一昨日の月曜日、私用で立命館大学に行った。
昔通った大学とは言え、私が行っていたのは広小路学舎で、
河原町通りの府立病院前にあったのだが、そのキャンパスは売却してしまって今はない。
衣笠学舎も何度も行ったことがあるが、
校舎を建て増して、とても狭い感じのキャンパスになっていた。
「清心館」「存心館」など広小路キャンパスにあった建物の名が残っていたのが
かろうじて懐かしいと言えるかな。
9月1日はまだ夏季休業中。雨がそぼ降るキャンパスに人影はほとんどない。
用事を終えて、帰り道に気が付いたのだが、
なんでこんなに注意書きの看板が多いのか。
中国でこんな細かいことをいちいち看板にしている大学は(だけじゃなく、小学校も)
絶対ないと思う。
マナーが悪い人に対して「ちょっとお、この看板に書いてあるでしょ。気をつけてよ」
と看板を根拠にして注意し易いが、日本の他の大学はどうだろう。
これ、京都ならではの気もするけど。
京都の住民は細かいことにも言及する人が多いという記憶がある。
(何しろ昔8年間も京都に住んでいたので)
明日は、また用事で今度は関西大学に行くので、注意して見てみようっと。
帰り道の沿道には学生向けの可愛いお店が並んでいた。
レストランのメニューは全部手書き。
中国の皆さん、値段やメニューを参考にしてね(高いと思うと思うけど)。
タバコが吸える店、吸えない店と、いろいろある。
不動産屋さんもあった。中国のように学生全員が寮生活をするのではなく、
自分でアパートかマンションを借りている学生がほとんどだ。
もちろん留学生には留学生用の寮がある。
下の写真で「礼金」とあるのは京都独特の風習で、
「敷金」は保証金なので普通アパートを引き払うときに戻って来るが、
「礼金」は大家さんへの貢物みたいなもので、一円も戻らない。
こういうところが京都はちょっとねえ…と思うのである。
沿道右を歩く二人は学生だろう。一時、ぺちゃんこの靴底が流行りだったが、
最近またいろいろのようだ。
雨が降る公園で野球をしている呑気な学生たち。
よく見たらバットじゃなくて傘だった。
そんなこととはつゆ知らず、長らく失礼いたしました。
京都の町ですれ違っていたかも知れませんね。
確かに、注意が多いのは京都に限った事じゃないですね。昔(半世紀前)、学校の先生が子供の私たちに、
「アメリカじゃ、誰かが洗濯機に猫を入れて洗ったら猫が死んだかして、洗濯機会社がその誰かさんに訴えられたんだと」
と言うので驚愕したことを覚えています。さらに先生が
「洗濯機の注意書きに『猫を洗ってはいけない』と書いていなかった」というのが訴えた理由なんだと」
というので、さらにビックリしました。
今では日本も負けていませんね。訴えられないように先回りして何でも言いまくり、書きまくりしないと。
人間はこれからどこまでみっともなくなっていくのでしょう……。