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アメリカのような母権・母系的な基盤(きばん)を失ってしまった社会では、日本のような母権・母系制の中にある「父権」など理解はできかった。ただただ未発達(みはったつ)な社会―彼らの表現でいえば、中学生程度(ていど)の民主主義社会―にしか見えなかったのである。なるほど、明治以降の日本は異常(いじょう)だった。西洋的な父権制社会に対抗(たいこう)するため、天皇に過重(かじゅう)な責務(せきむ)を負わせてしまったからだ。
本来、天皇は父権制の象徴というより、むしろ母権・母系制の継承者(けいしょうしゃ)だった。ところが、明治政府によって、強い父権性を付加(ふか)され、神聖にして侵(おか)すべからざる存在にさせられてしまった。いわば無理やり虚構(きょこう)の<父>を演じさせられてしまったのである。日本人は、こういう社会に慣(な)れていなかった。だから、本来的な秩序(ちつじょ)の収拾(しゅうしゅう)がつかなくなり、無謀(むぼう)な戦争に突入(とつにゅう)してしまう。その結果、未曾有(みぞう)の敗北(はいぼく)を喫(きっ)し、有史(ゆうし)以来初めて、外国(米)軍の駐屯(ちゅうとん)を許(ゆる)してしまったのである。
どうしてこのようなことになったのか?それを解明(かいめい)するためには、母権・母系制の起源(きげん)をたどるしかないように思われる。
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