数年前のちょうど今頃の話だが、私はクモ膜下出血で緊急手術を受けた。
なぜ今頃思い出したのかと言えば、今回の原発事故で放射線による被害が
話題になり、その際に放射線被曝による人体への影響として脱毛(頭部)も
項目の一つに挙げられていたからだ。
しかし言うまでもないことではあるが、通常のテレビ番組等では
脱毛は話題にならない。
なぜなら多少の被曝では脱毛には到らないからである。
(ソースによって脱毛に到る被曝線量の表記に多少の違いがあるが、Wikiで2000~4000
mSv(ミリシーベルト)。新潟県立中央病院のHPによると3000mSv)
さて問題は、私がなぜこういう問題を取り上げたのかというと、
実は私は冒頭に述べたクモ膜下出血の手術の際にカテーテルによるコイル
塞栓手術(太ももの付け根の血管からカテーテルという細管を挿入し、
破裂した脳動脈瘤にプラチナのコイルを丸めて入れることによって、
そこに血の塊を作って”防波堤”としてそれ以上の決壊を防止する手術)
を受けていたのだ。
そして手術後2週間くらい経ってからであろうか、頭髪がやたらと抜け出した
のである。
ベッドのシーツに抜け毛がすごく目立つのである。
でもその当時は無知だったのでさほど気にしていなかったが、
3週間ほどして幸いにも退院してから、自宅で鏡を見て愕然とした。
患部の右後頭部の頭髪が少々目立つ程度に脱毛していたのだ。
それは結局、後日、手術時の「承諾書」(?後々のトラブル防止の為の家族によ
る承諾書)を見て、そこに脱毛のリスクがあることが記載されていたのを
知って、初めて分ったことであった。
(入院当時は生命の危険があったわけで、脱毛どころでないのは当然だ)
実際私の入院していた病院には床屋があり、そこでは女性用のカツラを
売っていた。
しかしその脱毛も、2~3ヶ月で元に戻ったように記憶している。
とにかく手術後は2日に1回は頭部のCT検査を受けていたような気がする。
(余談ながら、胸部のX線検査は集中治療室の個室まで出張してもらい毎日
受けていた。肺炎予防なのかな)
話を元に戻すと、私の場合は全身ではなく局所被曝(頭部の一部)なので、
放射線量は高くてもその影響も限定的ということなのだろう。
そうでなければ、線量だけ見れば50%死亡の数字に近いので、
恐れおののくところではある。
そして今現在、後遺症はお蔭様で日常生活では全くないのだ。
(ものの考え方に若干「思考停止」気味のところはあるが、これが
病気の影響かは分らない)
なぜ今頃思い出したのかと言えば、今回の原発事故で放射線による被害が
話題になり、その際に放射線被曝による人体への影響として脱毛(頭部)も
項目の一つに挙げられていたからだ。
しかし言うまでもないことではあるが、通常のテレビ番組等では
脱毛は話題にならない。
なぜなら多少の被曝では脱毛には到らないからである。
(ソースによって脱毛に到る被曝線量の表記に多少の違いがあるが、Wikiで2000~4000
mSv(ミリシーベルト)。新潟県立中央病院のHPによると3000mSv)
さて問題は、私がなぜこういう問題を取り上げたのかというと、
実は私は冒頭に述べたクモ膜下出血の手術の際にカテーテルによるコイル
塞栓手術(太ももの付け根の血管からカテーテルという細管を挿入し、
破裂した脳動脈瘤にプラチナのコイルを丸めて入れることによって、
そこに血の塊を作って”防波堤”としてそれ以上の決壊を防止する手術)
を受けていたのだ。
そして手術後2週間くらい経ってからであろうか、頭髪がやたらと抜け出した
のである。
ベッドのシーツに抜け毛がすごく目立つのである。
でもその当時は無知だったのでさほど気にしていなかったが、
3週間ほどして幸いにも退院してから、自宅で鏡を見て愕然とした。
患部の右後頭部の頭髪が少々目立つ程度に脱毛していたのだ。
それは結局、後日、手術時の「承諾書」(?後々のトラブル防止の為の家族によ
る承諾書)を見て、そこに脱毛のリスクがあることが記載されていたのを
知って、初めて分ったことであった。
(入院当時は生命の危険があったわけで、脱毛どころでないのは当然だ)
実際私の入院していた病院には床屋があり、そこでは女性用のカツラを
売っていた。
しかしその脱毛も、2~3ヶ月で元に戻ったように記憶している。
とにかく手術後は2日に1回は頭部のCT検査を受けていたような気がする。
(余談ながら、胸部のX線検査は集中治療室の個室まで出張してもらい毎日
受けていた。肺炎予防なのかな)
話を元に戻すと、私の場合は全身ではなく局所被曝(頭部の一部)なので、
放射線量は高くてもその影響も限定的ということなのだろう。
そうでなければ、線量だけ見れば50%死亡の数字に近いので、
恐れおののくところではある。
そして今現在、後遺症はお蔭様で日常生活では全くないのだ。
(ものの考え方に若干「思考停止」気味のところはあるが、これが
病気の影響かは分らない)