俺がヤマカンを好きってのが一番のズレの様な気がしないでもない

2016年03月08日 23時54分12秒 | 日記


実はこのあいだ関東行った時に、下北沢でやってた劇場版WUGの
上映会にこっそり行ってました。キャパシティが50人の会場だと
聞いてあぶれる可能性を考えながら現地に向かったらば当日会場に
居合わせた人に

「この記事書いてんのってアイツじゃねぇか?」

なんて特定されるんじゃないかって位に人が少なく・・・
おかげでゆったりと見れたものの、何か侘しい気持ちになっちゃった。

それはそれとして。

劇場版を通して見てやっぱWUGは面白いなと思った。

劇場版一作目からテレビシリーズを挟んでの劇場版三作目と全体を
通してのざっくりとした感想になってしまうのだけどこのアニメは
アイドルそのものではなくどちらかというとアイドルという仕事と
それに関わる人達に焦点を当てて描いたアニメだという印象。

このアニメの話の中心にいるのは勿論主役メンバー7人なんだけど
アイドルって仕事を題材にしている以上10代の女の子の力だけでは
どうにもならない様な世知辛いシーンも数多くあって特にアイドルに
興味の無い人等の前ではかなり無力な存在として描かれていると思う。

で大人の視点で物を見て事を動かせるキャラが話を回していくのだけど
それらのキャラはWUGに大なり小なり影響を受け本人達に何かしらの
変化も起こしている。社会的には無力かもしれないけど人の心を動かす
力がアイドルにはあるという・・・この描写の匙加減が俺は好きなんだなぁ。

オタクも絵面から公共の場での行動から社会的には疎まれる存在として
見えるようにしてはいても、ストーリーに関わる部分では決して悪しき
存在として描かれてはいないという所も地味だけどポイント高かったり。

劇場版のラストだって太田さんを筆頭にしたオタの活動がなかったらば
ああはならなかったという所を見るに、アイドルという言ってしまえば
狭い世界の中の出来事の中では欠かす事の出来ない存在というこっちゃ。

なもんでご都合展開にも見える三作目のラストもその狭い世界の中の
出来事だと思えば納得は出来るのね。主役の一人である真夢が仙台に
来てWUGを活動をするうちにアイドルを好きになれたという変化が
このアニメが描こうとしている、アイドル像の肝の一つとするならば
ギラギラしてる萌歌センターのI-1を退けるのも可笑しくはないもの。

大分フワフワとしてまとまりの無い感想になってきているので端的に
言うとWUGは俺が三次元アイドルの魅力的に感じいる『観客の前では
泥臭い部分を見せずに笑顔でいる』って部分をいい具合に描いてくれた
・・・というのが一番大きいですね。

好きだし中々手堅く作ってるからもっと評価されても良いと思うけど
この絵柄でアイドルで深夜アニメだとニーズに全く応えられてない気も
するので歯がゆいが仕方無いのかもなぁ。当然だけどアイドルが好きと
いうくくりだけで見ても、俺と同じ考えの人ばっかりじゃ無いんだし。
コメント
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