値があるいうのは、決して誇張ではない。少年達に事前に作業計画を立てるように教えてやることは、彼らの性格作りとても良いことだ。そのうえ、自分が何を目指しているかわかれば、2倍以上熱心に取り組むものだ。


6.神は、私たちが生活をするのに美と驚異に満ちた地球をお与えになった。神は、私たちにそれを見る目を与えただけでなく、理解するための心をお与えになった。それは、私たちがその輝きをありのままに眺められる感覚次第である。


7.動物は、あなたと同じように神がお造りになった。したがって、動物も私たちの仲間である。動物は私たちの言葉を話すことはできないが、私たちと同じように喜びや苦痛を感じることができるし、親切にしてくれる人には感謝する気持ちも、持っているのだ。