今日の群馬は晴れ。
気温は高くないものの
風もなく暖かな一日でした。
桜の開花が進んだことでしょう。
さて 椎野直弥の「僕は上手にしゃべれない」を読みました。
この本は今年になってから入れた本だが
読んだ子がおすすめしてくれたので
読んでみました。
小学生になったころから 自分の吃音に気づき
一人で練習するときは すらすら話せるのに
人前では 激しい吃音症状が出てしまうか少年
柏原悠太が主人公の物語。
悠太が中学校に入学するところから 物語は始まる。
入学した公立中学は いくつかの小学校から
比較的学力が優秀な子供が集まるので有名な学校である。
悠太は 小学生の時から
人前で話すことを避け
どうしても話さなければならない時は(自己紹介や授業中にあてられたときなど)
具合が悪くなったふりをして 保健室に逃げ込んできた。
中学入って最初の自己紹介も
そうやって乗り切ったが
前の席の男子が 話しかけてきたことに言葉少なく答えるのを見て
クラスメイトの古部さんには 吃音であることを見抜かれる。
自分でも何とかしたいとは思っている悠太は
「話し方を教えます」という放送部の案内に惹かれ
つい部室の前まで行ってしまう。
そこで 古部さんと3年生の立花先輩にであう。
二人は 悠太に吃音があることを笑ったりからかったりせず
放送部に入るように説得する。
紆余曲折の末 放送部に入ることになった悠太は・・・・
吃音と言えば 重松清の「きよしこ」を思い浮かべる。
吃音は 障がい者としては 見なされないようだ。
しかし 物語前半の悠太の苦しみを思ったら何とも言えない。
生きていく上では 人前で話すということを強要される機会は少なくない。
もちろん職種によっては あまり人前に出なくても済む仕事もあるが
その仕事に就くための面接では 話さないという選択肢はない。
だから 悠太は 過去の自分に 逃げている今の自分に
そして 将来の見えない未来の自分に 絶望している。
吃音は 練習したからとか
努力したからとかで 治るものではないらしい。
とすると 一生涯付き合わなくてはならないのに
第三者として その付き合い方を教えてくれる人もいないし
ケアしてくれる人もいないのが現状だ。
著者自身が 吃音に悩んできたからこその
リアルな悠太の気持ちが ジンジンと伝わってきて
人の話をゆっくり聞くという基本的なことがなかなかできない
ゆとりがない現代社会の構造にまで 考えが及んでしまった。
ともあれ おすすめです。
是非 機会がありましたらご一読ください。
今日は晴れていたけれども 曇りの日の鉄塔下!