昨日の女子フィギュア世界選手権・フリーを見ていて
私は脱力感に襲われた。
それは一つには、キム・ヨナのミスから窺える彼女のモチベーションの低さが
もたらす失望感である。
もう一つは、またしても採点の問題である。
転倒し、別のミスもしたキム・ヨナが、素人目には大きなミスもなかった浅田
よりも、フリーでは得点が高かったこと。
私も採点ルールについて調べてみたのだが、複雑すぎて嫌になった。
(Wikiはこちら)
ひょっとすると、私たちが採点に”不公平感”を抱くのは
ルールを正確に理解していないからなのかな、と思った途端に
どっと疲れが出て来た。
要するに我々素人の”見た目”と、ルール上の採点はかなり違うもの
なのではないかということだ。
私などは減点対象として、ジャンプの回転不足よりも転倒などを重く見がちだが
ルールでは、どうやらそうでもないようだ。
しかも肝心のそのルールが、ここ何年かでかなり変わって来たという事実。
これこそが、キム・ヨナ×浅田真央論争の最大の問題点である。
ジャンプの回転不足に厳しい採点をするようになって来た最近の傾向に対処する
には、浅田流のジャンプ重視の戦略では不利なのは明らかである。
私は五輪の時に韓国の若い女の子が「浅田はもっと優雅に演技しないと・・・」
と言っていたのを思い出す。
まさにその通りなのである。
確かに、浅田は優雅さに於いてヨナに劣る。
例え転倒しても、優雅に演技した方が得点は高いのである。
優雅さとは、分かりやすい例を挙げれば、トリノ五輪での荒川静香の
イナバウアーの醸し出す優美さと言ってもいいかもしれない。
その意味では、フィギュアスケートはスポーツと芸術の中間に位置している
のだろう。
私は脱力感に襲われた。
それは一つには、キム・ヨナのミスから窺える彼女のモチベーションの低さが
もたらす失望感である。
もう一つは、またしても採点の問題である。
転倒し、別のミスもしたキム・ヨナが、素人目には大きなミスもなかった浅田
よりも、フリーでは得点が高かったこと。
私も採点ルールについて調べてみたのだが、複雑すぎて嫌になった。
(Wikiはこちら)
ひょっとすると、私たちが採点に”不公平感”を抱くのは
ルールを正確に理解していないからなのかな、と思った途端に
どっと疲れが出て来た。
要するに我々素人の”見た目”と、ルール上の採点はかなり違うもの
なのではないかということだ。
私などは減点対象として、ジャンプの回転不足よりも転倒などを重く見がちだが
ルールでは、どうやらそうでもないようだ。
しかも肝心のそのルールが、ここ何年かでかなり変わって来たという事実。
これこそが、キム・ヨナ×浅田真央論争の最大の問題点である。
ジャンプの回転不足に厳しい採点をするようになって来た最近の傾向に対処する
には、浅田流のジャンプ重視の戦略では不利なのは明らかである。
私は五輪の時に韓国の若い女の子が「浅田はもっと優雅に演技しないと・・・」
と言っていたのを思い出す。
まさにその通りなのである。
確かに、浅田は優雅さに於いてヨナに劣る。
例え転倒しても、優雅に演技した方が得点は高いのである。
優雅さとは、分かりやすい例を挙げれば、トリノ五輪での荒川静香の
イナバウアーの醸し出す優美さと言ってもいいかもしれない。
その意味では、フィギュアスケートはスポーツと芸術の中間に位置している
のだろう。