毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「真珠湾攻撃・ジョン=レノン殺害の日に」 2012年12月8日(土)No.528

2012-12-08 17:41:04 | 日記
1941年の今日、日本がハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争に突入した。
1980年の今日、アメリカでジョン=レノンが一人のファンに殺された。

ジョン=レノンの殺害は私がまだ20代の頃の出来事で、
キャーキャー言うようなファンではなかったが、驚き、また、とても残念だった。
ファンのくせに自分が好きな人を殺すとはどういう心理か、私には理解できなかった。
(とんでもないファンがいるものだ。これもアメリカという爛熟社会の暗部か?)
と、当時は行ったこともないアメリカについてあれこれ想像したものだ。
今、ストーカーが闊歩する日本社会でそんなことが起きても、
肯定は決してしないが、不思議でもなくなっている。
(ジョンが生きていたら、どんな人になっているだろう)と想像するのはちょっと楽しい。
そして、やっぱり最後は残念な気持ちに戻る。
オノ=ヨーコやポール=マッカートニーは、きっと、ジョンの分を深く生きているのだろう。

リアルタイムの「ジョンの死」に比べ、
「真珠湾攻撃」という言葉は、学校で習った歴史上の単語で、
自分とは何の関係もないと、他人事だった。
「第二次世界大戦」も「日中戦争」も、
(遠い昔に愚かな政治家と国民が引き起こしたことだ)と、
むしろ自分との関係をあっさり、すっぱり断ち切っていた。
自分が日本人であるということについても、
生まれる国を選べないかわりに、愛着も持たない、というスタンスだった。
中国に来て暮らすと、
日中戦争が決して、現在と切り離された遠い世界の出来事ではないことが
否応なく実感される。
どんなに自分の意識がコスモポリタンでも、
ここでは、自分が日本人であることを常に周りが要求する。
事実、私は生まれも育ちも日本で、れっきとした日本人である。
一人分の責任を引き受けるしかない。

実は私は、
以前、友人がメールで送ってくれた「りゅうりえんれんの話」(茨木のり子)を、
いつ、どのように学生たちに紹介しようか、ずっと緊張しつつ時期を窺っている。
中国人の心には、65年以上前のことが、まるで昨日起きたかのような生々しさで
深く刻まれている。若い学生達もそうだ。
そんな彼らに、
独善性にに陥らず、しかし、なんとしても紹介したい。
日本が戦争で何をしたかを、
痛みとともに確認し、向き合い、行動している日本人がいることを
知ってもらいたいのだ。
恥じ入り、消え去りたい心と戦いながら・・・。




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