パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新城市の活動交付金事業の現場

2018年03月28日 18時50分55秒 | 市政、市議会に関することなど

自分の住む新城市の話題
少しばかり大事な、放っておけない話題なので別のブログからのコピペ

「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、実際に目にすると
頭で想像していたことのギャップに驚くことがある
新聞紙上で嬉しくない報道が続く山崎市議絡みの新城市の活動交付金事業の
「現場の今」を見に行ってきた

この事業は立木や竹類の伐採、廃棄物の処理として
平成25年度 471000円
平成26年度 465000円
平成27年度 434000円
合計 1370000円が新城市から活動交付金事業として支払われている
これだけの金額が費やされた現場が今どうなっているか興味の湧くところだが
現場に着いた刹那、思わず笑ってしまった

現在の姿はこんな感じ

タイヤは除去することになっているのに、、、


これが1370000円かけた事業の現在の姿
思わず笑ってしまったのは呆れてしまったから
感じ方は人それぞれだからいろんな感じ方をするだろうが
すくなくとも自分の感覚は、これだけの金額の作業をしたとはとても思えない

何度も繰り返すが、市のこの地域活動交付金の調査はまだ途中段階とのこと
(2週間後には結果が出るらしい?)
新聞にのった「不適切申請が過大額5000円」程度の問題ではないことは
改めて訴えておきたいし、今後の市の調査結果を見守りたい

それにしても、これらの写真を見て一般の人はなんと感じるでしょう
多くの人の感想は自分と違いないように思えるのだが
(実際何人かに写真を見せたら、みんな自分と同じ感想をもった)

最近自分が意地悪な人間になっていないか、、、少しばかり心配、、



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怒り

2018年03月28日 09時37分32秒 | Weblog

昔のことを振り返り、それと比較して今を批判するのは、おっさんからおじいさんへ移行した証拠かもしれないが
ついついぼやきたくなることがある

「怒り」について
昔は自分はノンポリだったが世間は学生運動で大騒ぎしていた
大学時代だけでなく、高校2年のLTの時間に「高校生の政治活動について」が話題となって
クラスがやたら盛り上がって、次の別授業の時間にも引き続き討論させてくれと先生に依頼したこともあった
その当時、若かった僕らが何を感じていたかと言えば漠然とした「怒り」のような気がする
理不尽なことに対する若者特有の正義感、視野は狭くてもどこか直感的に良し悪しを判断する力
それらが若者をして突き動かしていた
そしてその怒りの対象は、大きなもの、、社会の組織に対する矛盾、経済優先で物事が進められ弱者が切り捨てられそうな
つまりそういった抽象的なものに対する怒りだったように思う

ところが、最近の若者の怒りを想像すると(この時点で既におっさん発想なのだが)
「切れる」という言葉に代表される、瞬間的な、そして対称が目の前にある、かつ弱い者に対してのものに
限られるような気がする
昔は、強いものに対して怒り、反発心を覚え、今は弱い者に対して感情的に怒りを発揮しストレス発散を図る

全部が全部そうではないだろうが、なんとなくの印象はこんなもの
昨日取り上げた若者の政治への圧倒的無関心と怒りの底の浅さは、どこか似たようなところがありそうな気がするが、、

ロゼッタストーンには「今の若者は、、、」との記述があるらしい
いつの時代も、そう言いたいのが人間の歴史ということなら、自分も変人ではないということかな、、

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