海鳴記

歴史一般

日本は母系社会である(38)

2017-04-02 10:14:34 | 歴史

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 まず、モルガンが、当時の野蛮(やばん)・未開(みかい)段階に相当すると考えた、各国の原住民の調査・研究から、集団(しゅうだん)婚を想定した。しかし、当時、すでにどの社会にも、血族婚やプナルア婚などという段階の社会はなかった。ただ、彼らの親族組織(そしき)や婚姻制度などから類推(るいすい)しただけのことなのである。だから、集団婚もその延長(えんちょう)の思考にすぎなかったのだ。なぜならどのようにして母権・母系制社会が発生し、その後氏族制社会が成立したかに辿(たど)りつきたかったがゆえに。しかし、これらはあくまでも状況(じょうきょう)証拠(しょうこ)(つ)み上げてたどりついただけなのである。そこでエンゲルスはこれを補強(ほきょう)するためか、独自(どくじ)の論理を展開(てんかい)する。以下、その部分を(かか)げる。

 

 動物の人間化は、比較的(ひかくてき)大きな永続(えいぞく)的な集団の内部でのみ達成(たっせい)できたのであるが、このような集団を形成するための第一の条件は、成熟(せいじゅく)した(おす)忍耐(にんたい)嫉妬(しっと)からの解放(かいほう)であった。そして実際にも、歴史上で明確に証明できるし今日でもなおあちこちで研究できる、最古(さいこ)のもっとも本源的(ほんげんてき)な家族形態として、われわれが見出すものは何であろうか。集団婚である。すなわち、男たちの集団全体と女たちの集団の全体とが(たが)いに相手を占有(せんゆう)しあっていて、ほとんど嫉妬の余地(よち)を残さない形態である。そのうえ、のちの発展段階では一妻(いっさい)多夫(たふ)制という例外的形態が見出されるが、これこそまさに、あらゆる嫉妬の感情まっこうから(う)(やぶ)り、したがって、動物には未知(みち)のものなのである。(戸原四郎訳)

 

 エンゲルスは、始めに男性(雄)の<嫉妬>があったというモチーフから、より大きな集団を形成するに従(したが)い、その<嫉妬>の感情が集団を制約(せいやく)することになった推定した。そしてそれらの比較的大きな集団を維持(いじ)するために、「成熟した雄の忍耐、嫉妬からの解放」が必要(ひつよう)だったという。

 吉本は、<嫉妬>などという曖昧(あいまい)な感情を持ち出す、エンゲルスの論理の奇妙さを、「人間の男・女の間の総関係(そうかんけい)はまったく逆だ」といい、「人間が<性>的な関係について<嫉妬>感情からまったく解放される(こころ)の状態を想定できるとすれば、男・女がまったく制約なしに<性>的な自然行為(性交)を体験(たいけん)として習慣化(しゅうかんか)しえたときである」と批判


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