パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

何故、いま一斉に取り上げられたのか?(今日の新聞記事)

2016年02月17日 16時49分32秒 | Weblog

今朝の新聞に興味深い記事があった(写真は中日新聞)

興味深いというのは記事の内容ではない
何故、今この記事が掲載されているか?
何故、いろんな新聞で同じように取り上げられているか?
という点

自分が確認したのは自宅で見た中日新聞、
ネットでは毎日新聞も同じようにでていた

この記事の内容自体はちょっと目には興味深い
生物の長続きの鍵は怠け者にあり
と、怠け者の存在理由を述べている

しかし、この事実と解説は何年か前出版された
「働かないアリに意義がある」
(メディアフォクトリー新書 長谷川 英祐)
で既に紹介されている
だから特に珍しい事でも奇抜なことでもない

なのに、いたるところで取り上げられている
不思議なのはそちらの方だ

新聞社の記者さんは、あらゆる本を読んでいるのではないから
この手の情報が珍しいのかもしれないが
なにか、横着した記事だな!思ってしまう
いろんな新聞に載っていることだから、きっと何らかの発表があって
それをそのまま記事にしたのだろうけれど、、

最近、新聞やテレビ報道に文句ばかり言っている気がするが
マスコミはもう少し独自の取材力を上げないとまずいんじゃないの
なにか、発表報道だけをしているような気がする

※ 発表報道(はっぴょうほうどう)とは、官公庁や捜査当局(=警察)などの発表を、
主体的に分析、取捨選択することなくそのまま横流しに報道するマスメディアの姿勢を揶揄した言葉

対義語は記者やジャーナリストが自発的に行なう
調査報道
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞に書かれなかったこと(放送されなかったこと)

2016年02月16日 08時19分41秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

一段落したように見える新城市のリコール運動
結果は結果として受け止めなければならないが
少しばかり実情とは違う観点から総括されそうで
一言発したくなったので取り上げてみる

新聞やテレビは結果を報じている
署名数が達しなかったのは理解を得なかったからだ、と
一見客観的に見えるが所詮他人事のトーンでまとめようとしている
でも、本当にそうなのか?

新聞やテレビで報道されなかったことは沢山ある
実は報道されたことよりも
報道されなかった事のほうが実社会では重要な場合が少なくない
報道されないと人は知るすべがなく検討も考えようもない

国のことも原発のことも、本当は表に出ないこと
報道されていないこと、知らされていないことに
大きな闇とか問題がある

新城市の問題をそこまで大げさに考える必要はない
かも知れないが、メディアがあまり取り上げなかったことは
署名活動中の具体的な反対運動の内容

多少触れたのは、ローカル紙でリコールを求める会が
名誉毀損で新友会を刑事告訴に踏み切った
といったことぐらい
あとは特に何も触れていない

リコール署名が新城と同じように数に達しなかった例が
埼玉県の川島市にある
これは新城市の状況とあまりにもそっくりだ
おおまかにまとめると、川島市は新城市と同じように庁舎建設を
見直すために住民投票の署名を集めた
その数は必要な50分の1を遥かに超える5035筆(有権者の3分の1程度)
ところが住民投票には議決が必要で、なんと議決は2-10で住民投票は否決
これに怒りを覚えた住民は町長リコールの請求 署名活動を始めた
前回に5035筆集めているので、議決の民意を聞かない姿勢は
当然糾弾されると判断したが、、、

そこで出てきたのは、新城市とそっくりな議員によるチラシ
大きな文字で「(!)署名の前に考えてください。」とあり、
その下の白抜きの文字でこう書かれていた。
「署名簿に署名捺印した場合は、取り消しはできません。
また、一定期間内に、川島町選挙管理委員会で有権者なら誰でも
その署名簿を見ることができ、誰が署名したのか確認できます。」
 

詳しくは⇒署名縦覧を盾に議員らがビラで暗黙の圧力?
     町長リコール運動をめぐる川島町住民の狼狽

 新城そっくり、そのままだ
あまりにも似ているので、この方法はリコールつぶしの
定番と言えるかもしれない 

この一種の脅しとも言える行動を考慮せずに
単に理解が得られなかったと総括するのは
どこか違う気がしてならない
(署名活動して一番の壁は、政策論争やあるべき将来と
 いうことではなく 、縦覧に対する人びとの不安だった)

メディアは、どの立場で報道されるかわからないが
いずれにしても報道してしまったらその時点でお役御免
人がどのような判断をしようが責任はないみたいな気がするが
その割には社説などで 妙に言い切った自説を自信を持って発表している

もっとも今回の推進・反対の具体的なことを表立って取り上げるのは
少しばかり気が引ける気持ちも分からないではない
(あまりにも品がなさすぎた) 

ところで、メディアが報道しなかった具体的なこととは
●新聞折込やポスティングで事実とは異なる捏造された記事を配布された
●受任者のところに、署名に協力しないようにとの 電話がかかってきた
●職員の市長支持OBグループからリコール署名に協力しないように
という文書が職員OBに郵送された
●ある人物宅に「署名されましたか?署名を取り消すことが出来ますのっで手配します」
という匿名の電話があった
●固定電話を公けにしていないひとのところに「リコール署名をしないでください。
署名をした場合は取消方法を教えます」と電話があった(電話を知っているのは、、、)
●職員、教職員、こども園や看護師対象に公務員としての自覚を持って対応するように
との配布物もしくは話あり
●あるひとの事務所2階で女性アルバイトを雇い、リコール署名をしないように電話作戦を展開
●ある地区の住職が檀家に署名するなとお達しをだした
●後援会がらみで支持派企業から社員・家族に署名しないように働きかけがあった

これらのことは、何でもありだから運動の中なのかもしれない
自分は街頭宣伝やチラシでもちゃんとしたことが書かれているなら
それは許容範囲内と考えないこともなかった
しかし、肌で感じる気味悪さ、異様な感覚は正直なところ
常軌を逸しているという思い

署名活動の現場は実はこんな具合で
結果だけを見て「理解が得られなかった」と言い切ってしまうのは
どうしても違和感がある

ただ言えるのは、リコール推進派も反対派の必死だったこと
そしてその方法にかなりの違いがあったこと

それにしても、署名縦覧については他の地区で
今後行われるかもしれないリコール運動で障害にならないように
予めなにか手を打ておくべき
といっても、どんな方法があるかわからないが、、 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の冬、きみと別れ

2016年02月14日 20時49分49秒 | 

午前中にはハンナ・アーレントの「全体主義の起源」を
読みたいなどとしていたが、午後に書店に出かけて購入したのは

ミステリー仕立ての「 去年の冬、きみと別れ」中村文則

この作者は先日の中日新聞のインタビューで興味をもって
「教団X]があれば手にしようと思ったが、地元の書店には
これしかなかったし 、最初のページをめくったところ
案外文体のリズムが自分に合いそうなのでお買い上げ

最近は妙に難しい物に取り組んでブレーキがかかりっぱなしだったので
これはものすごいスピードで読めた
ということは、それなりに楽しめた 
(登場人物は変な人達ばかりで少し気持ち悪い感じがしたが)
内容はネタバレは良くないのでカット

読書スピードが落ちた時はミステリーを読むに限る
これで一気に勢いがつく(はずなのだが)

実はついでにもう一冊手にした
「生還者」下村敦史
これもミステリー仕立て
これが終わったら、さて本番(まだ買っていない全体主義の起源)
と行けるかな 

ところで、文体のリズムが合うと思ったらこの本の中に
オルハン・パムクの「雪」が出てきた
やっぱり合いそうな文体は、好きなものも似ているのか 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読んだつもり(これじゃいけないのだけれど)

2016年02月14日 09時26分17秒 | 

マイブームというものがある
数年前は土方歳三 
彼の行動、残したもの、彼の行動を記した書籍
彼の生まれたところ、戦ったところ、亡くなったところ
それこそ追っかけの人が行うパターンを自分も行った

少し前は古事記絡みの古代史
これも一年ちょっとの間凝った
しかし悲しいかな記憶力が、、、
でもその時は楽しめたから良いとするか、、

で今は、最近の行動から派生した興味
ハンナ・アーレントについて
このひとの真面目な考察に興味ある
ならば真正面から本を読めば良いのだが
主著「全体主義の起源」は上中下の三冊
アマゾンで見かけても本の値段は安くない
それにしっかり文字も多そう
買ったところで読み通せるか自信がない
で横着してウィキペディアで「全体主義の起源」と検索してみた

すると上手いことまとまって書いてある
まるで読んだ気になる
しかし、これを読むとますます読んでみたくなる
困ったな(別に困ることでもないか)

まずは(下)から読み始めてもいいというから
とりあえず手にしてみるか (?)
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他の地区の人の感想(豊橋)

2016年02月13日 08時51分49秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日、豊橋市に住む知り合い9人に
今回の新城市のことについて尋ねた

リコールのことを知っていた人は
新聞でタイトルを見た気がするといった
ぼんやりを含めて4人
なにやら庁舎の問題があったらしいとした人が2人
知らなかった人が3人
結局殆どの人が具体的には知らないでいた 

ある程度こんなものだろうと予想していたが
それでも少しばかり驚いた
こんな具合だから、新城市のイメージが対外的に
ダウンしたとかアップしたとかは無いような印象

それにしても、それが悪いとは言わないが
人というものは「自分に関係ある」ことしか関心がないものだ
(当たり前といえば当たり前だが)
そしてその「自分に関係がある」というのは現実に目の前で
起きていることは、誰でも気づくが、将来自分に降り掛かってくると
想像力を働かせなければならない時は、一気に関心が薄れる

話は変わって、人は同時に幾つの関心事を持つことができるかを考えると、
育休をとるとしていた間に不倫をして騒ぎになっている宮崎議員、
覚せい剤の清原 、歯舞が読めなかった島尻安伊子沖縄・北方担当相
この辺りはマスコミが鬼の首をとったみたいに騒いでいるので
否応なしに関心をもたざる得ない(?)
そういえばいつだったか忘れたが、ある分野の(関心のない)
商品名を覚えられるのは3つまでだとかの調査があった
現在の生活は情報が多すぎて自動的に人は自分に関係あるなしを
瞬時に判断して面倒なこと、ちょっと負荷を感じるものは
避けられてしまう
脳はこういった横着する傾向があるらしい

少しばかり困るのは、関心をもってもらいたいことに
なかなか持ってもらえないこと(例えば市政とか)
といっても怠惰な自分もそうだったから、
いきなり善人ぶるのは気が引けるし、強制しても無駄なような気がするし、、、 

ただ今回の一連の活動で強く感じたことは
情報はほとんど伝わっていないこと
広報ほのか、ざいせいのはなし、議会報告が全戸に配られても、
現実にはその内容自体は伝わっていない
これは伝え方が悪いのか、読まないし理解しようとしない人が悪いのか
それとも、そもそも関心がないのか、、 

仕方ない、気づいた人が何かするしかない
大きなお世話かも知れないが、気づいてしまったんだから
やるしかない
今はそんな気分! 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他の地区の人の感想

2016年02月12日 08時44分05秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

今まではずっと何かに追っかけられているような
少しばかりストレスのかかる毎日だったが
一段落した今は、ストレスがないことに慣れていなくて
とても変な気分でいる 

ま、個人的なことはどうでもいいとして
新城市のことを他の地区の人(東三河の)がどんなふうに
思っているか、聞きに行こうと思う

こちらから誘導するのではなく
どんな風な感想を持っているか 
関心がないか
この一連の動きを恥ずかしいことと感じているのか 
それとも評価しているのか 

しかし、聞き方が難しいかな? 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

報告とお礼の挨拶

2016年02月11日 08時49分12秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日、リコール署名の報告に選管に出かけたが
署名数が必要数に達しなかったため
選管が受理しない事になった

その後で記者クラブで記者発表会見
この様子は自分は今見ていないが
地方紙では大きく扱われているかもしれない

とりあえず、一連の行動は終了した

昨日の午後、一段落したところで
自分がまとめ役になっている署名活動の受任者のところへ
報告と活動に対するお礼を伝えに行った 

新聞記事でおおよその結果はわかっていたので
多少の残念な気持ちは見られたが
一緒に行動したものにしかわからない共通した感覚が
会う人事に感じられた

それは「次はどうするか?」ということ

リコールを求める会は好戦的な組織ではなく
本来ならば住民投票が終わった時点で
「市政(と税)を考える会 」として活動する予定だった
それが、庁舎見直しの、こちらから見れば不誠実な態度のために
止むに止まれぬ思いで、緊急事態としての活動になったわけだが
ひとまず結論がでたので、今後はやりかけとなっている
「「市政(と税)を考える会 」の活動を開始することになる

もちろんその前には今回の総括を
自分たちの中で十分にしなければならない
それにプラスして署名していただいた方に対するお礼を
何らかの形で表さなければならない
これは仲間内で討論されているので
いずれ表にされることと思う

ところで以下の文は公式なものではないが
自分の気持ちから出た受任者の方への感謝の思いで
個人的なものとして挙げておく

署名活動の受任者の皆様へ

真冬のひと月。寒い中、ともすれば今までの人間関係を損なうかもしれないリスクを負いながら、
戸惑う自分を鼓舞して、安易な傍観者・批評家ではなく市政を案じる行動する人として
活躍していただいた受任者の皆様、本当に有難うございました。

いつか誰かがやらなければならなかった行い、それを現実に行動に移すのは言葉で言うほど
簡単なことではありませんが、その行動力と勇気に励まされながら共に活動できたひと月間は、
将来の新城市にとって無駄ではなく有益な時間として記憶されることと思います。
「リコールを求める会」はこれで一旦役割を終え、新しい組織へと生まれ変わります。
その具体的な内容については、順次報告させていただきます。
最後にもう一度、ご協力を心より感謝致します。ありがとうございました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リコールを単なる勝負事として見てはならない

2016年02月10日 13時19分06秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

腹を立てたところで、しょうがない
と思いつつ、どうにも抑えきれない感情がある

先ほどアップしたばかりの新聞報道について
記者さんは自分では客観的な報道をしていると思っているに違いない
しかし、それを読んだ運動の当事者は
明らかに記事のトーンに違和感を感じる

大前提として記事はキチンと裏付けをとって
客観的にが当たり前だが、記事にある「別の幹部 」
(執行部の能力不足、方針も計画も甘かったのくだり)
とは誰の事を言っているのか、仲間内では全く検討がつかない
(決して犯人探しをしようとしているのではなく、
 そんなことを言った人がいたのか不思議に思うだけ
 そして本当に取材したのかとも思ったりする) 

また記事の中で取り上げられている署名活動中のエピソードは
全く否定的な一方的な視点からしか紹介されていない
現実には訪問した家庭から感謝され、待っていたという方もいたし
署名しなかった方でも「頑張ってください」と声をかけてくれた人がいた
それも少ない数ではなかった

単にこのリコールを面白おかしく勝負事と理解して
その成立しなかった理由を挙げているだけなのか
地元の少しばかり珍しいニュースの一つくらいかも知れないが
当事者の気持ちを逆なでするような内容は本当にどうかと思う

記事の中で「市民運動の火が消えてしまう」
と心配するのは署名活動をしなかった人 
しかし、リコールが成立しなかったとはいえ猛烈な妨害工作の中で
8286筆もの署名を集めた当事者は、現実に市民と直接会話を交わし
実感として市民の思いを感じ取ることが出来たのだから
これこそがスタートだと感じる
(これがたとえ負け惜しみに聞こえようとも) 

何もしなかった人が勝手に心配して
真剣に取り組んだ人が未来に希望を持とうとしている 
一番の問題点は実はここにある

何もしない人は一見公平を装いながら、批評家の立ち位置で責任はない
行動を起こした人はある種の責任を感じている
何もしない人は何が起きても結局は他人事
行動を起こした人は例え偏っていようとも真剣に将来を考えた人 

もちろんこの考え方だけが正しいとは言えない
しかし評論家ではなく、傍観者でもなく、現実に自らの立場の
リスクを感じながら、なおかつ身銭を切って
行動した仲間は本当に凄いと思う

今回のこと、単なる勝ち負けの作戦上の問題として捉えるだけでは
解決できない多くの問題がある

個人の判断、自分が置かれた立場で
人は心底自分の内なる声に従うことができるのか 
これは一般社会では社内で不正を見つけた時、内部告発ができるか?
という話にも通じる

フォルクスワーゲンや旭化成建材の事件
あれは特別悪い人たちが行い、自分ならそんなことはしない
自分をその場に身をおいた時どれだけの人が自信を持って
自分は あんな事はしないと言い切れるか

(そういえば聖書でも何か似たようなエピソードがあったような、、)

話は何時のようにあちこち飛んだが、本当に今回のことで
深く考えることになったのは
ハンナ・アーレントが繰り返し取り上げる個人の判断と責任のこと
そしてメディアの公平性や客観性のこと
それに、順番が違うだろうと言われそうだが
市政の現実、政策がどうのこうのというより現実を誰がしきって
誰が追従していて、それが市民にとって良いことなのかという点 

やっぱり始まったばかりというところ
勝手に心配などしている余裕はない 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝の中日新聞のリコール報道について

2016年02月10日 12時33分53秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

少しばかり頭にきて、冷静になれないでいるので
自分の東三河中心のブログから横着して引用する

新聞記事とかテレビのニュース
その現場の当事者になったことがないから
記者さんの気持ちはわからないが
とても変に思うことがある

今朝の中日新聞に「新城市長リコール不成立」に記事が載っていた
何も一日前倒ししなくても、今日記者発表することになっているので
わざわざ早めなくていいと思うのだが!

これはどの新聞も同じように先走って取り上げているので
他社に負けたくない記者魂というのが働いているのか
(善意に解釈すれば)
別の理由によりものかわからないが、どうせいつかは分かること
なぜ、早めに取り上げるのか  イマイチわからない

テレビの選挙速報も同じ
時間が経てば分かることを間違いのリスクを持ちながら
どんどん放送していく
この気持が、よくわからない
ただ臨場感といったものは認めるが

ところで今朝の新聞
新聞に書いてあることはつい本当と思ってしまいがちなのが一般の人
しかしここに書かれている記事は客観的な事実と
知らず知らずの記者さんの考えが含まれている
(記者さんの考えを除いた報道なんて現実にはありえないと思う)
客観的事実と思えるような内容も、その事実を取り上げて
違う事実は取り上げないということがあるから、そこで既に何らかの
選択が行わている

傍観者、外野からの視点では結果としてそのように総括されても
なんらおかしくないように見えることがあるかもしれないが
ここでは当事者として大きく異る現場での体験をあげる

受任者への風当たりが強かった
とサラリと書いているが、自分の経験した範囲ではそんなことはなかった
どんな場合でも違う意見の人はいるのもで、たとえそれがあったとしても
格段驚くほどのことではない

そして何故今リコールか?
についても説明をしていけば納得する人が多かった

現実的なことを言えば、本当はこれはあまり公にしたくないことだが
署名が集まらなかったのは理解が進まなかったのが大きな理由ではない

以前の投稿で署名をいただけなかったからからも
「頑張ってください」との激励の言葉をもらったこと書いたが
実はこのことがすべてを現している

作戦上では反対派の宣伝が功を奏したのかもしれない
本当は自分は●●したい、でも、それをすると世間が、将来が
今の生活が、、、、
こうした不安をなんとなく煽るような気持ちにさせたのも事実
これが現実の世界
市民が自由に選べれる状態ではなかった
ピアゴ前の白い仮面を被った行動は、そのことを現している
(クリックすると他のページに飛びます) 

今度のことで本当に分かったことがある
何がなされたか(傍観者ではわからない妨害活動)
メディアの報道はどのようにされて本当に信頼できるものか
これは偏屈になるというのではなく
本当に心してかかっていかないと、流されていくばかりとなる
(新城のことだけでなく国のことも)

多くの受任者が現実に個々の家まで訪れて
聞く耳を持った人に具体的に市政のことを語ったという事実は
「広報ほのか」の配りっぱなしのお知らせよりも
もっとリアリティのあるものになったに違いない

今日の記者発表については、またあとで! 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報の伝わる速度

2016年02月09日 09時30分19秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

少し興味を持ったことがある
言葉、情報、概念の伝わる速度はどのくらいだろう
ということ

同じ様な疑問を持った人はいるようで
方言の伝わる速度を計測(考えた)人がいる
徳川宗賢は「日本言語地図」で方言の伝わる速度を調べている

その結果
近畿を中心として1年間に伝わる距離
 ・東海道方向 0.75km 
 ・北陸方向  1.06km 
 ・中国方向  1.10km 
 ・四国方向  1.23km 
 ・南近畿(和歌山など)方向 0.49km
  平均で年間約1km 

ということらしい
これは昔の話でテレビも携帯電話もインターネットもない時代
今ならそれこそ瞬時にいろんな情報は伝わる

しかし、この情報でも伝わりやすいものと伝わりにくいものがある
清原氏の覚醒剤に関する情報は一気に日本に伝わっているが
甘利さんのことや辺野古のことは伝わらない人が少なくない
これはメディアの露出の量の違いだけではない 
そもそもの話題に興味があるかどうかという点で
大きな違いが出てくる

今なぜこんな話を取り上げているかと言えば
この一月間行われた新城市長リコールについて
その情報の伝わり方がまさにこの例に該当するからだ

さすがにリコール署名活動をしていることを
知らない人は少なかった
しかし肝心な、なぜその行動に至ったか
なぜ反対しているのか?
と言った細かな情報は、実感として余り伝わっていたとはいえない

それは情報の提供の仕方、頻度、物理量で解決される問題というより
単純に個人の関心の範囲を外れているから
の様に思われる

いくら真剣に訴えても関心のないことには関心がない
良いことではないかもしれないが、これは純然たる事実
真剣に訴えれば分かってくれるはず
でも面倒なことは心の入り口の部分で 弾かれてしまう
(いずれ自分の身に降りかかってきた時は激しく反応するかもしれないが) 

この現実を知った時、ある種の絶望感や無力感を感じる
しかし、それでも
そう、それでも  今できることをする
それしか手はないと諦めず何かをする
諦めないこと、それは未来に希望を持つことかもしれない
と思ったりする


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする