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日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「尖閣/釣魚島問題へのまっとうな視点~孫崎享氏」 2012年12月6日(木) No.526

2012-12-06 20:20:54 | その他情報
尖閣/釣魚島の領土権を巡る問題をあれこれ考えてきた。
このブログを読んで、
日中両国民が冷静、かつ多面的にこの問題を考えるためにと、
日本から「pigo」さん(もちろん見ず知らずの方です)がたくさん資料を添付ファイルで送ってくださった。

また「逝きし世の面影」さん、「南出信者」さんから貴重なご指摘をいただいた。
それらを中国の学生たちと共有したいと思う。
しかし、授業では政治に関して発言することを禁じられている。

卒業生に少しずつ資料を送っていたが、日々の仕事にかまけて最近ストップしていた。
そんなときに孫崎享さんの記事を見つけた。
一つ一つの言葉が、腑に落ちる。
ちょっと長いが、
中国の学生のみならず、日本の友人・知人にもぜひ読んでもらいたいので、
全文を貼り付ける。
(出処は「日経ビジネスオンライン」)

「元外務省国際情報局長、孫崎享氏に国境紛争の処方箋を聞く」
聞き手・まとめ 篠原 匡 
2012年11月28日(水)


孫崎 亨(まごさき・うける)氏
1943年旧満州国鞍山生まれ。66年に東京大学法学部中退、外務省入省。英、米、ソ連、イラク、カナダ在住。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。防衛大学校教授を経て、2009年に退官した。「日本の国境問題」(ちくま新書)、「日米同盟の正体――迷走する安全保障」(講談社現代新書)など著書多数。


尖閣諸島を巡って、日本政府は「日本固有の領土であり、領有権の問題は存在しない」という主張を繰り返しています。この考えが日本の世論を覆っていると言っていいでしょう。ただ、日中平和友好条約を調印した頃の世論は、領土問題の存在を明確に認めていました。
例えば、1979年5月31日付の読売新聞の社説には、「日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が存在することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた」と書いてあります。どちらかというと保守的な読売新聞ですら、尖閣諸島を巡る領土問題を明確に意識していました。

 ところが、今はどうでしょう。世論全体が領土問題は存在しないという見解に染まっており、1979年の読売新聞の視点は社会のどこにもありません。9月に開かれた自民党総裁選の候補者も領土問題に対して強硬な人たちが並びました。日本全体が右傾化していると言っても過言ではありません。その遠因を探れば、米国の影響が大きいのではないでしょうか。
 いわゆる「棚上げ論」の存在を日本政府が否定し始めたのは、私の感覚では1995年頃です。日米関係の流れで位置づければ、より鮮明になるでしょう。米国よりも国際社会との連携を目指した「樋口レポート」が登場したのは1994年のこと。衝撃を受けた米国は、東アジアの位置づけの再定義と日米同盟の重視をうたった「ナイレポート」を発表。それが日米同盟を重視した95年の防衛大綱につながりました。


「日米同盟の深化とともに日中友好が後退した」
 こういう雰囲気の中で、尖閣諸島問題に対する見方も変わってきたと思うんですね。
 「ナイレポート」以降、近隣諸国との協調よりも、日米安保条約の下、米国の力で日本の安全保障を図るという方向が鮮明になりました。その考え方は徐々に醸成され、2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」にいたりました。町村信孝外務大臣とコンドリーザ・ライス国務長官が話し合い、共通の戦略目標を定めたものです。日米同盟の深化とともに、「日中で仲良くしていこう」という雰囲気は後退したように思います。
 
 北方領土に関して言えば、領土問題の帰属を未解決にしておくことで日本とソ連を分断する、という意志が冷戦時代の米国には間違いなくありました。
それでは、尖閣諸島はどうか。沖縄を返還した時に、米国が「尖閣諸島は日本の領有」と明言すれば何もなかったのに、米国は「領土問題については中立」と言った。
 これによって、尖閣諸島は日中間の問題になりました


「日中関係にくさびを打った米国の深謀」
 それと、石油の問題も大きい。尖閣諸島がここまでクローズアップされたのは、1960年代末に国連が石油の存在を指摘したためです。しかも、この頃は原油価格が1バレル1ドルだった。なぜ、オイルショックの前にわざわざ東シナ海の原油埋蔵量を調査しなければならなかったのでしょうか。
 もう1つ言えることは、田中角栄が日中国交正常化に踏み切った時、大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは「一番おいしいパイを取られた」と激怒したと伝えられています。日本は吉田茂・元首相以来、米国よりも先に中国市場に入ろうとしてきました。それに対して、米国は常にストップをかけてきた。あくまでも推論ですが、日中間にくさびを打っておくという発想をしても全然不思議がないと思います。

 9月26日の日中の次官協議で、中国の張志軍・筆頭外務次官は「両国指導者が合意した共通認識に戻り、両国関係を安定的に発展させる正しい道に早く戻さなければならない」と発言しました。これは、「中国は棚上げで構わない」ということでしょう。主義主張を押しつけるより、棚上げによって紛争を解決する方が重要と判断しているわけですね。
 結局のところ、中国は世界秩序を壊して世界秩序からはしめ出されることよりも、世界秩序を守る側に回って利益を得た方がプラスと考えている。それが中国の姿勢だとすれば、日本側が仕掛けなければ現状維持を受け入れるでしょう。その代わり、日本が状況を変えて領有権を強く主張すれば座視しない、というスタンスだと思います。


「島を獲得したら資源総取りはやめよ」
  私自身は「島を獲得したら(資源を)総取り」という考え方をやめるべきだと思います。島の領有権については、合意点を見出すことは難しい。しかし、「漁業」「資源」とプロジェクトをばらしていけば、どこかに必ず合意点があるはずです。
 私はフランスのアルザス・ロレーヌ地方に学べると考えています。この地域を巡って、ドイツとフランスは激しい領土紛争を繰り返しました。第二次世界大戦後はドイツの敗戦によってフランスが獲得しています。これ以降、ドイツは、奪われたものを奪い返すという選択肢を取らず、奪われたものを欧州全体のものとする制度を求めました。


「紛争解決は独仏に学べ」
 それにフランスが呼応。紛争の火種だったルール地方は欧州石炭鉄鋼連盟が管理することになりました。アルザス・ロレーヌ地方の中心都市、ストラスブールも、欧州議会本部が置かれるなど欧州の都市としての道を歩みました。敗戦によってドイツは大幅に領土を失いましたが、その一方でEUの盟主となり、存在感を発揮しています。名より実を取ったと言うことができるでしょう。
 反日デモが起きたものの、日本の貿易相手は圧倒的に東アジアです。領土問題や歴史認識など紛争の火種はいくつもありますが、日本にとって東アジアとの結びつきは切っても切れない。そうであるならば、領有権は棚上げし、資源開発などで実を取った方がいいのではないでしょうか。


「ポツダム宣言にさかのぼって考えよ」
 いずれにせよ、日本人は領土問題の歴史的な経緯を全くと言っていいほど勉強していません。すべての大本にあるのは1945年のポツダム宣言です。ここで、本州、四国、九州、北海道は日本の領土だが、その他の島々の帰属は連合国側が決めることになりました。その後、1945年9月に降伏条件を詰め、1951年のサンフランシスコ平和条約で確認しています。
 「その他の島々」に関しては、ポツダム宣言の時点で「固有の領土」という議論が通用しなくなっている。それにもかかわらず日本は、この流れとは違ったところで領土論を展開しているんですね。領土問題は正しい認識なくして前進しません。国境や領土に、もっと関心を持ってほしいと思います。
コメント
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