およそ三ヶ月前。以前自分がHPのスペースとして使っていたiswebライトが完全にサービスを停止していました。
前触れもなくTOPページを消された事に半ばふてくされてgooブログに移動し、縁があれば旧HPも何かしらの形で使うかもしれないから
・・・と未練がましく消えてないページをほったらかしにしてたりしてたのですがこれで名実共に旧HPは消えてなくなってしまったことに。
何故この事ことについて今更触れるのかというと何の事は無い、たった今iswebライトがサービスを停止していたのを知ったからだったのです。
自分が始めてHPを立ち上げたのは2002年2月末日。08年4月にこのブログに移行したので実質2年6ヶ月はなんもいじらない期間が
あったものの自分の打ち込んだ文なり絵なりを8年8ヶ月も置いていてくれたのだから流石にサービス停止の事実を知ったときはなんとも
いえない寂しさがこみ上げてきたもので。大方個人でHPを製作する人自体が減り広告収入だけでHPのスペースを提供するメリットがisweb側に
無くなったというのが原因であろうし、ぶっちゃけよく今まで無料でスペースを提供していたよなぁとすら思う位。ブログやmixiが世に出始めて
からというものネット上で自分を発信する手段がお手軽かつ多様になり、若い世代達のネット上での立ち振る舞いが嫌でも目に入ってくる様に
なってきたここ数年。その都度その都度に「これも時代の流れなのだろうし、俺みたいな人間はいずれ淘汰されていくのだろうなぁ、よよよ。」と
流行廃れにも疎くみんなの輪の中にも上手く入っていけない人間なりに一人で納得していたのですが、いい節目だろうという事で色々書いてみようかと。
そもそも自分がHPを作った02年の春先の時点でHPを持つ事はリスキーな部分も多く、重度のネットユーザー程固定のHPを持ってないという傾向が
今になって思えばあった様に感じます。当時はちょうどネット人口も急激に増えてきた頃で一家に一台PCとネット環境があるのは当たり前位の勢いで
そんな具合にネット人口が増えてきた頃であるから人気のサイトへのアクセス数とカスみたいな個人サイトへのアクセス数の開きも目に見えて大きくなって
おり俺みたいなロクな宣伝もせず大した絵も描けない人間はネット上でチヤホヤされる事は無いであろうな、という確信(こう言うと情けないけど)が
ありました。タチの悪いことにそれが誇らしくすらもあったのでした。生来のひねくれもの気質だった事もあり人気ニュースサイトが取り上げてる話題には
絶対くいついてやらねーとか、俺が見てるもんはどうせみんな興味示さないから絶対人には勧めねーとか、とにかく内にこもる様な更新の仕方をしていたし
それだけに内容の遺憾度ではチヤホヤされてる連中に負けたく無いという意地もありました。累計9年位日記をつけている訳ですけども旧HP時代・・・特に
04~05年辺りにかけて日記に対して注いだ熱量は恐らく今後出せないという位に高かったはず。何故ならばブログ・mixiの台頭時期でもあったから・・・。
自分が当時ブロガーやmixiに持っていた印象はとにかくひどいもので、赤裸々に書き出すとあらぬ誤解を受けそうなので流石に書く控えますが端的に言えば
「流行りもんだから手を出したんだろうけど、どうせすぐ飽きてポイするんだろ?」でした。実際そんなパターンに陥った人を腐るほど見てきたしそういう人に
限って人一倍でかい声で「どこどこ(人気メーカー)のだれだれどれどれ(ソフトであったり人であったり)はやべー!」とまるで自分の事の様に誇らしく
語り出し細々と好き勝手やってる俺の様なカスを物凄い上から目線で見てくる(ほぼ被害妄想であり、実際には見られてすらいない)様な人に見えたので
それがもう嫌でしょうがなくて、半ば虚勢を張る感じで日記を書いていたのでした。しかしなんとも皮肉なのはブログに移行したおかげでアクセス数も増え
外に向けて日記を書くことが楽しくなり、日記の内容では今の方が04~05年の頃よりずっと良いという事。これは単純に自分が文章を書くことに慣れたり
自分が好きになったオタ関係の物が流行ったりしたおかげで結果的に身内専用の日記じゃなくなったという要因もあったりするのですが、好意的な反応を
身内以外から貰う様になった事が一番大きいかと思います。特に絵なんかに関しては身内から見向きもされていなかったから好意的な反応を貰えたのが
嬉しく絵を描く頻度が格段にあがったりしたしで。過去に何回か書いたハズだけど昔は皆からかまって貰えなくて単にスネていただけの状態だった
・・・というのが反応をもらえるようになってから気がついたのでした。だからツイッターとかも言うほど抵抗無く入っては行けたんだけども・・・。
で、はじめてみたはいいものの、今度はなまじ輪の中に入って行きやすいツイッターという場所柄ジレンマを抱えるという事が多々あり今度はある事無い事
考える様になってました。元々輪の中に溶け込むという事に抵抗感を感じている人間だからレスポンスが返し易く話題が飛び火しやすいツイッターでは人が
群がる様な話題は意識的に避けちゃってるフシがあるし、有名人を軸に会話が回っている所を目の当たりにすると自分が昔感じていたネット上における
人気もんとそうでないものの縮図を見ているかのようで色々複雑な気分にもなったり。しかも有名人は大多数の人間を文字としか認識していないで
あろうなぁとかも考えたりもしちゃったり。しかし逆を返せば有名人に群がっている人もその有名人を1コンテンツとして捕らえてるのだろうなぁ、とか。
例えばものっそい可愛い絵描く人がいたとしても全員が全員その人自身に興味がある訳でもないっしょ?有名人に絡んでる人もあわよくば一言二言会話を
交わそう位のノリで話かけてるんだと思うのだけども、そういう画面の向こう側に生身の人間がいるっていう感覚が希薄になる所が何だか怖い感じがして。
こんな事あり得ないから言えるんだけども、例えば俺の事を神絵師だと認識して、ありがたやありがたやみたいなノリで話かけてくる人がいたとしたら
嬉しいってよりも怖いって感情の方が遥かに大きそうなんだもん・・・。極論、絵に興味を示してくれなくなったら問答無用でポイされちゃいそうだし。
これはまさに上で書いてた様な
「流行りもんだから手を出したんだろうけど、どうせすぐ飽きるんだろ?」
であり、次に新しい興味の対象ができると
「どこどこ(このツイッターやってる奴)のだれだれどれどれ(描いてる絵すごくて)やべー!」
・・・てな状態になるだろうなとか考えてしまって。使い捨ての娯楽と見てもらえるだけども凄いステータスな事という見方ができもしそうだけども
俺の考え自体が物凄く古いせいかどうにもそういう割り切り方ができない。更に言うとそういう割り切った人を怖いと感じているフシすらあったり・・・。
後、pixivで有名だけど話すと面白そうな人だからちょっと話してみたいかも・・・と感じたりする人もいたりするんだけど俺のなんぞpixivじゃ底辺なので
「なんだコイツ、カスの上に豚の分際で俺に話かけんじゃねーよ、オマケにアイコンまで汚いし相手にする価値無し」
(※1月27日現在のアイコン 大人気映画プレデターの登場人物ディロン)
てな感じに切り捨てられるであろう事が想像に難しくないので、どうしても引きこもりがちになってしまっていがち。
ツイッターとしての利点をじぇんじぇん生かせていないっちうのが実際の所です。そしてこんな事を体験してようやく
「9年前白い目で見てて人気ニュースサイトの管理人も閲覧者に対し、割り切る割り切らんで葛藤していたのかもなぁ」
と、同じHPという形式で世に自分が書いたものを発信していた者同士親近感を感じるようになったり。当時は相手に対してこんな感情を抱くなんて
思いもよりませんでした。実際相手の目線に立とうとしなければ解らない事も多いのだろうな、と。そして一人一人をじっくり知れる訳でも無い
ぶっちゃけ知る必要もあんまりないツイッターの性質上、一回変な印象もたれてしまうと挽回も厳しいだろうな、と。便利になるにつれ画面のいるのが
人間だという感覚が薄れるのは怖いなと最近になってひしひしと感じるのでした。しかしながらそんな関係が希薄になりがちなツイッターでも
俺の人となりを知った上で絡んで来てくれる人もいるし、先日(26日)の誕生日を覚えてくれていてお祝いの言葉を投げかけてくれた人もいました。
マガツさんなんかは原稿もあるのに俺の好み把握して誕生日記念にエルマさん描いてくれたしkaiさんなんかは俺が氏の誕生日にザリガニを描いたにも関わらず
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/d7/a5c55787360b4ee1aeb01274f0ba60f2.png)
俺の誕生日にはシャロを描いてくれたり・・・。そして今日地元の知り合いが誕生日祝いという事でごはんをご馳走してくれた上にオナホまでプレゼントしてくれて
こんな絡みずらい性格なのに、こんな良くしてくれる人がいるというのは非常にありがたい事だなぁと感じた次第でした。人とのつながりが希薄になりやすい
こんな昨今であるからこそ、こういう関係は大事にしたいなぁと。ネット上では端に追いやられる人間とは解ってはいるけど、こんなだったら端っこでもいいや。
27歳一発目の日記につき、まとまりは無いけどいつもよりは長めに書いてみました。そして、明日は拍手コメとか返すよ!
ちなみに上の画像に使用させてもらってるディロンはこちらの動画で活躍してます。
前触れもなくTOPページを消された事に半ばふてくされてgooブログに移動し、縁があれば旧HPも何かしらの形で使うかもしれないから
・・・と未練がましく消えてないページをほったらかしにしてたりしてたのですがこれで名実共に旧HPは消えてなくなってしまったことに。
何故この事ことについて今更触れるのかというと何の事は無い、たった今iswebライトがサービスを停止していたのを知ったからだったのです。
自分が始めてHPを立ち上げたのは2002年2月末日。08年4月にこのブログに移行したので実質2年6ヶ月はなんもいじらない期間が
あったものの自分の打ち込んだ文なり絵なりを8年8ヶ月も置いていてくれたのだから流石にサービス停止の事実を知ったときはなんとも
いえない寂しさがこみ上げてきたもので。大方個人でHPを製作する人自体が減り広告収入だけでHPのスペースを提供するメリットがisweb側に
無くなったというのが原因であろうし、ぶっちゃけよく今まで無料でスペースを提供していたよなぁとすら思う位。ブログやmixiが世に出始めて
からというものネット上で自分を発信する手段がお手軽かつ多様になり、若い世代達のネット上での立ち振る舞いが嫌でも目に入ってくる様に
なってきたここ数年。その都度その都度に「これも時代の流れなのだろうし、俺みたいな人間はいずれ淘汰されていくのだろうなぁ、よよよ。」と
流行廃れにも疎くみんなの輪の中にも上手く入っていけない人間なりに一人で納得していたのですが、いい節目だろうという事で色々書いてみようかと。
そもそも自分がHPを作った02年の春先の時点でHPを持つ事はリスキーな部分も多く、重度のネットユーザー程固定のHPを持ってないという傾向が
今になって思えばあった様に感じます。当時はちょうどネット人口も急激に増えてきた頃で一家に一台PCとネット環境があるのは当たり前位の勢いで
そんな具合にネット人口が増えてきた頃であるから人気のサイトへのアクセス数とカスみたいな個人サイトへのアクセス数の開きも目に見えて大きくなって
おり俺みたいなロクな宣伝もせず大した絵も描けない人間はネット上でチヤホヤされる事は無いであろうな、という確信(こう言うと情けないけど)が
ありました。タチの悪いことにそれが誇らしくすらもあったのでした。生来のひねくれもの気質だった事もあり人気ニュースサイトが取り上げてる話題には
絶対くいついてやらねーとか、俺が見てるもんはどうせみんな興味示さないから絶対人には勧めねーとか、とにかく内にこもる様な更新の仕方をしていたし
それだけに内容の遺憾度ではチヤホヤされてる連中に負けたく無いという意地もありました。累計9年位日記をつけている訳ですけども旧HP時代・・・特に
04~05年辺りにかけて日記に対して注いだ熱量は恐らく今後出せないという位に高かったはず。何故ならばブログ・mixiの台頭時期でもあったから・・・。
自分が当時ブロガーやmixiに持っていた印象はとにかくひどいもので、赤裸々に書き出すとあらぬ誤解を受けそうなので流石に書く控えますが端的に言えば
「流行りもんだから手を出したんだろうけど、どうせすぐ飽きてポイするんだろ?」でした。実際そんなパターンに陥った人を腐るほど見てきたしそういう人に
限って人一倍でかい声で「どこどこ(人気メーカー)のだれだれどれどれ(ソフトであったり人であったり)はやべー!」とまるで自分の事の様に誇らしく
語り出し細々と好き勝手やってる俺の様なカスを物凄い上から目線で見てくる(ほぼ被害妄想であり、実際には見られてすらいない)様な人に見えたので
それがもう嫌でしょうがなくて、半ば虚勢を張る感じで日記を書いていたのでした。しかしなんとも皮肉なのはブログに移行したおかげでアクセス数も増え
外に向けて日記を書くことが楽しくなり、日記の内容では今の方が04~05年の頃よりずっと良いという事。これは単純に自分が文章を書くことに慣れたり
自分が好きになったオタ関係の物が流行ったりしたおかげで結果的に身内専用の日記じゃなくなったという要因もあったりするのですが、好意的な反応を
身内以外から貰う様になった事が一番大きいかと思います。特に絵なんかに関しては身内から見向きもされていなかったから好意的な反応を貰えたのが
嬉しく絵を描く頻度が格段にあがったりしたしで。過去に何回か書いたハズだけど昔は皆からかまって貰えなくて単にスネていただけの状態だった
・・・というのが反応をもらえるようになってから気がついたのでした。だからツイッターとかも言うほど抵抗無く入っては行けたんだけども・・・。
で、はじめてみたはいいものの、今度はなまじ輪の中に入って行きやすいツイッターという場所柄ジレンマを抱えるという事が多々あり今度はある事無い事
考える様になってました。元々輪の中に溶け込むという事に抵抗感を感じている人間だからレスポンスが返し易く話題が飛び火しやすいツイッターでは人が
群がる様な話題は意識的に避けちゃってるフシがあるし、有名人を軸に会話が回っている所を目の当たりにすると自分が昔感じていたネット上における
人気もんとそうでないものの縮図を見ているかのようで色々複雑な気分にもなったり。しかも有名人は大多数の人間を文字としか認識していないで
あろうなぁとかも考えたりもしちゃったり。しかし逆を返せば有名人に群がっている人もその有名人を1コンテンツとして捕らえてるのだろうなぁ、とか。
例えばものっそい可愛い絵描く人がいたとしても全員が全員その人自身に興味がある訳でもないっしょ?有名人に絡んでる人もあわよくば一言二言会話を
交わそう位のノリで話かけてるんだと思うのだけども、そういう画面の向こう側に生身の人間がいるっていう感覚が希薄になる所が何だか怖い感じがして。
こんな事あり得ないから言えるんだけども、例えば俺の事を神絵師だと認識して、ありがたやありがたやみたいなノリで話かけてくる人がいたとしたら
嬉しいってよりも怖いって感情の方が遥かに大きそうなんだもん・・・。極論、絵に興味を示してくれなくなったら問答無用でポイされちゃいそうだし。
これはまさに上で書いてた様な
「流行りもんだから手を出したんだろうけど、どうせすぐ飽きるんだろ?」
であり、次に新しい興味の対象ができると
「どこどこ(このツイッターやってる奴)のだれだれどれどれ(描いてる絵すごくて)やべー!」
・・・てな状態になるだろうなとか考えてしまって。使い捨ての娯楽と見てもらえるだけども凄いステータスな事という見方ができもしそうだけども
俺の考え自体が物凄く古いせいかどうにもそういう割り切り方ができない。更に言うとそういう割り切った人を怖いと感じているフシすらあったり・・・。
後、pixivで有名だけど話すと面白そうな人だからちょっと話してみたいかも・・・と感じたりする人もいたりするんだけど俺のなんぞpixivじゃ底辺なので
「なんだコイツ、カスの上に豚の分際で俺に話かけんじゃねーよ、オマケにアイコンまで汚いし相手にする価値無し」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/49/f3521f6136cfbf1247d34fba520f6586.png)
てな感じに切り捨てられるであろう事が想像に難しくないので、どうしても引きこもりがちになってしまっていがち。
ツイッターとしての利点をじぇんじぇん生かせていないっちうのが実際の所です。そしてこんな事を体験してようやく
「9年前白い目で見てて人気ニュースサイトの管理人も閲覧者に対し、割り切る割り切らんで葛藤していたのかもなぁ」
と、同じHPという形式で世に自分が書いたものを発信していた者同士親近感を感じるようになったり。当時は相手に対してこんな感情を抱くなんて
思いもよりませんでした。実際相手の目線に立とうとしなければ解らない事も多いのだろうな、と。そして一人一人をじっくり知れる訳でも無い
ぶっちゃけ知る必要もあんまりないツイッターの性質上、一回変な印象もたれてしまうと挽回も厳しいだろうな、と。便利になるにつれ画面のいるのが
人間だという感覚が薄れるのは怖いなと最近になってひしひしと感じるのでした。しかしながらそんな関係が希薄になりがちなツイッターでも
俺の人となりを知った上で絡んで来てくれる人もいるし、先日(26日)の誕生日を覚えてくれていてお祝いの言葉を投げかけてくれた人もいました。
マガツさんなんかは原稿もあるのに俺の好み把握して誕生日記念にエルマさん描いてくれたしkaiさんなんかは俺が氏の誕生日にザリガニを描いたにも関わらず
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/d7/a5c55787360b4ee1aeb01274f0ba60f2.png)
俺の誕生日にはシャロを描いてくれたり・・・。そして今日地元の知り合いが誕生日祝いという事でごはんをご馳走してくれた上にオナホまでプレゼントしてくれて
こんな絡みずらい性格なのに、こんな良くしてくれる人がいるというのは非常にありがたい事だなぁと感じた次第でした。人とのつながりが希薄になりやすい
こんな昨今であるからこそ、こういう関係は大事にしたいなぁと。ネット上では端に追いやられる人間とは解ってはいるけど、こんなだったら端っこでもいいや。
27歳一発目の日記につき、まとまりは無いけどいつもよりは長めに書いてみました。そして、明日は拍手コメとか返すよ!
ちなみに上の画像に使用させてもらってるディロンはこちらの動画で活躍してます。