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長電話

~自費出版のススメ~

「死のロード」は過去のもの

2010-08-19 | スポーツ
高校野球で盛り上がる夏の甲子園の裏で、阪神タイガースは1月近くホームグラウンドに帰れず毎年成績を落としてしまう「死のロード」と呼ばれるドサ周りを強いられます。

しかし、洗濯機や電子レンジの普及で家事の負担が大幅に減った主婦のように、移動は楽になり、土地土地の環境も平準化され、さらに大阪ドームの使用も許される現在、そのような大袈裟ないい回しがふさわしいかどうかは疑問だし、そもそもアメリカのような広大な土地を移動するわけでもなし、そんなロードがそれほど選手に負担になるとも思えません。

それなのに何故成績に影響がでてしまうのか。

プロ野球選手はどこに行っても人気者、そして行きつけの夜のお店も沢山ある「港みなとに女あり」のマドロスさんのような存在であるからして、毎晩毎晩どんちゃん騒ぎ、解放された旅先でのアバンチュールをむさぼる彼等がどういう行動をとるのかは推して知るべし、てなことが考えられます。

今年はメジャー帰りの城島というきついロードはお手のものの自己管理に長けた中心選手がおり、試合のポイントを握る1・2番がフレッシュな外様でハニートラップにかかりにくいという好材料もあり、なんとこの「死のロード」の最中に首位を巨人から奪ってしまいました。やはりそういうことなのでしょう。

層の厚さでシーズンを乗り切るというコンセプトの巨人がその層を活かしきれず失速する中、対照的にコンパクトな少数精鋭を追求する中日の追い上げもあり、やっとセリーグが面白くなってきました。

勝利の奴隷達の末路

2010-07-14 | スポーツ
あのブラジルに、サイドを広く使い攻め手が3人しかいない敵を中心に寄せ、潰すという蟻地獄のごとき見事な戦術で勝ち残ったオランダでしたが、決勝ではその栄光と評判を地に落とすほどに乱暴なサッカーを展開し、その上罰当たりのように負けてしまうという彼等にとっては最悪の結果を導いてしまいました。

日本戦でもこれほど酷い印象はなかったことを考えると、準決勝でドイツとともにカードのないクリーンなサッカーをしたスペインに対しては、こういうサッカーをやらざるを得ないと最初からそのつもりでかかってきたと思われます。

今回のWCは、ガーナ×ウルグアイのスアレスの「必死」のハンドといい、日本やオランダ、ブラジルの伝統的な戦術の変更といい、「勝つためには手段を選ぼうじゃないか」という意識は薄れ(日本の場合は情状酌量ですが)、すでにレベルとしてはワールドカップを凌ぐ欧州チャンピオンリーグではまず見られない「結果がすべて」というスローガンの下、無理を押さざるを得ないプラグマティックな現代サッカーの難しさが露わになり、また席巻した大会といえます。

オランダがロッペンのゴールで90分で決着をつけていれば、また「それがサッカーだ」とシニカルに笑うこともできたのでしょうけれどそうはならず、そしてスペインだけが魅惑の(オクト)パスサッカーの牙城を最後まで諦めずに、美学に基づいた正義のサッカーで守りきったことによって、この悪い流れをくい止めることができました。

思い出す言葉は「悪の栄えたためしはない」

ハゲとタコの大会と言われた今大会ですが、MVPは金髪ふさふさのフォルランが獲得し、ここでも美しいサッカーへの回帰を望む勢力のカウンターが決まりました。

お山の女将 富士山に行く

2010-07-11 | スポーツ
参議院選挙の比例部分は利権を巡る戦いという側面が強く、よるべなき1個人として臨むには少々結果との因果関係に無力感を抱かざるを得ず、行くは行くでしょうけれど、お笑い系、泡沫系にという自虐的で、まるで自分に投票するような投票行動になる恐れもあります。

ただ、7月11日は、ワールドカップの終わる日であり、プロ野球ペナントレースも前半が終わりオールスター休みに入る日であり、中継されない大相撲名古屋場所の初日でもある、というエポックな日付であるからして、結果は何かドラスティックなことが起こる序章になるかもしれません。

私が民主党に期待したものは、100人単位で内閣に入ると言われた「政治主導法案」でした。それはよい意味での族議員を増やし、マクロではなくミクロな政策を吟味し、官僚を組織的に論駁し、議論の積み上げによって、「あれもこれもあるから仕方が無い保守」から脱却することでした。すべてはここから始まるはずだったのです。

しかし、いまだ政治主導のコストもリスクもつまびらかにならず、本来政治主導と関係のない「普天間」と「政治とカネ」の問題に振り回された政権は、ご存知のように首相と与党幹事長というツートップの失脚という醜い形で党の勢いをそいでしまいました。

民主党候補の某やわら氏は、11日の選挙当日に周囲の反対を押し切って、選挙直前に富士登山を強行、日本の象徴たる山への登頂を極めることにより日本を把握することに努めたそうです。

パンピーである私などにとってはまず分からない、計り知れないアホか天才かというレベルの彼女の行動、そしてそんな抑えのきかない候補者を比例で擁立する党のセンス。やわらちゃんは毎日他候補の応援に全国をとび回り、ようやく自分のための活動ができたといいますから、非難するようなものではないとは思いますが、その行動の是非は議論のあるところでしょう。(一般論で逃げる)

「消費税」という早晩率を上げざるを得ない制度の話より、この登山の是非を争点にして投票に臨むのもよいかもしれません。

「時間芸術」としてのサッカー

2010-07-07 | スポーツ
優勝候補の筆頭に掲げたブラジル、イングランドは既に破れ、3連敗確実とした日本代表はグループリーグ突破と、予想をことごとくはずしてしまいましたが、常にアグレッシブなスペインと、バラックのいない若いドイツの健闘のおかげで、いまだ今大会への私の関心は継続しております。

フランス大会あたりからのニワカファンであった私にも、ウルグアイ×ガーナや、オランダ×ウルグアイ戦など、比較的B級だと思われたカードも面白く見ることができるようになり、ルールや時間の使い方について考えさせられたりして、誤審も含め様々な要素に彩られたサッカーというスポーツがインプロビゼーションによる「時間芸術」だということがわかってきました。

スペインに代表されるサンバのようなパスサッカー、プログレッシブロックのような堅守速攻サッカー、ペンタトニックスケールしか弾けないイングランド、コードではなくモードが支配するドイツ、サンバではなくタンゴであったアルゼンチンの踊るサッカーなど、同じ競技でありながら、異種格闘技戦のごとき趣きがあります。

サッカーをアートとして考えるからこそ、自然とファンタジスタと呼ばれやすい中盤の選手にスポットがあたり、話題となり、ストライカーより評価されたりしますが、今大会は堅いサッカーが全盛ということもあり、決定力をもつFWばかりが人気でした。

しかしリズムにアクセントをつけ、ゲームにグルーヴを与えるのは、やはり全盛期の中村俊輔のような選手で、そういう意味でいえば、三宅裕司に似ているしハゲ頭ですが、私はスペイン代表のMFイニエスタが最高のアーティストであり、(日本マスコミ的には)もっともっと評価されるべき対象だと思います。

眠い試合で、本当に寝てしまったパラグアイ戦

2010-06-30 | スポーツ
堅守速攻タイプのチーム同士の対戦とはこうも貧乏くさくつまらないものか、と思わされたのが、オランダ×スロバキア戦、そして昨夜の日本×パラグアイ戦です。途中で寝てしまった私は、自国チームへの愛情のなさを露呈し、国家としての日本への帰属意識の薄さを確認した次第な夜となりました。

こんな戦術を前提に選手を選んだわけではなかったのでしょう、守備とリスクを冒さない攻撃の連携も悪く、交代要員も同じポジションに同じタイプしかいないのでリズムを変えることもできず、、慎重なパラグアイを攻めきることができませんでした。またおかしな誤審でもないかぎり、試合は面白くなることは考えられず、ついつい船を漕いでしまいました。

なんだか、日本の工夫や結果、短期間で導きだした成果に対してそれまでの経緯との因果関係がよく分からない私は、これから始まる監督選考や新しいチーム作りに興味がうまくもてなくなってしまうかもしれません。

点けっぱなしのテレビから、残念な試合結果を報じるアナウンサーの声に起こされ目覚めると時間は午前3時20分。決勝トーナメント第1戦の大一番「スペイン×ポルトガル」戦が見られるじゃあーりませんか。ポンコツ車の間抜けなレースの後にF1の試合を見せられるようなこの展開にすっかりやられた私は眠ることができなくなり、ボールがピンボールのようにめまぐるしく動く楽しいイベリア半島サッカーを堪能することになります。

試合はほとんどファールをとらないジャッジもあって、退屈せず、やはりスポーツは美学がないとつまわらんわなあー、などとほざきながら、終始上機嫌で観戦。とても満足な内容で日本戦のよい口直しになりました。

日本がPKを勝ち抜いたとしたら当たるはずだったこのスペイン。遠藤と長友が累積イエローで出場停止のチーム状態ではおそらくぼこぼこにされたでしょうね。惜敗のイメージで大会を去り、「ついてなかったね」とねぎらわれる方がマスコミとしてはやりやすいかもしれませんが、本気でやってくる世界とのギャップを感じられる経験ができなかったことに選手達は悔しい思いをしていることでしょう。それを考えると結果は気の毒だし、残念ですね。

また、準々決勝で初めて負けてもいいやという気分に監督がなって試合を諦めれば、森本や内田に経験を積ませることができたかもしれないわけです。

ま、日本は負けましたが大会はいよいよ佳境に入り、もうへなちょこちーむが絡んだ試合もありません。みなさん体調管理に気を配りながら、「サッカー」を楽しみましょう。。

神々の黄昏~ファーディナントのいない6月

2010-06-28 | スポーツ
南米やイベリア半島ならポゼッションサッカー、かつてのセリエ、イタリアならカテナチオ。プレミアなら縦の速攻と、スタイルはそれぞれ個性・文化が国民性の反映としてサッカーに現われます。

しかしその中で、イングランド、フランス、ドイツ、そして現代のイタリアはそのどれも局面に応じた試合を展開でき、それ故に戦術に特化された特徴がなく、総合力としてそれは「魂」とか「プライド」という意識に説明を求められることが多くなります。

しかし、当然のことながら、戦術に左右されないということは、メインアクターのコンディションであったり世代交代の時期であったり、と出来不出来が選手個々人に委ねられ、同じ監督でも強かったり弱かったりしてしまうのです。

イングランドvsドイツはそういう意味で「総合力」の勝負であり、偏った戦術のない強豪同士のタレントを活かしたピュアなサッカーが見られると、とても楽しみにしていました。

ところが結果は大笑いの「誤審」騒動。私は誤審直後にイングランドの勝利を確信し、応援モードに入り、勝利の女神の微笑裁定を期待しましたが、勢いのある若手を擁するドイツがあっさり勝利。イングランドはファーディナントのいないディフェンスと、ながらくタレントを見出せないキーパーという弱点そのままに、カウンターというドイツらしからぬ展開で点を重ねられ、誤審を言い訳にできないほどの完敗を喫してしまいました。

スペインvsスイスに象徴される「華麗なパスサッカー」対「堅守速攻」が要約されたテーマである今大会。その力関係の外で戦う伝統の一戦でしたが、このマッチアップの興を削いでしまった誤審以上に、まとまりのないイングランドの守備陣にはがっかりさせられました。

G8からG20へシフトしていく国際社会のように、勢力図はいまや塗り替えられ、日本や韓国がゲリラ的に勝利する昨今(言いすぎか?)。16強で6か国しか残らず、その6か国がいずれも対戦し、8強には3か国しか残らない運命の欧州勢の没落は、外国人がメインの構成をするチームが勝ちがちなリーグの状況を見ても明らかだったように、資本主義とナショナリズムのせめぎあいが露呈しており、WCで結果を残すには真面目に対策を考えていかねばならない事態に至っています。

勝てば官軍

2010-06-25 | スポーツ
このようなめでたい状況になったのですが、「岡田」ジャパンをそのネーミングからして嫌悪してきた立場としては、日本のグループリーグ突破を素直に喜べず、盛り上がるサポーターやマスコミを横目に複雑な心情で週末をやり過ごしております。

正直、いきあたりばったりの岡田監督によって代表はめちゃめちゃにされ、1勝もできない惨めな成績で成田で卵をぶつけられ、日本サッカー協会に鉄槌を下しすべてをリセットする、というのが最善のシナリオだと思っていました。

カメルーンは予想外に弱く、デンマークは老いている上に戦術に失敗し、オランダも堅実に勝ち点をとりにきたこともあって、いろいろな幸運が重なった結果とはいえ、岡田監督のプレッシングサッカーからの撤退、監督と対立することなく戦術の変更を促した選手の自覚と一体感がチームに素晴らしい成果をもたらしました。

チームの成長というのはこのようないきさつですらありえるという意味でいえば今回の代表の活躍から得られる「万事塞翁が馬」という「セラヴィ」な結論は、選手のチョイスや指導センスにチームの解散後の避けられない代表の戦力ダウンに対しては生きた教訓を残すことはできないかもしれません。

ただ、オシムから「日本サッカーの日本化」というテーマを与えられ、守備の文化のない日本に堅守という、韓国とは違うスタイルを解として苦し紛れながらも提示した監督以下日本代表のスピリッツは今後引き継がれていくでしょう。

一つ勝てばそれだけ経験が増えるのですから、決勝トーナメントでのこれからの貴重な時間を大切にしてほしいものです。

サッカーは難しいスポーツ

2010-06-21 | スポーツ
ヨーロッパの強豪は決勝トーナメントにコンディションを合わせるのが体に染み付いているのか、軒並みちぐはぐな試合を演じ、日本がグループリーグ突破を伺うなど番狂わせの多い大会となっている今回のワールドカップ。

18回を重ねるこの大会で優勝しているのはアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、イタリア、フランス、西ドイツ、そしてイングランドと6ヵ国1地方しかない常任理事国状態でした。

しかし、流出により核保有国が増えNPT体制が揺れている世界の力関係同様、戦術・フォーメーションという知的な武器が小国にもほぼ浸透したことにより、(ブラジルを除く)サッカー大国の優位が崩れはじめていると捉えれば、今大会の1次リーグの波乱にも納得がいきます。

思えば8年前のWCでの韓国のベスト4、6年前のユーロでのギリシャが優勝が、天才のいない国の戦い方の見本となったのかもしれません。どちらもその国にフィットした戦術を採用し、人もボールも動くハードワークによって結果を残しました。

かつてのイタリアやスペイン、ポルトガルなら多少の誤審があったところで弱小国など個々の突破により殲滅する力を持っていましたが、そうはならない戦術の力を見せ付けられたのです。

ギリシャや韓国というスターのいない見慣れないチームが勝っていくと、なんとなく人は不快になるし、敗因を誤審や買収疑惑に求めたりしていた大国の陰で小国は戦術に勝機を見出すことを学んでいったのかもしれません。

大会前にNHKで昔のワールドカップ名勝負なるものを放送していたのですが、今の複雑なサッカーを見慣れた私達の目には当時のスタープレイヤーのテクニックに頼った展開にも(多少オーバーに言えば)「中学生のなかにとても上手な子がいる」程度にしか映らなくなっていました。

野球のピッチングの組み立ても相当な駆け引きですが、それ以上に難しい頭を使うスポーツになってしまったサッカーを1試合、これがあーなってこーなって、そーなるからすごいんだ、などと追いかけているとかなり頭がもたれるようになりました。

祝250セーブ 岩瀬仁紀の発するアルファ波

2010-06-19 | スポーツ
日本×カメルーン戦で最も輝いていたウィングの松井は、今所属チームがありません。また、その才能は未知数ながら注目を浴びる本田もロシアという地味な場所にいて、よりレベルの高いリーグへの移籍を望んでいます。この2名によるゴールの演出はワールドカップの国際見本市的な側面を思い出させられ、モチベーションの高い選手こそが活躍するという、サッカーはメンタルが重要なスポーツなんだと改めて感じ入ります。

野球は接触プレイがほとんどなく、対戦も小さなボールを巡って敵とある程度距離を保って戦うスポーツなので純粋に才能や調子がむき出しになることになります。ことさらに「チームのため」を説く人間が多いのも、サッカーほどには連携の必要のない野球にとっては、それが精神論に過ぎないことを知っているからこそなのかもしれません。まさに江夏のいう「野球はひとりでも勝てる」のです。

極端に比較してみると、下手でも気持ちと試合にフィットしたフォーメーションがあれば一発勝負なら勝てる可能性のあるサッカーと、実力が試合にしっかり反映される野球ということでしょうか。

得点数とアシスト数以外ほとんど数値化することのできないサッカーとは違い、大リーグで活躍する選手の所属チームの勝ち負けは報じず、個人の成績ばかりを取り上げるメディアを見ていても分かるように、個人記録は野球において重要でチーム成績以上に興味をかきたてるものなのです。

キャリア12年、ストッパーに回って7年で達成した岩瀬の250セーブという大記録が、ワールドカップの喧騒のなか、交流戦の消化試合という形で達成されました。あの藤川ですら140セーブであることを考えると、その記録達成の早さに驚きます。

岩瀬の、怪我をしない強靭な体とケア、常に責任のある立場での登板を求められる抑えという役割を果たす持続する気持ちの強さからは、ひとときのモチベーションとは違う、宗教的な静けさが伝わってきます。

地味なチーム、地味なカード、地味な時期での記録でしたので、サッカーに酔う国民にこの記録を大きく報じたりすると、きっとテレビ局に苦情がきたりするのでしょう。ただ日本人で3人目。少しはとりあげて労をねぎらってほしいものです。

世界が腰を抜かした幸運なサッカー

2010-06-15 | スポーツ
前評判の悪さではどっこいだったカメルーンと日本のグループリーグ初戦は、両チーム決め手を欠き、どちらに転んでもおかしくない試合となり、1度しか試したことのない本田をワントップで使った日本がどういうわけか勝ってしまいました。

不景気なイタリアやスペインで選手への結果に対する報奨金の額が問題になっているように、最近はどの国も自発的なナショナリズムというモチベーションに端から期待せず、傭兵のごとく結果に対する報酬を求める選手に対応した措置(報奨金制度)をとっている国も多くなりました。

また、監督は選手以上に「雇われ」感が強くサッカーには「結果」が求められることになり、当然試合は内容はいいからとにかく「勝ちゃあいい」という意識の下、どの国もポゼッションを捨て、確実性の高いカウンターサッカーを取り入れることになって迎えたのが今大会です。

サッカーにおいて「勝つ為には手段を選ぼうじゃないか」というのは「金持ち喧嘩せず」のできる一部の国だけなので、遅きに失したとはいえ、こと(サッカー)後進国の日本という話であれば、堅守(速攻?)である今の戦い方は間違ってはいません。短時間でよくここまで修正したものだとさえ言えるでしょう。

ポルトガルやスペインなどのパスサッカーは、相撲でいえば、琴欧州が安美錦の引き技にあっさり負けたりするように、堅い(ずるい)戦術に破れたりすることが多く、これからは重要な大会になるほど、私の好きな「優雅で感傷的」なサッカーは追いやられ、「堅実で官僚的」な戦術が、タレントのいないチームには必須となるのでしょうか。

ワールドカップを軸に4年間試行錯誤を続けたのに、結局そのときに調子にいい選手、必要な戦術を採り、それが機能するというのであれば、毎年開催すればよいのでは? と思ってはしまいます。

ブブゼラの発するメッセージ

2010-06-12 | スポーツ
南アフリカ×メキシコ戦が終わり、ようやく静かに、故に音量を上げて見ることができるな、と思っていましたら、次試合のフランス×ウルグアイ戦も「ちっとも変わらねえじゃねえか」とがっかりしてしまう、観客席からのリズムもメロディーもなくただ単調に流れ続ける「ブブゼラ」による抗議ともいやがらせとも見まがう音の洪水に辟易しました。

あの鬱陶しい日本の野球のメリハリのない応援の方がまだ救いがあると思えるほど邪魔。試合を見ず、続けることが目的なのか、試合が終わってもそれに気づいていないように必死に吹き続ける有様は、いったい何をしに来たのか、それで楽しいのかと疑うほどで、その生産性のない姿勢に腹が立ちます。

その国の歴史や文化だからしょうがないというには「ブブゼラによる応援」の歴史は浅く、このようなスタイルを取り始めたのも2001年にプラスチック製のものがスポーツメーカーによって作られ普及してからなのだということですので、そうそう尊重する必要もないのではと思います。(つまり反アパルトヘイトの象徴なんていう政治的、歴史的な意味はない)

試合もあのメキシコやウルグアイもカウンターサッカーを追求するという(そういやブラジルやオランダも)、どのチームも勝ちにこだわりはじめ、嫌な予感がします。

優勝の本命は硬くブラジルに、対抗でイングランド、大穴はアルゼンチンといったところでしょうか。個人的にはポゼッションサッカーを優雅に進めるスペインに初の栄冠をつかんでもらいたいのですが、ブブゼラという「魔笛」は、世界の趨勢は単調な堅守速攻という、間違ってはいないけれど、誤ったメッセージを伝えているようです。

日本の趨勢の反映としての日本サッカー

2010-05-25 | スポーツ
オシム監督はアジアカップも4位に終わっているように、結果を出したわけではありませんが、日本代表を迂回させながら4年をかけて変えようという姿勢が感じられ、負けた試合でも「オシムさん」なら何かやってくれるんじゃないか、という可能性に対する期待をもたせてくれましたし、ルックス的にも実績のある戦略家として無条件に尊敬される「歴史上の人物」のような風格がありました。

岡田監督就任当時「皆岡田を悪くいうけど、なぜ岡田じゃだめなの、しばらく様子をみてみようじゃないか」という意見も随分聞かれ(私もその一人)ましたが、格下相手などに対する幸運な勝利を重ねた結果、「勝ったところで岡田には可能性を感じない」という実感をもつ反対派の声は掻き消されていきました。

いまさらながら、サムライジャパンという名を冠していながら、負けたら責任者が「ハラキリ」で応じるという潔い選択肢もない(協会も含め)日本代表スタッフの姿勢を見るにつけ、「可能性を感じない」といい続けた私の周囲の連中の慧眼には恐れ入ります。

24日の韓国戦は、守備的にいくといういまさらながらの監督の方針変更により、今回はいままで培ってきた(スペースはあったのに)サイドのあがりがとうとう見られなかったことをみると、戦術ではなく、意識の統一ができていないように思えます。これでは松井や内田、ツーリオの不在や俊輔や遠藤の不調も言い訳になりません。「言われたことしかできない、指示されると前に覚えたことは忘れ、今後に活かされない」では日本代表の監督としては失格です。

ベスト4からグループリーグの勝ち抜け、せめて1勝から1得点でも、と希望がどんどんしぼんでいくなか、日本の総理大臣以上の公的抑圧にさらされる岡田氏も気の毒ですが、覚悟をもって臨んだ権利と地位です。仕方がない。北京オリンピックの「星野」的解放が待っていますのでもう少し我慢してもらいましょう。

史上最強の代表といわれるトルシエ監督の頃の首相は、小泉ワントップ。そして今は鳩山・小沢の二頭体制によるツートップ。最高権力者の吉凶(人徳ではない)が代表や国運を左右するのだとすれば、今の政権のいずれかが辞任しさえすりゃ、今の困難な局面も打開できるかもしれません。本番までの少ない時間の中、あと代表にてこ入れすることがあるとすればそれくらいです。

CL決勝のクロスカウンター

2010-05-23 | スポーツ
年に一度の明け方の生観戦を楽しみにしている欧州CL決勝。今回は「インテルvsバイエルン」という比較的地味な組み合わせでしたが、モーリーニョ監督という稀代の演出家の存在があり、またインテルというイタリアらしいチームの戦術が再びポピュラリティを得るのかという興味もあり、面白く観ることができました。

インテルは1点を先制した後は、全員がひいて守っていましたが、珍しく攻めあがったときにバイエルンのカウンターを受け、前線の戻りが間に合わず、人を残したままだったので、守りきった瞬間に今度はインテルがカウンターを仕掛けることができ、まさにクロスカウンターのような攻撃で決定的である2点目をあげることができました。

既述のように、バルセロナとの準決勝においてはアイスランドの噴火の影響もあり、インテルの勝利がいくつかの偶然が重なったものによるものであり、堅守からのカウンターと、華麗なポゼッションサッカーの優劣を決することによる今後のトレンドを占うには至らないとは思います。それはバイエルンにしてもリベリーが、バルサにしてもイ二エスタがいないという条件を差し引いてもインテルの優勝には価値のあることに間違いはないとしてもです。

ただ引き、人数をかけて守っても必ずしも勝てるもしくは引き分けることができるわけではありません。相撲取りを5人並べてゴールを隠しカテナチオってもサッカーは勝てないのです。完璧に組織だった守備ができたからこその優勝であり、賛美されてしかるべき指導とその実践をインテルはやってのけてしまったにすぎません。モウリーニョはチェルシーでもそうだったようにチームがかかえるタレントに最もフィットした戦術を選ぶことに徹しているだけで。決してカウンターサッカーしかできない「勝つ」ことだけに意義を求めるくだらない哲学をもった監督ではありません。スペインに行けばスペインのサッカーをするでしょう。

優勝してもクビなどということにはならないと思います。

今年のCLはモーリーニョのための、野望の踏み台としての大会といえます。なんか虫の好かねえ奴と思っている男子も多いとは思いますが、これでレアル監督就任がほぼ確定。ACミランのレオナルド監督との美形対決も1シーズンのみかと思うと、いささか残念ではあります。

間違った選手選考をしたけれど、間違いではなかった

2010-05-13 | スポーツ
暗すぎて、岡ちゃんとはもう誰も呼ばなくなった代表監督の早口が気になった以外は、順当で波乱も破綻もなく、つつがなく行われたサッカー日本代表メンバーの発表。

ロナウジーニョやファンニステロイ、カンビアッソ、ベンゼマ、トッティなども外れている各国の代表をみれば、小笠原や石川、小野などが選出されなかったことに驚くわけにもいきません。サッカーはつくづく監督のものだと思います。試合中にどうこうできる手段(交代枠など)が少ないという意味でも、サッカーの監督の選手選考における権力と責任は野球の比ではない、と言えます。

メンバーを見て驚いたのは平均年齢が高い割りにWC経験者が8人と少ないことです。闘莉王などベテランの域に達している印象があるにも関わらず初選出であるし、監督が「客のことまで考えてらんない」とか「大会の後、辞めちゃうから、次のWCのことなんか関係ねえ」(意訳)といった発言が大して問題にならないように、日本代表というものが継続性のない場当たり的な運営のもとに選出されていることが伺えます。

昭和の田舎の人間が都会に対する間違ったイメージ、(孤独だの裏切りだの)自己撞着にあふれたくだらないロマンチシズムに憧れて作った「甲斐バンド」とか「クリスタルキング」の曲を聴いているような不快な気分にさせられる岡田監督の「男らしい」孤独な作業のなかでの選手選択は、日本サッカーの羅針盤のない構造的欠陥をあぶりだすものでもあり、サッカーにおいては、辺境、不利な位置にある日本の現状認識を洗練させるためにも、「失敗」の刻印をしっかり押し、無駄な4年を繰り返さないよう、しっかり教訓として、今後にいかしてほしいものです。

ただ、スポンサーのプレッシャーのもと、「場当たり」を強要され、それに同意した岡田監督の狭められた選択肢としては「悪くない」選考だとは言えます。岩政と矢野を選んだということは、堅守からカウンターという勝つつもりならば要請される「窮鼠猫をかむ」という作戦?になってしまう予想される展開に対する布石であり、また自身の代表への期待と見限りをうまく表現しているともいえます。

いずれにしろこの大会が終われば、主力がほとんだ引退してしまい、その焼け野原の中から本田を中心としたチームが立ち上がるわけです。ワールドカップを暦の基点としなければならないサッカー業界の宿命とはいえ、まあいろいろと大変です。

バルサ敗退の教訓

2010-04-30 | スポーツ
今年のCLの(ここまでくれば)事実上の決勝戦といえる「インテルvsバルセロナ」のセカンドレグは、イタリアらしい「勝ちゃあいい」という戦術にバルサが攻め倦み、試合は負けたのですが、モウリーニョの知性とチームの運による2戦合計の結果で、インテルがサンティアゴ・ベルナベウへの切符を手にいれました。

今回のバルサは、ファーストレグが、アイスランドの火山の影響で15時間に及ぶバス移動を強いられたこともあり、コンディションが整わず惨敗。

セカンドレグでは早い時間に退場者がでたことからインテルは下手に攻撃することをやめてしまい、ひたすら10人でゴールを守るという展開。

そのうえ、バルサのダイナモであるイ二エスタがいないなかでの戦いでした。

日本がワールドカップ予選やアジアカップで苦しむ、弱いチームがアウェイで使う、ポゼッションを最初からあきらめた守備サッカーを、世界最高峰の舞台でやってしまったのですから、バルサに象徴されるスペクタクルサッカー全盛の流れに影響を与えるかもしれません。

いい加減趣味のサッカーはやめて、現実をみつめた戦術を選択してもらいたいものだと思っていた日本代表も、事ここに及んで守備サッカーをやるなどという報道もあります。

ただ、スポンサーから使う選手までも指名されるという日本の代表監督の自由度の少なさも気の毒ですが、モウリーニョのようにチームを掌握する能力のない今の監督の指導力では、選手は提示されたどんな戦術も信頼することができないかもしれませんが。