すぐに遅延する格安航空に乗って那覇を発ち、今日夕方6時頃大阪の家に着きました。
今回の沖縄の旅で今更ながら実感したことがあります。
旅の3日目、辺野古の船「平和丸」に乗せていただいて大浦湾を海上から観察し、
そのすぐ後に「美ら海水族館」を訪れて分かったことなんですけど、
「美ら海水族館」は、単なる魚を集めた箱ではなく、
沖縄の海と繋がっていると言うか、これぞ沖縄の海!の一部なんですねえ。
大浦湾には『ファインディング・ニモ』でおなじみのクマノミの棲んでいるエリアもあり、
コンクリートブロックが228個も投下計画されている海底には、
何百年もかかって成長してきた浜サンゴ、青サンゴなどが群生しています。
(平和丸の船上で水中眼鏡をお借りし、
成育歴400年ぐらいの浜サンゴをこの目で見ることができました!)
上の写真は施芳芳さんと行った美ら海水族館で撮ったものですが、
このような心ときめく美しい海が、日本政府の手による
大型コンクリートブロックで傷つき、砂で埋められ、
「強襲揚陸艦」という戦争用の超巨大船が接岸できるように、
新型で強力な基地が建設されようとしています。
沖縄県の中止要請を一顧だにせず……。
☝撮影:施芳芳さん(美ら海水族館で)
「美ら海水族館」には日本のみならず、海外からたくさんの見学客が訪れていました。
(なんと、米軍兵士とその家族らしいグループの姿も)。
もし、歓声を上げて見学していたみんなに、
「こんな美しい世界が、時の政治リーダーの考えで勝手に潰されていいのか」
と聞いたら、誰しも「YES」とは言い難いと思います。
(米軍兵士は分かりませんが)。
何百年、何千年もの時間をかけて形成してきた世界を数年で破壊することの影響が、
絶望的に大きいことは少し考えれば分かることです。
作り育んで来た時間の長さと対照的に、それをぶち壊す時間の短さ。
我が心には恐怖と怒りが渦巻いています。
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2月11日午前6時40分過ぎの辺野古漁港。
もうすぐ夜が明けます。後姿は写真を撮る施芳芳さん。
↓汀間漁港から出航する「平和丸」。
午前8時前、この船に乗せてもらい大浦湾へと乗り出しました。
↓一緒に乗った人たちの中に、沖縄タイムスと琉球新報の二社の記者の姿が。
完全防寒体制の人(左)が沖縄タイムスさんです(カイロも貼り付けている)。
琉球新報さんは寒さで顔を赤らめていました。
沖縄タイムスさんに、2月7日の社説を読んでの感動を伝えると、
「あの記事は書いている記者も泣きながら書いたものです。」とのことでした。
(その社説はまたブログでご紹介します)。
下はずっと平和丸に付きまとっていた海上保安庁のボートです。
海上保安庁とは、海の環境保全、安全で美しい海を守るために働くという仕事なのに、
フロートの向こう側で、基地工事推進の補助部隊に収まっているこの現実……。
平和丸のリーダーがマイクで「おはようございます!お勤めご苦労様です」と言うと
向こうも「おはようございます」と。
リーダーは
「海保の人たちは、こんな仕事をしたくてしているんじゃないはず。
私たちは人間対人間として彼らの心に訴えています。」ということで、
「この海は、沖縄県民だけでなく、世界にとって宝の海です。
海保のみなさん、非道な戦争のための新基地建設に手を貸すことは止めなさい。」
と呼びかけていました。
対する海保の赤マイクは、
「平和丸の皆さんにお知らせをいたします。
こちらは臨時制限区域になっております。速やかに安全区域に移動してください。」
と、何度も同じことを繰り返していました。
フロートの玉は、一昨年(2015年)6月に見たものより、めちゃでかくなっていました。
正確なところは分かりませんが、
1個2万円という説もあります。出所は全部税金です。
カヌーがフロートを乗り越えられないように柵を立てたり、網を張ったりしています。
しかし、早くもあちこち網がもつれたり、壊れたりしています。
船の上でも大変寒い日でした。
この日のカヌーチームは総勢8人。
網を張られても、決して海上での抗議を止めることはありません。
冬の冷たい海水に濡れながらカヌーを漕ぐ8人を見ると、
目頭が熱くなり、思わず船上から手を振りました。
↓海底のサンゴ観察に使った水中眼鏡
でも、中には沖縄から基地さえなくなれば、日米安保条約はあってもいいという人も、沖縄県民にはいらっしゃるんでしょうかねえ。そのへんがわたくしにはよくわかりません。