毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「『音楽に政治を持ちこむな』という発想への限りない違和感」No.1700

2016-06-30 22:36:51 | 人間

例えば、小澤征爾さんの発言。

音楽家が戦争と平和について語ることは奇異なことでしょうか。

音楽家も一人の人間ですから、政治や社会について発言するのは当たり前ですよね。

では、音楽家が言葉でなく、音楽で発言=表現するとしたらどうでしょうか。

言葉が音になっただけです。

言語による社会的発言は良くて、音楽はダメだとどこで線が引けますか。

むしろ、音楽のほうが自分の気持ち、思想をより的確に表現できることは

あると思います。

音楽は音楽家の心身であり、思想であり、人生です。

では、いわゆる「音楽家」じゃない人にとって音楽とはどんなものでしょうか。

いくらプロじゃなくても、朝から晩まで音楽に浸っていなくても、

やはり、「普通の人」にとっても音楽は自分の心身の栄養だったり、

自己表現だったりしますよね。

音楽によって思考のインスピレーションが湧くこともあるはずです。

音楽は、個人の全てを表現してもいいのです。

 

「音楽に政治を持ちこむな」という人にとっての「音楽」の

あまりの度量の狭さ、狭め方を非常に残念に思います。

それでも、聞きたくない人は自分が聞かなければそれでいいと思いますよ。

ただし、他人に自分の価値判断の狭さを押し付けるなっての。

自分だけ家で寝ながら自分のお気に入りの音楽を聞いとけばいいじゃないですか。

「音楽に政治を持ちこむな」と外に向かって発言したとたんに、

それは音楽について、ある社会的立場から発した政治的発言になるのです。

音楽に政治を持ちこんでいますよ、あなたも。

自己矛盾を感じないんですかね。


 

SEALD’sの街頭での表現を初めて聞いたとき、

(なんだこれ、まるでロックのにいちゃんたちだね)と、

思わずニヤりとしました。

「言うこと聞かせる番だ、おれたちが」

「やつらを通すな」

政治主張はリズムを得て、光彩を放ったと私は思います。

 

一方、「音楽で世の中変わりませんよ」

と言う方もいらっしゃいます。

古くは私が高校生の時、北海道の知床の小さい町に

岡林信康や高石友也さんが来てくれたことがありました。

そのとき、岡林信康が歌った岸信介・佐藤栄作の歌

♪ あにきゃ 目が出て、 弟は歯が出て、

  二人そろって はめをはずす ♪

というのを高校の倫理社会の先生が授業で取り上げて、

「いくら歌で社会批判したところで何の力にもならない。

音楽で世界は変えられない。」

と批評しました。

その言葉を私は強い違和感とともに呑み込み、心で反芻しました。

(歌で世の中変えることはできないか?

そんなことはない。歌は人間の心に作用し、

心を動かされた人たちは行動する。

従って、歌は社会変革のエネルギーに成り得る)と高校生の私は思いました。

更にずっと後になって、

アルゼンチン出身の革命家、チェ=ゲバラについての記事の中に、

『彼らはいつも歌を口ずさんでいた。どんなに苦しい時も明るい歌を。」

と、書いてあったのも印象に残っています。

いつ死ぬかも分からない革命戦争の中でも、

歌は忘れられることはなかったのです。

いったい、歌、もう少し広げて音楽とは何でしょうか。

 

「音楽に政治をもちこむな」という人の姿がボンヤリ頭に浮かびますが、

音楽を狭めたら、人生も狭くなっちゃうと思いますよ。

考えてもみてください。

井戸の中の蛙が「これが世界だ!」と思って一生を終える感じじゃないですか。

 

最後にX-JAPANのSUGIZOさんの話を付録に。

SUGIZOさんは参院選に立候補した三宅洋平さんの応援に駆け付けて

山本太郎さんの質問に次のように答えました。

 

 音楽に政治を持ちこむな?クソくらえ!

 

山本太郎:立候補した人を応援するんだということを表明すること、例えばSUGIZOさんのようにすごく有名なバンドのメンバーということになると、なんか無いんですか、そういうの、何か躊躇みたいなものは?

 

SUGIZO:あのう、ぼくはないですけど、周りは大変です。

そして、ものすごく非難されますし、僕のツイッターとかブログでも非難されますが、

だいたい意見は、「音楽に政治を持ち込むな。」

その次は、「芸術に政治を持ちこむな。」と皆、すごく罵倒してきます。

はっきり言って、「クソくらえ!」です。

なぜか?ロックは社会とともにあるんです。

僕らはもちろん、ボブ=ディランやジョン=レノン、マービン=ゲイがすごい好きなの。

本音を吐いて何が悪い?ロックンロールが。

 

もう一つ、例えば、ワーグナーもベートーベンも、

社会と一緒に音楽は続いてきたの。

実はむしろ、社会と音楽、芸術は一緒にあるんです。

その中から洋平君が一歩先に踏み出そうとしてくれたことは、

ぼくらミュージシャンにとっても、すごく勇気づけられることなんです。

あのう、だいたいね、非難する人の、何ていうかな、

リスクを恐れて行動しないなんて人生、つまらないじゃないですか。

どうせ、長くないんだし、ぼくらね。

 

歳も歳だし。

やるんだったらとことん本音を吐いて、

でも、その本音がネガティブなことじゃなくて、世の中をよくしたいっていう、

そういう美しいものだったらいくら吐いたっていいじゃないですか、

と僕はそう思います。

 

 

 

 

 

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