毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「我が教え子渾身の平和へのメッセージ」No.1826

2016-12-19 15:24:19 | 中日(日中)交流

「中国人の日本語作文コンクール」3位に入賞した菏澤学院4年生、

李倩さんの作文を紹介します。

彼女は、3年生の時いつも一番前の席に座って、

授業中、いつも何か他のことを熱心にしていた学生です。

もちろん携帯で遊ぶなどではなく、眼鏡をずり上げながら単語を調べたりして、

全身から”熱心で真面目”オーラを出しているのですが、

(授業の時は授業に集中したら効率良く学習できるのに、

いったい何を一生懸命やっているのかな)と、私は面白がって見ていました。

そんな彼女が作文を書いたら、あらまあ、どの作もどこか光るものがあるのです。

そして、常日頃、どんなことを考えているかのヒントも随所にあります。

日本語を学び始めて1年や2年でペラペラ話すことは困難ですが、

作文なら、即時応答の必要がありません。

じっくり、時間をかけて思索したものをかなり詳しく表現できるのです。

(作文はいいなあ、教師と学生の心をつなぐなあ)と私が思う所以です。

今の4年生は、昨年たった一年間しか受け持たなかった学年ですが、

彼女たちの作文は今でもこのパソコンにきっちり保存してあります。

さて、

下の作文は李倩さんが

「訪日中国人が『爆買い』以外にできること」というテーマで書いたものです。

                                                                    写真:左から于蕾さん、段躍中さん、李倩さん(在中国日本大使館で)


 李倩(菏澤学院)「人と人との交流で平和を守ろう」

                              

「さくら さくら 野山も里も 見渡すかぎり・・・」

高校の時、テレビから美しいメロディーが流れてきた。

この曲がきっかけで日本に興味を持ち、父に

村上春樹の『ノルウェイの森』を買ってくれとせがんだりして、

日本がどんどん自分の身近になってきた。  

私たちは、望めば中国にいても日本の音楽を楽しみ、小説も読める。

中日間の旅行も簡単にできて、最近は「爆買い」現象まで起きているほどだ。

しかし、今のこんな平和な生活のために、

私たちの祖先がずっと奮闘努力してきたことを忘れてはならない。

 

「私のお父さんは朝鮮戦争の戦士だったんだよ。」

何かの時に、祖父が話し始めた。

「え、本当?」

「近所に愛国烈士陵があって、私の父もそこに眠っているんだ。

毎年の清明節には墓へ土塊を重ねに行っているよ。」

祖父によると、曾祖父は祖父が五歳の時に朝鮮戦争で亡くなったのだった。

祖父は、子供の頃から父の愛を受けられずに育った。

だからこそ、祖父には戦争には絶対反対するという強い信念がある。

祖父は古い箪笥の中から曽祖父の日記や教科書などを出して、私に見せてくれた。

私は従軍日記の内容や筆跡を見ながら、

脳裏に曽祖父が戦争で戦っている場面を思い浮かべた。

(ここに書かれた全部が、ひいお祖父さんが必死に生きた大切な歴史なんだ)

と思うと、心がしんとした。日記の中の、

「戦争で残るのは辛い思い出だけだ。各国の人民は大家族じゃないか。」

この言葉を読んだ時、泣くのを抑えるのが精いっぱいだった。

「生きて未来を見られるかな……。もし、できなくても、幸せな生活のために、私たちの子孫はきっと一生懸命に頑張っているだろう。」

目の前に、常に死を見ながら書いた文だ。

生きて帰れるかどうかは誰にも分からなかった。

殺し、殺される現場、それが戦場だ。

そして、ついに曽祖父はそこから戻れなかった。

「今、平和で幸せな生活が過ごせるようになったのは決して簡単なことじゃなかったんだ。だから、絶対にこの友好関係を大切に守るべきなんだよ。」

祖父の一言は私の胸に深く響いた。

 

現在、私は日本語学科の三年生だ。

毎日、隣国日本の言語や文学について楽しく勉強している。

「天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」

今、私たちが授業で練習している百人一首の中の阿倍仲麻呂の歌だ。

彼は遣唐使として中国に渡り、ついに日本に帰ることなく、

生涯、唐王朝に仕えた人物として有名である。

古代、日本は中国に10数回も遣唐使を派遣して大陸文化を摂取してきた。

中国で一生を終えた阿倍仲麻呂の望郷の歌を、

現代の中国人の私たちが学んでいる。

中日両国は昔からずっと大きな川の流れのように、

交流を続けてきたことを改めて感じた。

両国の祖先の血は素晴らしい未来を築くための触媒になってくれているのだ。

 

確かに、私たちには戦争の残した傷があって、

歴史の記憶を忘れるわけにはいかない。

しかし、だからこそ、私たちは、祖先の平和への願いを受け止めて、

中日両国が仲良くするために何ができるかを考え、努力するべきだろう。

最近、訪日する中国人はとても多い。

しかし、品物や買い物ばかりが話題になっているのはとても残念だ。

古代からの中日文化の交流の跡が、日本に行けばどこにでもあり、

いつでも交流を体験できるというのに……。

衆知の通り、中国と日本は一衣帯水の隣国だが、

日中戦争後、中国人は日本が全然信頼できなかった。

今、日本人の中国人観も悪いと聞く。

だけど、これでは、両国の平和と発展に尽くしてきた

お互いの祖先のかけがえのない命と、子孫に託した希望は無に帰してしまう。

 

自分の生活だけ、自分の国だけのためだけじゃなく、

同時に隣国の人々のために、できることをやろう。

中国人も、日本人も偏見を捨てて、顔の見える交流を図るのが大事だ。

せっかく手に入れた平和の価値を忘れず、

私たちも努力して未来を築いていこう、祖先がずっとそうしてきたように。

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上は、李倩さんの作文も収められている今年の作文集です。

どのページでも、中国の若者が等身大の自分を見せてくれています。

これを読めば、純真な中国の若者の心が伝わってくるはずです。

日本僑報社発行(¥2000+税金)、

ちょっと高いけど、お金の工面に苦労しながら作文コンクールを11年間も続けてきた

日本僑報社(主宰:段躍中さん)にカンパするつもりで、できれば一冊お買い求めください。

ネット販売(http://duan.jp/item/229.html)

 


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