以上、ほぼ問題になる各地方の郷土史を概観してきて、『姶良町郷土誌』(平成2年刊)<『志布志町郷土誌』(昭和59年刊)も加えていいかもしれない>を除けば、西南戦争に対して、客観的で冷静な眼をもって振り返っているとはとても言い難いことがわかった。また、これらの郷土史を紐解いたことから、もっとも早い時期の蒲生士族・赤塚源太郎らに率いられた大量の投降事件があったことも知るようになった。
蒲生の郷土史をまだ読んでいないので、まだ断定はできないが、以前予想したようにまず地元でも記録はしていないだろう。帖佐士族・黒江豊彦らが、ついこの間まで無視されてきたように。
今さら、どうしてこんなことが起ってしまったのだろうか、などという疑問にここで答えることはよそう。私が、出水の事件や大河平事件がなぜ無視され続けてきたのかという問いを発し、すでに何度も私なりの結論を述べたが、これらはその延長上にあるに過ぎないからだ。
閑話休題。江藤淳の最後の著作だと思ったが、かつてかれの『西郷南洲』という本を読んだことがある。その中で、かれは、未だ日本の思想界に押し寄せてくる西洋の先端思想に対して、それに対置する日本の思想とは何か、と自問し、西郷隆盛こそがその思想だ、というようなことを言っている箇所があった。もちろん、その表現はかれ一流のレトリックを駆使してだが。
私は、それを読んだとき、一瞬、「えっ?」という言葉が口をついた。だが、しばらくして、かれのいう西郷隆盛は、いわば、マルクスとマルクス主義者と分けた場合のマルクスであり、マルクス主義者を指していないことがわかってきた。それに気づいて以来、私も、西郷個人と「西郷主義者」を分けて考えるようになった。しかしながら、それでも西南戦争における西郷の行動と、以後の「西郷主義者」の行動を分けて考えるのは非常に難しい。少なくとも、今までとはとは違った視点からこの戦争を見てきた私には。
蒲生の郷土史をまだ読んでいないので、まだ断定はできないが、以前予想したようにまず地元でも記録はしていないだろう。帖佐士族・黒江豊彦らが、ついこの間まで無視されてきたように。
今さら、どうしてこんなことが起ってしまったのだろうか、などという疑問にここで答えることはよそう。私が、出水の事件や大河平事件がなぜ無視され続けてきたのかという問いを発し、すでに何度も私なりの結論を述べたが、これらはその延長上にあるに過ぎないからだ。
閑話休題。江藤淳の最後の著作だと思ったが、かつてかれの『西郷南洲』という本を読んだことがある。その中で、かれは、未だ日本の思想界に押し寄せてくる西洋の先端思想に対して、それに対置する日本の思想とは何か、と自問し、西郷隆盛こそがその思想だ、というようなことを言っている箇所があった。もちろん、その表現はかれ一流のレトリックを駆使してだが。
私は、それを読んだとき、一瞬、「えっ?」という言葉が口をついた。だが、しばらくして、かれのいう西郷隆盛は、いわば、マルクスとマルクス主義者と分けた場合のマルクスであり、マルクス主義者を指していないことがわかってきた。それに気づいて以来、私も、西郷個人と「西郷主義者」を分けて考えるようになった。しかしながら、それでも西南戦争における西郷の行動と、以後の「西郷主義者」の行動を分けて考えるのは非常に難しい。少なくとも、今までとはとは違った視点からこの戦争を見てきた私には。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます