パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

リコールを単なる勝負事として見てはならない

2016年02月10日 13時19分06秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

腹を立てたところで、しょうがない
と思いつつ、どうにも抑えきれない感情がある

先ほどアップしたばかりの新聞報道について
記者さんは自分では客観的な報道をしていると思っているに違いない
しかし、それを読んだ運動の当事者は
明らかに記事のトーンに違和感を感じる

大前提として記事はキチンと裏付けをとって
客観的にが当たり前だが、記事にある「別の幹部 」
(執行部の能力不足、方針も計画も甘かったのくだり)
とは誰の事を言っているのか、仲間内では全く検討がつかない
(決して犯人探しをしようとしているのではなく、
 そんなことを言った人がいたのか不思議に思うだけ
 そして本当に取材したのかとも思ったりする) 

また記事の中で取り上げられている署名活動中のエピソードは
全く否定的な一方的な視点からしか紹介されていない
現実には訪問した家庭から感謝され、待っていたという方もいたし
署名しなかった方でも「頑張ってください」と声をかけてくれた人がいた
それも少ない数ではなかった

単にこのリコールを面白おかしく勝負事と理解して
その成立しなかった理由を挙げているだけなのか
地元の少しばかり珍しいニュースの一つくらいかも知れないが
当事者の気持ちを逆なでするような内容は本当にどうかと思う

記事の中で「市民運動の火が消えてしまう」
と心配するのは署名活動をしなかった人 
しかし、リコールが成立しなかったとはいえ猛烈な妨害工作の中で
8286筆もの署名を集めた当事者は、現実に市民と直接会話を交わし
実感として市民の思いを感じ取ることが出来たのだから
これこそがスタートだと感じる
(これがたとえ負け惜しみに聞こえようとも) 

何もしなかった人が勝手に心配して
真剣に取り組んだ人が未来に希望を持とうとしている 
一番の問題点は実はここにある

何もしない人は一見公平を装いながら、批評家の立ち位置で責任はない
行動を起こした人はある種の責任を感じている
何もしない人は何が起きても結局は他人事
行動を起こした人は例え偏っていようとも真剣に将来を考えた人 

もちろんこの考え方だけが正しいとは言えない
しかし評論家ではなく、傍観者でもなく、現実に自らの立場の
リスクを感じながら、なおかつ身銭を切って
行動した仲間は本当に凄いと思う

今回のこと、単なる勝ち負けの作戦上の問題として捉えるだけでは
解決できない多くの問題がある

個人の判断、自分が置かれた立場で
人は心底自分の内なる声に従うことができるのか 
これは一般社会では社内で不正を見つけた時、内部告発ができるか?
という話にも通じる

フォルクスワーゲンや旭化成建材の事件
あれは特別悪い人たちが行い、自分ならそんなことはしない
自分をその場に身をおいた時どれだけの人が自信を持って
自分は あんな事はしないと言い切れるか

(そういえば聖書でも何か似たようなエピソードがあったような、、)

話は何時のようにあちこち飛んだが、本当に今回のことで
深く考えることになったのは
ハンナ・アーレントが繰り返し取り上げる個人の判断と責任のこと
そしてメディアの公平性や客観性のこと
それに、順番が違うだろうと言われそうだが
市政の現実、政策がどうのこうのというより現実を誰がしきって
誰が追従していて、それが市民にとって良いことなのかという点 

やっぱり始まったばかりというところ
勝手に心配などしている余裕はない 

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今朝の中日新聞のリコール報道について

2016年02月10日 12時33分53秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

少しばかり頭にきて、冷静になれないでいるので
自分の東三河中心のブログから横着して引用する

新聞記事とかテレビのニュース
その現場の当事者になったことがないから
記者さんの気持ちはわからないが
とても変に思うことがある

今朝の中日新聞に「新城市長リコール不成立」に記事が載っていた
何も一日前倒ししなくても、今日記者発表することになっているので
わざわざ早めなくていいと思うのだが!

これはどの新聞も同じように先走って取り上げているので
他社に負けたくない記者魂というのが働いているのか
(善意に解釈すれば)
別の理由によりものかわからないが、どうせいつかは分かること
なぜ、早めに取り上げるのか  イマイチわからない

テレビの選挙速報も同じ
時間が経てば分かることを間違いのリスクを持ちながら
どんどん放送していく
この気持が、よくわからない
ただ臨場感といったものは認めるが

ところで今朝の新聞
新聞に書いてあることはつい本当と思ってしまいがちなのが一般の人
しかしここに書かれている記事は客観的な事実と
知らず知らずの記者さんの考えが含まれている
(記者さんの考えを除いた報道なんて現実にはありえないと思う)
客観的事実と思えるような内容も、その事実を取り上げて
違う事実は取り上げないということがあるから、そこで既に何らかの
選択が行わている

傍観者、外野からの視点では結果としてそのように総括されても
なんらおかしくないように見えることがあるかもしれないが
ここでは当事者として大きく異る現場での体験をあげる

受任者への風当たりが強かった
とサラリと書いているが、自分の経験した範囲ではそんなことはなかった
どんな場合でも違う意見の人はいるのもで、たとえそれがあったとしても
格段驚くほどのことではない

そして何故今リコールか?
についても説明をしていけば納得する人が多かった

現実的なことを言えば、本当はこれはあまり公にしたくないことだが
署名が集まらなかったのは理解が進まなかったのが大きな理由ではない

以前の投稿で署名をいただけなかったからからも
「頑張ってください」との激励の言葉をもらったこと書いたが
実はこのことがすべてを現している

作戦上では反対派の宣伝が功を奏したのかもしれない
本当は自分は●●したい、でも、それをすると世間が、将来が
今の生活が、、、、
こうした不安をなんとなく煽るような気持ちにさせたのも事実
これが現実の世界
市民が自由に選べれる状態ではなかった
ピアゴ前の白い仮面を被った行動は、そのことを現している
(クリックすると他のページに飛びます) 

今度のことで本当に分かったことがある
何がなされたか(傍観者ではわからない妨害活動)
メディアの報道はどのようにされて本当に信頼できるものか
これは偏屈になるというのではなく
本当に心してかかっていかないと、流されていくばかりとなる
(新城のことだけでなく国のことも)

多くの受任者が現実に個々の家まで訪れて
聞く耳を持った人に具体的に市政のことを語ったという事実は
「広報ほのか」の配りっぱなしのお知らせよりも
もっとリアリティのあるものになったに違いない

今日の記者発表については、またあとで! 

 

 

 

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