海鳴記

歴史一般

続「生麦事件」(73) 奈良原繁書簡(45)

2008-12-25 10:50:12 | 歴史
 吉之助氏の長男家に残されていた『奈良原家系図』と吉之助氏が書いた『奈良原家一族祭日記録』を検討して、拙著では言えなかった前回のような結論を出したが、もう一つ拙著では触れなかったことがある。
 それは、吉之助氏の学歴のことである。私は、奈良原家の係累の方からこの吉之助氏個人の履歴をもらったとき、すぐこの情報は使えないな、と思った。 
なぜなら、吉之助氏はあくまで市井の人であり、歴史上(過去)の人物とはいえないので、そういう人物のプライヴァシーまで言及するのを憚られたのである。というより、係累氏本人は奈良原家の血筋ではなかったが、その細君が吉之助氏の孫にあたり、細君にとってはまだ「生きているおじいちゃん」なのであった。だから、係累氏から送られてくる資料は、注意して使わなければならなかったのである。たとえ、係累氏との暗黙の了解があったとしても。
 もっとも、確かに表面的にはそういう問題があったから使わなかったのだが、より正確に言えば、あまり子孫の個人的な問題ばかりに拘っていると、最初私が目指した、喜左衛門が犯人に仕立てあげられた文献上の不備、矛盾、齟齬等への注目が薄れ、何か興味本位の暴露本になってしまうことを恐れたから、というのが一番の理由であった。
 だが、これは失敗したように思える。というのは、私の知っている情報を読者も知っていると思い込んで、やや断定的に書いてしまったきらいがあるからだ。これでは読む側は引いてしまうだろう。
 たとえば、ある書き手が、ある一つの情報(記録、出典)を元に書いているといいながら、実際は表に出せない別な情報も得ていて、それらを含めて結論を出している場合、などである。われわれは、どうして、その情報からそんな断定的な結論を導き出せるのだと、不思議に思うことがよくある。そして、これは別な情報も持っているな、と疑われてしまい、鼻白んでしまうのである。
 まあ、私もそういう書き方をしてしまったのだ。『新釈生麦事件物語』では。



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