昨日は最終日というのに、その関係の活動ではなく姪の結婚式に出かけた
女の人がするように午前中に床屋に行ってさっぱりして出かけた
姪はとてもおもしろい子だった
いくつになっても自分にとっては●●ちゃんのイメージが抜け切れない
昔、お正月に姉夫婦と来た時は、この姪が中心となって
いとこの二人(男の子)とかくれんぼしたり近所の畑を走り回ったり
とにかく、元気でくったくのない子だった
その●●ちゃんの結婚式
披露宴の料理も楽しみだが
●●ちゃんの幸せそうな顔も見たい
会場は結構な人数、ほとんど知らない人で
不意に人は多くの人との関係のうちに生きているのだと
つくづく感じたりする
式は人前結婚式
彼女はクリスチャンではなかったから、この方が自然で良い
披露宴
スピーチを頼まれた人は慣れている人はともかく
そうでない人はここ数日間はストレスが多かったのではないかと
少しお気の毒に思ったりした
でも姪の仕事上の上司、同僚、友達からスピーチを聞くと、
今までの●●ちゃんではない姪の姿を知ることが出来て
何か別人のような気がした
同様に姪の母、自分の姉も
自分たちが知っている姉としての姿ではなく
母としての姉の姿を見ること、聞くことになって
これも何か不思議な気がした
それにしても当たり前と言えば当たり前なのだが
ひとはなんと多くの人との関係性の中で生きていくことか
改めてこんなことを再確認
それにしても、ビデオの編集は速い
先程まで撮っていたと思ったら披露宴の終わりごろには
上手くまとめていた
つくづく凄い時代になってきた