「私は嘘をついたことがない」
普通の人ならこれは嘘だと断言できるに違いない
嘘をつかない人はいない
それが人生を重ねてきた人の実感だ
嘘にも悪い嘘があれば、気を使い心配させないためにつく良い嘘もある
「総理大臣の私が嘘をつくはずがないじゃないですか!」
このように語った人がいた
この方はいろんなところで嘘を言っていた
それは見え透いた嘘と言えるもので、まるでオオカミ少年のようだった
嘘をつかないことの確証は何だろう
現在は政治家はまず信じられない
教師も中には悪い人もいる
宗教家の中にもおぞましい人がいるし
警察の中にもなってはいけない人がいる
だが一般論として嘘とか不正をしないとされている人たちがいる
それは国家資格を有している人たち
彼らは嘘までは行かないにしても、極めて危なっかしいところを
歩いているときもある
直近の経験では、この国家資格を有しているだけで
不正や意図的な操作は全く無い、、と断言されたことがあった
だがこの人たちの行動や仕事ぶりを見ると、不正をしているかもしれない
と思われても仕方のない不自然な動き方をしていた
(やたらと例外の多い仕事ぶりだった)
その仕事ぶりの詳細な評価ではなく、肩書で不正はない!
と判断され、問答無用だった最近の出来事
今でも思い出すと悔しさがこみ上げてくる
だが現在の世の中は、肩書でいろんなことが信用され
それに基づいて運営されているものだとも思う
なかなか思い通りには行かないものだ
さてこれらは何のことを現しているか、、
ちょっと愚痴ってみたくなってしまった
疑わしい、怪しいと考えるのは自由ですが、これを暴くために裁判をしたのであればその結果は受け入れるべきで、受け入れ難ければ裁判を続けるという選択もあります。
ですが、いつかは終わります。
結果を受け入れず、怪しい、おかしいと思っている自分が正しい、相手が間違っていると一方的に押しつけているだけであれば、何のための裁判かと感じます。
確かに裁判は必ずしも真実を暴けるとは思えません。ですが、それはやはり主張立証の問題であり、もしも真実が自分側にあるのに裁判では負けたということであれば、それは自分たちに責任があるということだと思います。
裁判結果を受け入れられない様子が見られましたので、文句があるのであればできうる限りで戦い、できうる限りを尽くしたのであればその結果は受け入れる、ということだと思います。
裁判の結果はでたけれど、裁判はもうしないけど怪しいと思い続けるというのは何かおかしいと思います。
その通りです。だから次の段階に行き最終的には結果を受け入れる覚悟でいます。
昨日ですが冷静な方から客観的考え方を耳にしました。
自分たちが正しい!と言い切るには気が小さいのでなるべく多くの人の意見を聞く様にしています。
でも、なかなか感情をコントロールできないのも事実。
今考えているのは、裁判に訴えたのは何故だったのか?
それは無謀なことだったのか?を多くの人に考えてもらいたいということです。
負けるということは悔しいことです。情けないですがスッキリするには時間がかかりそうです。
民事では不法行為により損害を受けている人がいて、その人たちを救うべく判決が行われるものと期待を込めて思っていました。
そして判断基準には自然法的なとか倫理的なとか、そう言った概念も加味されるものと勝手に思っていました。(その様なことが書かれた本がありましたので)
裁判は無い方が良い!
今は無くすためにはどうしたら良いかも検討中です。
お返事読ませていただき、やはりブログ主様はとても常識的、良識的な方だと、私はなんて失礼なコメントをしてしまったのかと反省しております。
勝ち負けがある以上、心からの納得、満足は勝ちのときしか得られないでしょうが、万が一負けとなったときにも自分の中で納得し消化できるように最大限を尽くすことかと思います。
この時期ですので子どもたちの受験、就職を耳にしますが、こちらにも通ずるものがあると思います。
私としての裁判とういものに対する考えはもう少し違って、やはり裁判所も真実の追求がどこか根底にはあって、ですが、だからこそ証拠や、合理的に考えてどうかという要素を重要視するのではないでしょうか。
疑わしきは罰せずという言葉があります。
疑わしきは罰しない、ではなく、罰せられない、ではないかと思います。
ですから、裁判所としては疑わしいのであれば、それを裁判所に伝わるように十分に丁寧に主張し、証拠もそえてくれないと、と思っているのではないかと考えてしまいます。
裁判は無い方がいいというのもその通りだと思いますが、武力行使、実力行使ではなく、物事を判断する機関、機会は必要ですし、裁判が起きない世の中をつくれることは理想ですが、いろいろな考え方をもった人々が生きている限り難しく、むしろそう考えると裁判というのはとても大切なものではないかと思います。
僭越ながらがんばってください。
自分のできる範囲で頑張ります。
独りよがりにならぬ様に気をつけながら