やんちゃ隊のみんな
液体燃料を使用するときの危険を防止する上で、燃料の引火点温度の違いについて知っておこう!
灯油(ケロシン)
引火点37–65℃の間
自然発火温度220℃
ガソリン
引火点-43℃
自然発火温度246℃
エタノール(70%)
引火点16.6°
自然発火温度363℃
ブタンガス
引火点-60°
自然発火温度430℃
プロパンガス
形態 ガス
自然発火温度467℃
やんちゃ隊のみんな
液体燃料を使用するときの危険を防止する上で、燃料の引火点温度の違いについて知っておこう!
灯油(ケロシン)
引火点37–65℃の間
自然発火温度220℃
ガソリン
引火点-43℃
自然発火温度246℃
エタノール(70%)
引火点16.6°
自然発火温度363℃
ブタンガス
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自然発火温度430℃
プロパンガス
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やんちゃ隊のみんな
昔はよく使われていたんだけど、今は余り使われてなくなっているね(´・ω・`)
何の合図かわかるかな!
昔のスカウト・スカウターなら見ただけですぐわかるよヽ(´▽`)/
わかる人は、コメントをくださいねヽ(´▽`)/
答えは次回に
やんちゃ隊みんな
今回は、家形テントの部署名についてだよ
家型テントを張る基本を知るには、正しい名称を知っておこうヽ(´▽`)/
気が付くかなドームテントにはない名称もあるね(´∀`)
やんちゃ隊のみんな班の名誉って何かな?
班長の手引 第3章班と名誉会議
-THE PATROL LEADEWRS’HANDBOOK-
ジョン・サーマン
スカウティング・フォア・ボーイズの「班制度」の章で, B-P は次のように言っている。「名誉会議は隊長と班長から構成される。また小人数の隊の場合には,班長と次長で構成されることがある。名誉会議には,だいたい,隊長が出席するが,決して議決に加わらない」「名誉会議は表彰,処罰,作業プログラム,野営,隊の運営に関するその他の問題を決定する。名誉会議の構成員は機密を守らねばならない。ただし,隊全体に関係のある決定,たとえば任命,競技などにかぎり公表してよい」諸君はこれまで何度もこれを読んだだろうとは思うが,繰り返し精読してほしい。これはスカウティング・フォア・ボーイズの中でも,たいていのカウトや指導者が簡単に読み過ごしてしまうが,ぜんぜん読みもしない部分に入っているのではないかと思われ,私は不安である。しかも, これはスカウティング・フォア・ボーイズの中に扱われている最も重要な問題の1 つである。名誉会議が活動していなければ,班制度は運用されていないといっても過言ではない。スカウティング・フォア・ボーイズから引用した,以上の文章を吟味して,班長である諸君はこの文章に盛り込まれた意味をどうやって実行できるか,実行すべきであるかを考えてみよう。まず第l に―「名誉会議は隊長と班長から構成される」さて,「構成してもよい」とも「構成することができる」ともいっていないととに気をつけなさい。いいかえれば,各隊に名誉会議を置くことはスカウトのちかいや野営にいくと同じくらいスカウティングにおいては重要である。われわれはとの事実を直視して,とにかくわれわれの隊には名誉会議を設けて,それを活用していくように心がけなければいけない。上の文につづいて「たいてい,名誉会議に隊長は出席するが,議決に加わらない」と書いである。私は, 諸君の隊では,隊長は議決権を持たない者であることが守られていることを強く希望する。班長である諸君は,隊長と助言者のように考えるべきである。つまり隊長は諸君や他の班長に諸君たちが考えたいと思っている事を暗示したり,脱線しそうになったときに軌道に戻らせたり,名誉会議が正しい任務をつづけていけるように,実際にする者である。しかし,どうしてもやむにやまれない緊急の場合でなければ,口出しをしてはいけない。さて,私は次の文章を強調したい。「名誉会議構成員は機密を守る」諸君はこの言葉の重要性を味わってほしい。また,諸君は名誉会議の役割を十分果たす覚悟を持ってほしい。もし名誉会議というものが班長が集まって,誰かのことを議題にして話し合うだけのものなら,その名誉会議は正しく任務を果たしているとはいえない。その理由はいろいろあるが,そのうち,2つの理由をあげれば十分であると思う。第1 の理由は,名誉会議はなによりも隊の名誉を扱う,すなわち,名誉会議は隊のスカウトの個人的な行為を取り扱うということである。諸君は,事の大小はともかく, 隊の名誉を落とさせた―たとえば競技やその他の重要な大会に欠席したり, 何らかの方法で名誉を傷つけた―スカウトの処分を話しあうことがあるにちがいない。隊の最高機関である名誉会議を持ってこの問題を論じ,処置を決定することは,明らかに必要である。名誉会議が新米の初級スカウトや隊に無関係な人たちの共有財産になることはとうてい考えられないことである。第2 の理由は非常に異なった見方である。名誉会議はいつもきたるべき事を考えなければならないということである。次の夏期野営はどこで行うかとか,いつ回の音楽会を開くかとか,隊の特別活動をいつ,どんな方法で実施するかということを論ずる。言いかえれば,名誉会議の話し合いには1 回の会合では片付かないものもある。不正確で中途半端な話を持ちこまれるほど隊にとって迷惑なことはなし、もちろん,話し合いを重ねたうえで名誉会議は決定を下し,それから班長は班員に伝え隊長は隊全体に:話をする。これが現代流にいえば「情報の発表は正しいときに」ということである。隊全体が正しいときに,同じ方法で情報を得るようにすることは非常に必要なことである。したがって,各班長は名誉会議の機密を選守しなければならない。その理由の第l は,その誓いをしたからであり,第2 はこの誓いを厳守しないかぎり,隊を秩序正しく,厳格に運営することはできないからである。さて,少し後戻りしよう。B-P は「名誉会議は表彰,処罰,作業プログラム,野営,その他の隊運営に関する問題を決定する」と言われた。B-P がいう表彰とは何であるのか,おそらく,あまりはっきり理解できなかろう,というのは、スカクティングは優勝杯とか優勝メダルという意味の賞を決してだしてないからである。しかし, B-P の真意はスカウトの立場から―すなわち,ちかい,おきて,スカウト精神―スカウトが1 級章や2 級章またはある技能章をうける資格があるかを各誉会議で決定させるところにあったと私は信じ,また, こう解釈して私は私の隊を運営してきた。名誉会議は技能章の考査とは全然関係がない―これは隊長や各地の技能章考査員の仕事であり,彼らが,考査を行って,少年が努力をしたかとか,必要な知識や技能を身につけたかによって合否を決める―しかし,信号や救急やハイキングに完全な能力を見せた少年が,必ずしもいいスカウトとは限らない。さて,考査員にはこれは判別できない。しかし名誉会議はそれを判別できるだけでなく,それを当然知っておるべきものである。したがって,名営会議の任務の1 つは,技能章が授与される前には必ず,言葉当のスカウトはちかいの実践に正しい努力を払っていること,同時に,年をとるにしたがって前進的に努力が著しくなっていることを証明することである。それはこんな具合にやる―「たいていの名誉会議の議題には「考査と技能章について」という一項をおくことである。まず隊長は「ビル・パギンズ君は救急章の考査に合格した」という報告をする。そこでビルの班長はビルのスカウトとしての評価を名誉会議に対して発表する。名誉会議は,ビルが技能考査に合格点をとったことは認めるが、それに加わえて私が精神考査と呼ぶところの考査に合格するかを判定し,この2つの点が技能章の授賞に値するとはっきり確信できたとき,はじめて名誉会識は授賞の決定を下すのである。スカウティングの基準を保つためには,これ以外に方法はない。もしわれわれが物質的な面だけにととらわれるのであれば,とうていスカウト隊とまりスカウティングの真の目的を見失ったユニフォームを着た一種のクラブに他ならない。表彰についてはこのくらいにして,処罰について述べよう。スカウティングにおいても,隊長が処罰のために体刑を科した時代があった。便所を掘らせたり,ジャガイモの皮むきをさせたり,雑巾がけをさせたりした例がある。この考え方は馬鹿げていることを,またこのような仕事は処罰としではなく名誉心を持って行わせるようにわれわれすべてが心がけたいものである。つい2.3日前に,私は,最初の頃に行った野営の思い出にひたったことがあった。この野営では当番班は置かずに,特権班だけをおいて,班が他の班のために働くのは1つの特権であることを教えた。諸君の班が課せられた任務は1つの特権と考え,処罰とみなさないように希望する。ところで,処罰に体刑を使わないとしたら,どんな罰を与えたらよいのだろうか? 私は,スカウトが行事へ参加するのを禁止する処罰方法をとったらよいと信ずる―週末キャンプとかハイキングとか探険とか,われわれの名誉会議が,そのスカウトが参加したら隊の士気が下がると思われるものであればよい。ただし,この点についてわれわれは少々注意を払わなければならない。隊がクリケットの試合をしたときに,大量得点を期待して送りだした打者が,空振りの三振をしたとしてもそれを,おろかにも隊の士気を傷つけた事のように思ってはならない。隊の士気を傷つけるというのは,もちろんそんなことではなく,その者にやる気があるかないかということによってきまる。事実,スカウトが犯す罪で名誉会議の処罰を必要とすることは,いわゆる,怠慢の罪―やるべきことを為す気力がないとか,やるべきことをやらない―であることが多い。もう1 つ,名誉会議によって処罰されるべき罪がある。それはスカウトのおきての1つを破ることである。この点でも,われわれは少々注意が必要である。荷車を押しているときに車輪がスカウトの足をひけば, 悪いことにはちがいないが,誰だってスカウティング・フォア・ボーイズにはでてこないような乱暴な叫び声を上げよう。乱暴な言葉使いは,ふつう,知性の低さと形容詞の正しい使い方ができないことを示すが,もののはずみで,ささいな間違いを犯すということもあるのだから,この点は大目にみなければいけない。スカウティングで見すごすことのできないことは,いかなる言葉にせよ,知っていながら悪い言葉を使うことである。われわれの隊には1つのすばらしい古い慣習があった。スカウトが乱暴な言葉使いをすると,彼の班長は,彼の上衣のそでからコップ一杯の水をながしこむことになっていた。私個人としては,うまい着想だと思っているので,それが廃止されたのは残念でたまらない。腋の下に冷水を注がれたら,どんなスカウト?とってたまったものではない。次からは言葉使いに非常に気をつけて,下品にならないように心がけたものだった。名誉会議が決定する処罰法はスカウトが何らかの活動に参加する権利を取り上げることが本筋であると思う。ときには,なかなか決心しかねるときもあろう。しかし,諸君は正直に,諸君の任務を正しく果たす覚悟を持つべきである。たとえば,強打者ではあるが,前の週の野営競技大会に予期に反して参加せずに,隊の士気を落とした者はクリケットの試合に欠場させるのはつらいことである。今私が班長であれば,私はクリケットの試合に勝目がないのを承知の上で,あえてそのスカウトに「自分は不可欠の存在である」といった気持を持たせないようにするだろう。隊の一員であり,班の一員であることは特権であること,および,その特権は日々蓄積されていかなければならないことを,私だったらそのスカウトに自省させるつもりである。処罰の問題についてもう一言つけ加える。それは,もし正しければ,隊長は経験と頭を使って名誉会議の決定をくつがえしてもよいということである。名誉会議は簡単に腹をたてて,腹立ちまぎれに全く不当な不合理な処罰を決定するかもしれない。隊長は,立腹を考慮にいれずに,名誉会議の決定をくつがえしたのかもしれない。このような問題を扱うときには,班長の諸君はできるかぎりの任務を貫徹すべきではあるが,いつも隊長の指導に服従しなければならない。スカウティング・フォア・ボーイズの引用文にもどり,用語の配列に重要な意味があることをくみ取ってほしい。表彰と処罰が文章のはじめにあるのは,つまり,これらは隊の名誉に関係するからである。すなわち,これが諸君が名誉会議と呼ばれる理由である。諸君は隊の名誉の保護者であるということである。第3番に,B-P は作業プログラムと書いた―名誉からずっとはなれている―諸君は諸君の頭の中でもまた行動においてもこの順序どおりに以上のことを整理するよう私は望む。プログラムについて私が言いたいことは,ただ名誉会議のこの点に関する任務はまず個人的に各班の意見を聞いておくということである。班長である諸君は班の代表者である。諸君は班員の希望を聞いであるだろうし,また班会議はプログラムやゲームなどについてのいろいろな着想を論じ,その話しあった結果を名誉会議に持ちこむのが諸君の任務である。諸君自身にはあまりおもしろくない提案もしなければなるまい。とれはスカウティングから諸君がうる教訓の1つである―すなわち諸君が完全に同意できない班員の希望を班員を代表して発表する方法を学ぶ機会である。悪い班長は,名誉会議で,自分のことだけを考える者であり,反対にいい班長はいつも班員のことを考える者である。だいたいにおいて,諸君は班会議の討議した着想を完全に名誉会議で発表でき,それが隊のプログラムに反映できるよう希望する。ここで第2の教酬を諸君に与える。他の班長全員が諸君の着想をすべて拒絶することがあろう。この場合には,諸君のとるべき道は2つある。まず,諸君の敗北をつつしみ深く認めること,第2に班に戻ったときに班員が名誉会議の決定を忠実に守るように努めることである。だんじて,次のように言つてはならない。「僕たちは,それに賛成ではないから,それをやる気持はない」とか,「僕たちは,フットボールをしたいので,キャンプにはいかない」とか。このときこそ諸君の指導力をテストするときである。実際,指導力のもっとも大なるテストは自班の選択に合わない決定に班員が熱心に従うように指導することにある。』名誉会識はプログラムの細部にまで立ち入らない。それは諸君の任務ではなく指導者の任務である。諸君の務めはやりたいと思うことを表示することであり,プログラムは隊の弱点の改善に意を注ぐことである。たとえば,もし隊の野営競技の成績が地区の最下位であれば,班長は野営技術に―たんなる野営ではなく,野営技術の訓練に―もっと着目するよう提案することになろう。または,l 級章の信号ができなくて1 級になれないスカウトが隊にたくさんいるなら,名誉会議はプログラムにもっと信号を入れるように提案することになろう。名誉会議は班のスカウトの役に立つようなことを,総体的に,提案すべきである。「国旗掲揚7 : 30,点検7 : 35,ゲーム7:40 など」というプログラムは立ててはならない。とのようなことは,すべて, 隊長の任務である。諸君の決定が何であれ,隊長は諸君。と話さないことをプログラムに導入する権利を持つことを諸君は承知しておくことが必要である。スカウト隊全員が火曜日の夕方7 時45 分に何が行われるかを正確に知っているようでは,1 日が退屈この上もない! 興味はまったく失われてしまう。隊長の任務の1つは興味をどうやって継続させるかにある。諸君のプログラムへの提案はおおまかな方向づけにとど。B-P の終わりの言葉は「……その他隊の運営に関する問題」である。こういえばすべてのことを含むことになるが,本当の意味は,まずなによりも隊費に関する提言,すなわち隊員が納め,名誉会議だけが使う権利を持っている隊費の使いみちのことである。この他の方法で,隊または団全体のために集められた金は団委員会が監督するが,隊費としてスカウトが納める金は名誉会議の所持金であり隊長に相談したうえで名誉会議が使いみちを決める。私はお金の使い方を教えようとは思わないが,その一部はスカウティングをもっと多くの少年に与えられるような目的および諸君より不幸な境遇にある人々に善行をするために使うことを強くすすめる。隊の運営に関するその他の問題といえば,次長と班長の選出,特別な野営などで特別な任務をする隊やスカウトの選任および隊の進歩と停滞打開のための提案がある。これらはすべて隊運営という問題に含まれる。諸君がこのために尽くすなら,諸君はすでに知つてのとおり,名誉会議が全スカウト機構の中心になることはまちがいない。名誉会議にでる意見は選別され,道理にあった形に作り上げられ,隊のスカウト全員のためになるように機構の隅々にまで波及されていく。名誉会議は事務的に進めること,および会議録をつげるよう希望する。しかも,委員会のような考え違いをしないよう気をつけなさい。諸君は,いつでも,隊の名誉と隊の進歩
と隊員1 人1 人の進歩に関心を持つことである。最後に,諸君の名誉会議が長い間開かれていなかったり,老総長がその本務として上げている任務をいきさかでも怠たっているようなら―さあ,今こそ新しいスタートと新しい決意を固めるときである。前進だ!班長の諸君。
『班長の手引』を読んで、
中村知
この章は,日本のリーダーたちに, よく読んでもらいたい章である。日本でも米国でも,この会議を「班長会議」と名づけている。米国は別にGreen-Bars 集会とも通称している。英国だけが,なぜ,名誉会議〈名誉法廷〉と名づけるのか? とれについては, ローランド・フィリップス著「パトロールシステム」に,そのいわれが歴史的に記されている。すなわち,ちかいのことばの前文に「名誉にかけて……」という重要な発言がある。この名誉にかけて―という意味は,名誉心とは違うウソをいわない,信頼に値―という意味で,明治生まれの人がよく口にした,「恥を知る」という内容を含んでいる。すなわち,スカウトとしての名誉を保つことである。その名誉をけがした者に対する処分の会議,すなわち,名誉維持のための裁判の法廷(Court)ということからCourt of Honour 「名誉法廷」と名づけたのが,そもそものはじまりであった。それとは別に隊の行政的の面, 財政面,立案,計画などのプログラム面を話したり,班会議の報告をしたり,班活動の報告,各人の進歩状況の検討や,人事について別の班長会議をもっていた。このほうは,定例会議となった。名誉法廷のほうは,そう,しばしば違反があるわけではないから,ひんぱんには開かれない。いま一つ班長訓練会がある。けれども,班長にとっては,この3種の会合を1 本にまとめたほうが出席するうえで好都合だということから合体された。合体したものの名前を班長会議というか名誉法廷というか? 法廷―は,なんだか軍法会議みたいだ。それで日本語訳は,結局,名誉会議―という名称で呼んでいる。〈英語では名誉法廷〉ちなみに,日本で名誉会議というのは表彰審査会議,米国のCourt of Honour は表彰式そのもの,アワードの授与式の式場をいう。アワードには技能章も進級章も含まれる。名誉の場―ということ。
ジョン・サーマンはここで,
〇君たちの隊で、は名誉会議をやっているか?と書いている。英国にも,名営会議〈班長会議〉をしていないような隊があるのだろうか?
〇名誉を維持するとは,基準,法,価値を維持することで,それは信頼にこたえ,信頼されることの根基である。
〇処罰―ということは,名誉を破り,けがす者を罰すること。
〇名誉を保つことは, 伝統を受けつぐことにも関係がある。
〇処罰は,何を元として判定するか? それは団,隊,班の伝統が大きく関連する。特に班の。
〇功労は自分のモノとし,悪や失敗を班員になすりつけるような班長はいないだろうか?と,記している。その次?と運営面のことについて―
〇プログラムの細目を決めるのは, リーダーの役目であって君たち班長の役目ではない。たとえば,何日の何時,どこに集合しなどというこまかいことはリーダーが決めるのだ。
〇何から何までいっさいを班長が知っていたら,それはテストにならない。興味もうすらぐ。テスターはリーダーがなる。これなど,日本の隊長たちにも注意してほしい。
〇隊費を各班でどう使うか? 決める。
〇次長,班長の選出について。これは任命ではなく選出である。
〇要するに名誉会議を委員会みたいに考えてはいけない。
〇隊の名営と,隊の進歩と,隊員1 人1 人の進歩について関心を払わねばならない。
以上でこの章を終わっている。どこの少年隊も,このように,正常に班長会議をやっているだろうか?との点,大いに反省する必要があろう。なお。班長訓練ということが,この会議に付随するのが常であるが,この本には,書かれていない。ちょっとふしぎである。この名誉会議に議員として出席できる身分,つまり班長になるということは,少年にとって輝かしい名誉であるらしい。その意味で,名誉会議というのだと考えることも、できょう。私は,これは,どこまでもスカウトが自主的,自発的にやる会議だと考えるが,一面には,隊として,隊長とて,どうこの会議を方向づけるかという点も大きい要素だと思う。少年を絶対に信頼せねばならないのであるが,他方,監査指導というζ とも,忘れてはならぬ。単なる相談会,打合せ会,委員会でない―ということをよく銘記せねばならない。隊長は, 安楽椅子に腰掛けて腕組みしておればよい―というのは米国のやり方で,パトロールメソッドでは,そうなるのかもしれない。もちろん,隊長が,いちいち,口を出して采配をふるったり,機関車になるのはまちがいである。これは,班長1 人1 人の人物,長所,短所を鑑別するのに絶対な機会である。それと同時に,これは,市民教育,民主教育の正しいあり方を習得させる実習であることを,私が筆をとるのであれば付言するだろう。しかし,そんなことは成人に申しあげることなのかもしれない。