元サラリーマンの植物ウォッチング第6弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part6
番外編・9~チューリップ50周年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/40/b3/9aff30640c147eb4d68c48bc6170441b_s.jpg)
私はチューリップと浅からぬ縁があると個人的に思っている。大学生時代に経営学のクラブに所属しており、その年間活動費約100万円を捻出するために毎年コンサートを企画していた。私が2年生の時は『アリス&高木麻早コンサート』を日比谷公会堂で開催し、幹事年次の3年生時、1976年6月19日に神田共立講堂で『チューリップ』コンサートを開催した。2年生時のノルマは1枚1,500円のチケットをせいぜい30~40枚だったのでほとんど友人に買ってもらって捌いたが、幹事年次のノルマは120枚以上で、女子大を訪問したりチラシに自宅の電話番号を書いて電柱に貼り連絡があるとする購入希望者のところまで届けたりした。
チューリップはデビュー後はなかなかヒット曲がなかったが1973年『心の旅』がジワジワと売れ始め、1974年に『銀の指輪』『青春の影』、1975年『サボテンの花』がヒットし漸く世に認知されるグループになった。当時私達はプロデュース会社とコンサートの出演者を誰にするかという議論を重ね将来性があるという判断で『チューリップ』に決定した。コンサートは2,000席満席の大成功でクラブの運営費を何とか確保できた。コンサートの始めにはステージでクラブの幹事長(彼はその後私と同じ会社に就職し生涯の友になる)が緊張しまくって挨拶をし、開演後にその挨拶を財津和夫さんがいじったのを覚えている。
音楽好きの私は就職後もチューリップを応援しており、1977年『ブルースカイ』、1979年『虹とスニーカーの頃』などのヒットを喜んだがグループは1989年に解散した。1995年にビートルズの亡きジョン・レノンの未完成曲を、残りの3人のメンバーが手を加えて完成させ1995年に"Free as a Bird”でリリースすると、メンバーの姫野達也さんが元メンバーに声を掛けてチューリップは1997年に再結成した。財津さんは1989年の解散ツアー京都公演時に『1999年9月9日午前9時9分9秒に金閣寺で会おう』と約束し10年後に元メンバーはその通り金閣寺に集結した。
写真はチューリップの1973年渋谷公会堂コンサートのLPで若い財津さんが一番上にいる。財津さんは2017年の全国ツアー中に大腸がんが判明したがその後復活されてコンサート活動を続けられている。アリスの谷村新司さんは今年3月に急性腸炎で手術を受けられて現在は療養中と聞く。二人とも昭和23年生まれであり是非病気を克服され音楽活動を長く続けて欲しい。
♪♪あーだから今夜だけは 君を抱いていたい
あー明日の今頃は 僕は汽車の中
旅立つ僕の心を 知っていたのか
遠く離れてしまえば 愛は終わると言った
もしも許されるならば 眠りについた君を
ポケットに詰め込んでそのまま連れ去りたい
あーだから今夜だけは君を抱いていたい
あー明日の今頃は 僕は汽車の中
(『心の旅』
作詞・作曲:財津和夫 歌:チューリップ 昭和48年)
(JASRAC許諾第J210129422号)
コメント ( 5 ) | Trackback ( )
ソクズ・7~果実
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/31/8b/77e4bce5a136525b477e8f7993c48b5e_s.jpg)
※くずの漢字は草かんむりに羽にふるとり
コメント ( 10 ) | Trackback ( )
ツルボ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/d5/80ea080d1fbac7132ea83ecaa071a081_s.jpg)
コメント ( 6 ) | Trackback ( )