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番外編・9~チューリップ50周年

 1972年6月にビートルズに憧れて福岡から上京し『魔法の黄色い靴』でデビューしたフォークグループ『チューリップ』。昨年4月から全国各地で50周年コンサートツアーを開催し先月全日程を終了した。秋から追加公演でもう一踏ん張りされるようだ。残念ながら私はコンサートには行けなかったがチューリップの曲はいつもウォークマンで聴いておりたまにLPでも聴いている。
 私はチューリップと浅からぬ縁があると個人的に思っている。大学生時代に経営学のクラブに所属しており、その年間活動費約100万円を捻出するために毎年コンサートを企画していた。私が2年生の時は『アリス&高木麻早コンサート』を日比谷公会堂で開催し、幹事年次の3年生時、1976年6月19日に神田共立講堂で『チューリップ』コンサートを開催した。2年生時のノルマは1枚1,500円のチケットをせいぜい30~40枚だったのでほとんど友人に買ってもらって捌いたが、幹事年次のノルマは120枚以上で、女子大を訪問したりチラシに自宅の電話番号を書いて電柱に貼り連絡があるとする購入希望者のところまで届けたりした。
 チューリップはデビュー後はなかなかヒット曲がなかったが1973年『心の旅』がジワジワと売れ始め、1974年に『銀の指輪』『青春の影』、1975年『サボテンの花』がヒットし漸く世に認知されるグループになった。当時私達はプロデュース会社とコンサートの出演者を誰にするかという議論を重ね将来性があるという判断で『チューリップ』に決定した。コンサートは2,000席満席の大成功でクラブの運営費を何とか確保できた。コンサートの始めにはステージでクラブの幹事長(彼はその後私と同じ会社に就職し生涯の友になる)が緊張しまくって挨拶をし、開演後にその挨拶を財津和夫さんがいじったのを覚えている。
 音楽好きの私は就職後もチューリップを応援しており、1977年『ブルースカイ』、1979年『虹とスニーカーの頃』などのヒットを喜んだがグループは1989年に解散した。1995年にビートルズの亡きジョン・レノンの未完成曲を、残りの3人のメンバーが手を加えて完成させ1995年に"Free as a Bird”でリリースすると、メンバーの姫野達也さんが元メンバーに声を掛けてチューリップは1997年に再結成した。財津さんは1989年の解散ツアー京都公演時に『1999年9月9日午前9時9分9秒に金閣寺で会おう』と約束し10年後に元メンバーはその通り金閣寺に集結した。
 写真はチューリップの1973年渋谷公会堂コンサートのLPで若い財津さんが一番上にいる。財津さんは2017年の全国ツアー中に大腸がんが判明したがその後復活されてコンサート活動を続けられている。アリスの谷村新司さんは今年3月に急性腸炎で手術を受けられて現在は療養中と聞く。二人とも昭和23年生まれであり是非病気を克服され音楽活動を長く続けて欲しい。

♪♪あーだから今夜だけは 君を抱いていたい
  あー明日の今頃は 僕は汽車の中
  旅立つ僕の心を 知っていたのか
  遠く離れてしまえば 愛は終わると言った
  もしも許されるならば 眠りについた君を
  ポケットに詰め込んでそのまま連れ去りたい
  あーだから今夜だけは君を抱いていたい
  あー明日の今頃は 僕は汽車の中
(『心の旅』
作詞・作曲:財津和夫 歌:チューリップ 昭和48年)
(JASRAC許諾第J210129422号)
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ソクズ・7~果実

 ガマズミ科(←レンプクソウ科←スイカズラ科)ニワトコ属の「ソクズ(蒴くず※)」。7~8月に茎の先に散房状の集散花序を出し直径3〜4ミリの小花を多数咲かせる。果実は直径4ミリほどの球形で赤く熟す。花序に腺体がありポリネーターを呼び寄せているが、群がるのはアリが多く花粉の媒介には向かないようだ。そのため結実率は低くこの花序の中には1粒の果実しか見られなかった。
 ※くずの漢字は草かんむりに羽にふるとり
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ツルボ

 キジカクシ科(←ユリ科)ツルボ属の「ツルボ(蔓穂)」。日本全土の陽当たりの良い野原や林縁に生育し、8~9月に花茎を伸ばし淡紅紫色の小さな花を総状に付ける。ツルボは春に芽を出し細い葉を繁らせるが他の夏草が繁り始める梅雨明けの頃に一旦休眠して姿を隠す。そして8月後半に他の夏草がやや弱ってきた頃、或いは草刈りなどで丸坊主になった野原などでのびのびと花茎を立てて可憐な花を咲かせる。したたかな生き残り戦略ではある。ひとつの花の花被片は3~4ミリで6枚あり雄蕊も6本ある。"蔓”の名が付くが茎は直立している。
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