ホリスティックライフ in 世田谷

都会の中の田舎に住み、ウキウキ、ワクワク楽しく暮らす。
キーワードは、ホリスティックライフ。

『ザンジバルのからゆさん』

2006-11-30 15:32:24 | 最近読んだ本
白石顕二『ザンジバルの娘子軍(からゆきさん)』(現代教養文庫)

ザンジバルです。ザンジバルにいたからゆきさんのお話。
ザンジバル? どこかで聞いた記憶がありますよね、最近。
そう、フレディ・マーキュリーですよーーー。

この本、かなり前に図書館で借りて読んだことがありました。
ザンジバルという文字が目に飛び込んできて、すぐに借りたのです。
ザンジバルはもちろんフレディ・マーキュリーの生まれ故郷といういことで、
気になる場所ではありました。
最近忘れていたけれど、フレディ・マーキュリーの映画にザンジバルが出てきて、
急にまた読みたくなって、図書館で借りて読んだというわけです。

ザンジバルはタンザニアの沖に浮かぶ島。
昔から交通の要衝で、いろいろな人種が住んでいました。
悲しい歴史としては、奴隷貿易の中継地点だったということ。
私の大好きなスパイス絡みとしては、クローブの産地ということ。

ザンジバルへ行くには、現在でも飛行機を乗り継ぎ乗り継ぎ
行かなければたどり着かない、遠いところです。

そんな遠いところに、明治時代から大正~昭和の初期にかけて
日本人女性が何人も住んでいたのです。

明治と昭和の時代に挟まれて、大正時代のことはあまり知られていませんが、
実は大正は非常に活気ある、また海外に出かけていった興味深い時代なのです。
(ただ今、研究中です)

商社が支店を開設するよりも前に、日本の領事館が開設されるよりも前に
彼女たちは東南アジアだけでなく、インドやスリランカ、果てはアフリカまで
流れ流れて行きました。アフリカの東海岸各地に住んでいたそうです。

そしてザンジバルのからゆきさんたち。
数少ない資料、日本人女性がザンジバルにいたことを記憶している
ザンジバルのお年寄りたち、ザンジバルに赴いたことがある船会社の人たち、
そこから情報をたぐり寄せて、からゆきさんたちにスポットを当てて紹介。

大正初期に日本を出て、東南アジアを経てザンジバルに長く滞在、
昭和30年代に約50年ぶりに神戸の港に戻ってきたおまきさんの話は
感動的でもあります。

情報が乏しかった時代に海外へ出かけていった日本人、
そして日本へやってきた外国人、そんな人たちに興味があります。
ザビエルもモースも天正少年遣欧使節の少年たちもジョン万次郎も
だから興味があります。
でも、後世に名の残らないからゆきさんたち。気になる存在です。
つまり、この本自体が貴重な存在ということですね。
コメント
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