海鳴記

歴史一般

袴田事件と被害者家族 (2)

2011-10-10 21:11:28 | 歴史
                  (2)
 だが、どうも死刑囚となった袴田巌氏の周辺では、違った反応をしていたようである。つまり、強引で杜撰な思い込み捜査によって、袴田氏は犯人にデッチあげられたというのである。
 今、この詳細を語るのは止める。時間がないこともあるが、実際、私のこの事件に対する認識度は、インターネットや当時の新聞等で得られた情報だけのものであり、いわば孫引き、玄孫(やしゃご)引き程度のものにすぎないのだから。
 それでも、全体の印象を述べよと言われれば、現代の冤罪事件につきものの、可視化されていない取調べ室での自白調書が主たる「証拠」だったこと。そして、それと矛盾する数々の証言や証拠が出ているとすれば、「疑わしきは被告人の利益に」という観点から、即刻、再審が行われてもおかしくはないのではないかといえると思う。
 
 私は、生麦事件の被害者、英国商人・チャールズ・レノックス・リチャードソン殺害の犯人は、定説の奈良原喜左衛門でないということをそれなりに実証できてきたと思っている。つまり、いつの間にかデッチ上げられた冤罪事件だったということを。
こういう冤罪事件は、現代でも数えればキリがないほど見出すことができる。インターネット動画サイトを覗けば、これでもかこれでもかでという、冤罪事件のオンパレードである。とくに早くから陪審員制度を導入し、民主国家のようにみえるアメリカの場合など、驚くほかない。百何十名もの死刑囚に冤罪の疑いがあり、何人かは、DNA鑑定の採用で無実だったことが次々と明るみに出されていったというだから。日本でも、DNA鑑定で2、3の事件の冤罪が明らかになったことは記憶に新しいが、なんとも残酷で不条理な話としかいいようがない。
 ところで、袴田事件に話を戻すと、最初の探索で被害者の墓を見出せなかったということは、ある意味でショックだった。というのも、一方で冤罪を訴えている袴田巌氏の実姉やその支援者、さらに輪島功一氏やファイティング原田こと原田政彦氏や渡嘉敷勝男氏などの錚々たる元世界チャンピョンを並べた日本プロボクシング協会などが大々的に冤罪を訴えているのにもかかわらず、地元清水では未だに冷ややかというか口を閉ざす空気が支配しているように思えたからである。
つまり、すでに事件から40数年の時間が経過しているとはいえ、私が訪ねた事件現場近くの人は、よくわからないと首を振るだけだったし、また卒業した中学時代の同級生にその場所を探してもらうように頼んでもよくわからなかった。というより、友人は熱心にいろんな人に当ってくれたのだが、どうも反感をかうことが多かったらしく、それで受けたストレスを私にぶつけてきたほどだ。今さら、どうとでも言える昔の事件を掘り下げないほうがいい、と。
 むろん、私はこの事件を掘り下げるつもりなどなかった。そんな時間は今でもないし、そのときは被害者の墓を探し出し、大河平家の墓碑銘と比較したいだけのことだったのだから。


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